いつまでも語り継ぐ【阪神・淡路大震災23年】1.17メモリアルウォーク
6434人が亡くなり、4万人以上の負傷者が出た阪神・淡路大震災から、1月17日で23年が経ちました。神戸・阪神間では、震災で大きな被害を受けた地域を歩きながら、緊急時の避難路や防災拠点を確認する「1.17ひょうごメモリアルウォーク2018」が行われました。筆者も参加し、そこに集う人たちに話を聞きました。
メモリアルウォークは、震災を忘れずに語り継ぎ、経験や教訓を発信しようと、兵庫県などでつくる「ひょうご安全の日推進県民会議」が2001年1月17日から始めました。
今年も、神戸、芦屋、西宮の3市計6カ所からスタートし、「ひょうご安全の日1.17のつどい」が開かれる人と防災未来センター(神戸市中央区)を目指す2~15キロのコースで行われました。この日はあいにくの雨でしたが、それでも外国人を含む約2000人が参加しました。
筆者が歩いたのは、神戸市立中央体育館(神戸市中央体育館)を出発する5キロのコースです。出発前に、地震発生時に身を守る「姿勢を低くして、頭を守り、動かない」という行動を確認する「シェイクアウト訓練」に臨み、午前10時過ぎに体育館前をスタートしました。
雨が降っているため、歩道に長い傘の列ができます。平日ということもあり、参加者の年齢層は高めでしょうか。途中で立ち止まっての説明などはなく、ひたすら東に歩いていきます。
神戸元町商店街を抜け、倒壊した大丸神戸店を横切ります。2012年にオープンした神戸市の防災拠点「危機管理センター」の防災展示室で、非常食や簡易トイレの作り方など災害時の備えを確認した後、「1.17のつどい」が行われた東遊園地に着きました。各地から集められ、ろうそくの灯りがともされた竹灯籠には、雨の中、手を合わせる人たちが見られました。
そこから2010年に開園した「神戸震災復興記念公園(みなとのもり公園)」を抜け、復興住宅が建ち並ぶ幹線道路沿いを行きます。ゴール手前、日本赤十字社兵庫県支部では、豚汁の炊き出しが行われ、各コースを歩いてきた参加者たちが、雨で冷えた体を温めていました。
被災した人もそうでない人も それぞれの思い
みなさん、どのような思いで歩いてきたのでしょうか。震災で祖母を亡くした滋賀県守山市の20代の会社員女性は、両親と参加しました。1月6日に生まれた弟の命名式に立ち会った後のことでした。当時は神戸市長田区に住んでおり、ひどい揺れで自宅は半壊しました。
一家は母親の親せきを頼って徳島県へ行き、女性は自宅へ戻るまでの約3カ月間、現地の幼稚園に通ったそうです。50代になった母親は「まだへその緒がついた赤ちゃんを連れての移動は大変でした」と振り返ります。
今年23歳になった弟は、残念ながら来られませんでしたが、道すがら、家族で弟が生まれた時のことや、祖母の思い出話をしながら歩きました。東遊園地にある犠牲者らの名前が記された「慰霊と復興のモニュメント」では、銘板に刻まれた祖母の名前を探したそうです。
神戸市須磨区の60代女性は、退職して時間ができたことから今回、初めて参加しました。震災では、神戸市灘区にあった実家が全壊。「雨で足元は悪かったですが、街の様子など歩いてみないと分からないことがありました。復興といえば復興なのでしょうが変わりましたね」と話します。
兵庫県三田市から参加したボランティアコーディネーターの50代男性は、これまでに5回ほど参加しています。今年は雨が降っていたこともあり、王子公園(神戸市灘区)からスタートする2キロのコースを歩きました。震災当時は大阪府吹田市に住んでいました。食品メーカーに勤めていたため、神戸市灘区から東灘区の避難所に食料を配って回っていたそうです。
「23年が経ち、街もずいぶん変わりました。でも、歩いてみると、ここで建物がひっくり返っていたなあなどと当時のことを思い出しました」。男性は現在、東日本大震災の被災地を支援しています。3カ月に1回は、東北地方で活動しているそうです。
「東北の人たちは、これまでご苦労されてきたうえに、来年や再来年もどうなるかが分からない状態です。私は23年、被災地で、いいことも悪いことも見てきました。この経験を、東北や熊本など被災地の人たちに話したいと考えています」(前述の男性)
兵庫県復興支援課の担当者は「震災の時は、(建物が密集している)街なかは100メートル先が歩けない状態でしたが、幹線道路は比較的歩くことができました。メモリアルウォークで歩いたコースを、災害時の避難経路として参考にしてほしい」と話します。少しでも多くの人に参加してもらおうと、周知団体やチラシを置く場所を増やすなどの努力も続けているそうです。
10キロのコースを歩いた兵庫県芦屋市のパートの40代女性は「何ができるというわけではないですが、(メモリアルウォークに)参加して、大きな地震があったということを忘れないで伝えていきたいです」と話しました。
多くの人が、震災の犠牲者を悼みながら、未来への備えを模索しています。今回の参加を通して、改めて、災害を自分のこととしてとらえることの大切さを感じました。
撮影=筆者