「戦国一の美女」お市の方が浅井長政と結婚した時期について、7つの説を考える
大河ドラマ「どうする家康」では、お市の方が結婚する場面があった。お市の方は、いつ浅井長政と結婚したのか、考えることにしよう。
お市の方は、織田信秀と土田御前の5女として、天文16年(1547)に誕生した。信長の妹である。年が13歳も離れていたのは、当時としては珍しくない。ただ、残念なことに、お市の方の前半生については、不明な点が多々ある。
その後、信長は近江の浅井長政と同盟を結ぶため、妹のお市を嫁がせた。信長が浅井氏と同盟を結んだのは、来るべき上洛に備えて、北近江の通路を確保するためだった。問題は、2人が結婚した時期である。
長政とお市の結婚した時期については、次のとおり諸説ある。
①永禄2年(1559)6月説(『川角太閤記』)
②永禄4年(1561)説(『東浅井郡志』)
③永禄6年(1563)説(高柳光壽『青史端紅』)
④永禄7年(1564)説(『浅井三代記』ほか)
⑤永禄10~11年(1567~68)説(奥野高廣「織田信長と浅井長政の誕生」)
⑥永禄11年(1568)4月下旬説(『総見記』)
⑦永禄11年(1568)4月説(小和田哲男『近江浅井氏の研究』)
これらの説を詳しく検討したのは、宮島敬一氏である(『浅井氏三代』)。このうち、⑥の説は「堀部文書」、「福田寺文書」を根拠としたものだったが、宮島氏により誤読であると否定された。
また、⑥の根拠となる『総見記』は内容に問題があり、歴史史料としては使えない。したがって、⑤⑥⑦の説は、成り立たないということになろう。
長政は六角氏家臣の平井定武の娘を妻としていたが、永禄2年(1559)4月に離縁したという(『東浅井郡志』)。しかし、その明確な根拠は示されていない。長政が家督を相続したのは、翌年のことである。
宮島氏によると、長政の元服、平井氏の娘との離縁、家督の相続の流れを考慮すると、永禄2年(1559)6月から永禄6年(1563)を下らない時期であるという。なかなか難しい問題である。
主要参考文献
宮島敬一『浅井氏三代』(吉川弘文館、2008年)