「なぜ死ななければならないんだろう?」。エド・はるみの再生
“グ~”で2008年には新語・流行語大賞を受賞したエド・はるみさん(57)。日本テレビ系「24時間テレビ」のチャリティーマラソンランナーも務めるなど一躍時の人となりましたが、16年からは慶應義塾大学大学院のシステムデザイン・マネジメント研究科に入り、ネガティブな気持ちをポジティブに転化させる研究を続けてきました。最近はモノ作りに注力し、今年の「第105回記念二科展」(13日まで、東京・国立新美術館)の絵画部門で入選も果たしました。研究、そして、モノ作りに軸足を置く起点となったのは「なぜ死ななければならないんだろう?」という、極限の苦しみからの目覚めでした。
明るくするものを
小さな頃は絵を習っていたんですけど、もう一回描きだしたのは17年からでした。ご縁があって彫刻と絵を月2回ほど習うようになりまして。
19年に初めて「二科展」に出して初出品初入選という結果となって驚いたんですが、今回もまたありがたい評価をいただきました。
絵を描く時には心がけていることがあって、例えばレストランとか喫茶店に飾ってあるとすると、絵があることでその場が明るくなる。見てくださった方の心が前向きになる。必ずそれを考えて描くようにしています。
今回の絵は100号というとても大きなサイズのキャンバスで、タイトルは「Life~母から始まる物語~」といいます。
この絵に込めた思いは、“すべての人は母からの影響を受けて人生を紡いでいきますが、それらはたとえどんな人生であっても天から見ると美しい”ということ。
ですから、私の絵はとにかくふんだんにゴールド(金色)を使っています。「キラキラ輝け!輝けー!」と強く願いながら、その想いを絵の具にのせて描き続けました。
生きていれば、誰もが楽しいこと、つらいこと両方あります。でも、その絵を見た時、一瞬でも何だか楽しくなる、元気になる。そんな絵を描いていくことができたらと強く思っています。
博士号を取る意味
新型コロナ禍で人と会う機会は確実に減りました。その分、絵を描いたり、モノ作りに費やす時間が増えたという部分はあるとは思うんですが、そもそも、今の私の生活の中心が大学院での研究とモノ作りなんです。
16年から慶應義塾大学の大学院に通うようになって、今も研究を続けています。今後、博士課程に進んで博士号を取りたいという思いがあるんですが、博士号を取ること自体が目的ではなく、その先に見据えているのがモノ作りなんです。
例えば絵を描いたり、今、実際に進めているものでいうとカードゲームを作ったりもしているんですが、そこには「こういうエビデンスがあってやっているんですよ」ということを示す。その裏付けとして博士号を取ろうと考えているんです。
絵、カードゲーム、そして絵から派生する洋服だったり、小物だったり、あるいは歌だったり。自分が研究してきたものをそういうカタチで出していく。
“研究とモノ作り”。これは両輪だと思っていて「思考と実践の循環」が私の研究テーマでもあるんです。いくら良いことに気づいても、それを思っているだけでは伝わっていかない。モノにすることで、感じてもらい、理解してもらえる。ここは非常に大切な部分だと思っています。
カードゲームで言うと、日常のコミュニケーションを疑似的に体験して、それを周りの人が採点していくというものなんです。ゲームをする中で、相手への理解、言葉選び、声色の優しさ…。そういったものをゲームの中で楽しく感じてもらえたらと思って考えたものなんです。
“一発屋”という言葉
そもそも、私がなぜそういうことを大学院にまで行って研究するようになったのか。その根っこみたいなところをお話しすると、09年ごろから15年ごろですかね、この5~6年の時間が本当につらかったんです。
いろいろな記事で事実ではないことを書き続けられる。反論をする場もない。タレントなら、そんなことを言われても仕方ない。なんなら、芸人だったらそれを面白く返さないと、といったことを言われ続ける。
一番近い存在である夫に話をしても、きちんと考えてくれているとは思うんですけど「気にしなければいい」という言葉が返ってくる。
最近は芸能人、タレントであったとしても、言葉の刃を投げかけることに対して「それはひどすぎる」いう声があがるようになってきましたけど、当時はまだその風もほとんど吹いていない。「人前に出る仕事なんだから」というところで終わってしまう時期でもありました。
それが5~6年。ひたすら耐えました。
…あと、言葉で言いますと“一発屋”という言葉を自分に投げられたことがすごくつらかったんです。
“一発屋”という言葉は、人によって感じ方は千差万別だとは思うんですが、それを言われた側にとっては、人を傷つける刃物のような言葉だと感じています。
言葉自体が人を傷つけ、貶める。一つのレッテル貼りでもあると思っていて、その苦しみは貼られた人間しか分からない。
もちろん、まずは私の努力が足りなかったのだと思います。ただ、一旦このレッテルが貼られると、次の新しいネタをやろうとする時に必要以上にやりにくくなる。可能性をかなり潰してしまっている言葉だとも感じています。
でも最近は時代も変わりました。なので、私はこの“一発屋”という言葉についても人を傷つける言葉として「私たちはつらいのだ」と、もういい加減に声をあげてもいいのではないかと思っているんです。
(予定取材時間が経過)
いろいろとありがとうございます。またよろしくお願いします。
…あの、ごめんなさい。もうちょっと、しゃべってもいいですか?
