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BiSHと渡辺淳之介が生みだしてきた「波乱」と「美学」――解散劇をその歩みから分析

宗像明将音楽評論家
BiSH(写真提供:エイベックス)

原点のライヴハウスから「BiSHらしい」解散発表

BiSHが、2021年12月24日に開催された生配信ライヴ「THiS is FOR BiSH」で、2023年での解散を発表した。

前日に急遽開催が告知された「THiS is FOR BiSH」を午前8時からスタートし、その場所は2015年5月31日に初のワンマンライヴ「THiS IS FOR BiS」を開催した中野heavysick ZERO。70人もいれば満杯になる小さなライヴハウスだ。そこで歌われだしたのは、2015年のファースト・アルバム『Brand-new idol SHiT』の楽曲群。原点に立ち返りながらも、そこから日本テレビ系「スッキリ」に生中継出演して解散発表をするという、今のBiSHの規模らしい解散発表であった。

そして、2021年12月31日に「第72回NHK紅白歌合戦」出演をひかえての解散発表というのも、実にBiSHらしい。解散発表のライヴで、セントチヒロ・チッチは繰り返した。「BiSHらしく」と。

「新生クソアイドル」から「楽器を持たないパンクバンド」へ

BiSHは2015年に結成。2014年まで活動していたアイドルグループ・BiSのマネージャーだった渡辺淳之介が、2015年1月に「BiSをもう一度始める」と突如宣言してメンバーの募集を開始した。そして、2015年4月にライヴ活動を開始したBiSHは「新生クソアイドル」を名乗り、フロアがリフト、モッシュ、ダイヴで荒れ狂うライヴを展開していった。

2016年1月には、早くもエイベックスからのメジャー・デビューを発表。今度は「楽器を持たないパンクバンド」と名乗りだす。BiSHのイメージ戦力の巧さの一例だ。サウンド・プロデューサーの松隈ケンタが生みだしたサウンドは、渡辺淳之介が代表を務める所属事務所・WACKの所属アイドルの中でも、もっともハードコアなものだった。

2016年10月のアルバム『KiLLER BiSH』では、代表曲のひとつ「オーケストラ」が生みだされた。今回の「紅白」で歌われる「プロミスザスター」がリリースされたのは、2017年3月のことだ。BiSHは次第に大衆にも受け入れられていく道を歩んでいく。

また、2016年8月以降は、アイナ・ジ・エンド、セントチヒロ・チッチ、モモコグミカンパニー、ハシヤスメ・アツコ、リンリン、アユニ・Dの6人でメンバーが安定する。そして、2018年3月にはシングル『PAiNT it BLACK』で初のオリコン1位を獲得。さらに2018年12月には幕張メッセ国際展示でワンマンライヴ「BRiNG iCiNG SHiT HORSE TOUR FiNAL "THE NUDE"」を開催し、約17,000人を動員して、その人気を盤石のものとした。数々のテレビ番組にも出演し、その後の人気はみなさんもご存じの通りだろう。2020年7月のベスト盤『FOR LiVE -BiSH BEST-』以降は、アルバムもすべてオリコン1位を獲得している。

経営か美学か

今回の解散報道が流れた後、BiSHが人気絶頂であり順風満帆でもあるなかで本当に解散するのかどうか、さまざまな憶測が飛んだ。そして、私は「渡辺淳之介なら解散を選ぶだろう」と考えた。もちろん、WACKという事務所の経営を考えるなら大打撃のはずだ。いくらアイナ・ジ・エンドがソロ活動を活発に行い、アユニ・DがバンドのPEDRO(2021年12月22日をもって無期限活動休止)や歌い手ソロ・プロジェクトの青虫で活躍しても、いかんせん規模が違う。

しかし、渡辺淳之介は、2014年に人気のピークであったBiSを解散させた「実績」があるのだ。そこから巣立ったひとりが、現在は連日のようにテレビに登場しているファーストサマーウイカである。当時は、渡辺淳之介もBiSメンバーも心身の限界であり、しかも解散商法による一攫千金を狙ったという要因はあるにせよ、「なぜ人気があるのに解散させるのだ」という当時の所属事務所内の声を押しのけての解散劇であった。

現在の渡辺淳之介には、ふたつの顔がある。ひとつは、WACKの経営者として渡辺淳之介。もうひとつは、「NON TiE-UP」のリリースを店着日まで隠して歌詞で波紋を呼んだような「仕掛け人」としての渡辺淳之介だ。いわば「経営か美学か」の話である。そして、渡辺淳之介は美学のほうを選ぶだろうと私は考えた。結果、その通りになったというだけの話である。

なお、BiSHの解散発表が行われた中野heavysick ZEROは、そもそもはBiSが2011年4月24日に初の自主企画ワンマンライヴを開催した場所でもある。BiSHはBiSの物語を踏襲してきた。

常にさまざまな波乱を孕んできたBiSH

私は渡辺淳之介とBiS時代から仕事をしてきた縁で、BiSHのお披露目となった2015年4月30日のシークレットライヴも見ていた。今振り返れば、初期は実に牧歌的であったが、その時から注目度は異様に高かったことを思いだす。BiS時代よりも若いファンがBiSHのライヴに詰めかけ、熱狂を生んでいった。

そして2016年4月、私は編集者の松原弘一良の発案のもと、渡辺淳之介への15時間以上に及ぶインタビューをまとめた書籍「渡辺淳之介 アイドルをクリエイトする」を発売した。リリースイベントを渡辺淳之介やBiSHとともに開催したのもいい思い出だ。ただし、その日はハグ・ミィの脱退発表直後。BiSHは常にさまざまな波乱を孕んでいたグループでもあった。

特に初期においては、2015年の「TOKYO IDOL FESTIVAL2015」2日目出演キャンセル事件や、BiSを踏襲したスクール水着でのライヴが話題を呼んだ。2016年には水着チェキ会を開催したかと思うと、リフト、ダイブ、モッシュを禁止。ファンが禁止事項を破った際には、音を止めてライヴを中止してしまうという強硬な姿勢も見せた。

BiSHというグループが抱えてきた波乱と美学。だからこそ解散も特に不思議ではない。そして今、私は「そんなに綺麗に解散するだろうか?」と、BiSHがもう一波乱を起こしてくれることに期待しているのだ。

参照記事:

渡辺淳之介×宗像明将が語り合う、2010年代に音楽で食べていくこと「メジャーを志向しないと上の人には会えない」

※ヘッダー画像加工はセントチヒロ・チッチによるもの

音楽評論家

1972年、神奈川県生まれ。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」などで、はっぴいえんど以降の日本のロックやポップス、ビーチ・ボーイズの流れをくむ欧米のロックやポップス、ワールドミュージックや民俗音楽について執筆する音楽評論家。著書に『大森靖子ライブクロニクル』(2024年)、『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』(2023年)、『渡辺淳之介 アイドルをクリエイトする』(2016年)。稲葉浩志氏の著書『シアン』(2023年)では、15時間の取材による10万字インタビューを担当。

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