ここまで話をさせてもらう機会はなかなかないとも思うので、このまま言わせてもらおうとも思って。
今、私が研究やモノ作りをしているタネが生まれた瞬間というか、今の流れがそこから始まったという瞬間があったんです。
先ほども申し上げたように、ずっとつらくて、つらくてという時間が5~6年ありました。アップアップになって、ギリギリになっていきました。
とことん自分が否定される。しかも、事実ではないことで自分の信用を失い続ける。最初は我慢という対処をしてましたけど、どんどん精神的にきつくなっていって。そのうち、自分が自ら死ぬ画が頭に浮かぶようになってきたんです。
今からの話って初めてするんですけど、結婚してずっと夫とは仲良く暮らしていたんです。でも、これも先ほど申し上げたように、私はとにかくつらい。夫は「気にしなければいい」と言う。そのことでケンカも増えました。
そんな中で15年だったと思いますけど、私も本当に限界を迎えてしまって。「じゃあ、私が飛び降りればいいんでしょ。そうすれば全て終わるんでしょ」と夫に言ったんです。そういう言葉を初めて口にしました。
そこで夫から返ってきたのが「あなた、これで死んだら本当に笑いものだよ」という言葉でした。そして、そのまま自分の部屋に入っていったんです。
瞬間的に発してしまった言葉ながら、どこかに「バカなこと言うな!」と止めてくれるのではという思いもあったのかなと思います。でも、実際には全く違う流れになって、私がそこにポツンと残されている。
何がどう作用して、何がどうなったのか。それは分からないんですけど、そこでスッと心底思ったんです。
「なぜ自分が死ななければならないんだろう?」
そこで目が覚めたというか…。そしてそれまでずっと深く落ち続けていた悲しさが、そこで初めて底を打ったんですね。
そこから“場所”を移そうと思ったんです。
いったい何がどうなって自分がそんな思いになったのか。社会って何なのか。人間って何なのか。そういうものを知りたい。勉強したい。そう思ってテレビや舞台の世界から、大学院に行って研究するという場に移ったんです。
本当はこんなことまで話すつもりじゃなかったんですけど、私がなぜモノを作るのか。研究をするのか。その核みたいなところもしっかりとお話をしておかないとダメだなと思って、思わず話をさせてもらいました。今回は「二科展」でありがたいお話をいただいたので、おめでたい感じでいこうと思ってたんですけど(笑)。
私、思うんですけど、人ってどんな人であったとしても究極的に思うのは「大切にされたい」ということだと思うんです。
人から馬鹿にされたり、軽く扱われたりすることを心の底から望んでいる人なんか、一人もいないと思うんですね。
なので、それをこれからもいろいろなカタチにしながら出していけたらなと思いますし、私自身も、また表現することをしたいなとも思っています。
博士号を取ることに今は没頭していますけど、それが一段落したら、2年ほど前に初めて高座に上がった落語もまた挑戦したいですし。エピソードトークも披露できるようになって、いつか“一発屋”を返上したいですね(笑)。
■エド・はるみ
1964年5月14日生まれ。東京都出身。吉本興業所属。明治大学文学部卒業。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。女優として舞台を中心に活動しつつ、コンピューターインストラクターやマナー講師の仕事も経験。その後、笑いへの情熱が沸き上がり、2005年に吉本興業のNSC東京校に11期生として入学。06年から日本テレビ系「エンタの神様」などに出演し“グ~”のギャグで注目される。08年には日本テレビ系「24時間テレビ」のチャリティーマラソンランナーにも選ばれた。 10年に一般男性と結婚。15年、慶應義塾大学大学院の修士課程に合格。システムデザイン・マネジメント研究科 でコミュニケーションについて研究し、18年3月に同修士課程を修了し修士号を授与された。研究の成果をまとめた著書「ネガポジ反転で人生が楽になる」も上梓した。19年には「第104回二科展」で初出品ながら絵画部門で初入選。今年の「第105回記念二科展」(13日まで、東京・国立新美術館)の絵画部門で入選を果たした。