第一次大戦から100年、尖閣・慰安婦・靖国を考える
日本は「フランス」、中国は「帝政ドイツ」
今年7月に第一次大戦の開戦から100周年を迎えることから、沖縄・尖閣諸島をめぐる東シナ海の緊張を当時の状況になぞらえる論考が英国で目立っている。
100年前、産業革命を機に世界中に植民地を広げた大英帝国による国際秩序パクス・ブリタニカ(英国の平和)には陰りが見え始めていた。フランスの国力は衰え、ドイツは統一により伸長していた。
英誌エコノミストや英紙デーリー・テレグラフは現在の米国を当時の「大英帝国」、日本を「フランス共和国」、中国を「帝政ドイツ」にたとえている。
中国は「尖閣をめぐる緊張が高まったのは、日本が2012年に日中間の棚上げ合意を破って尖閣を国有化したからだ」と国際社会に説明している。しかし、これには明らかなウソが含まれている。
また、安倍晋三首相の靖国参拝が共産党機関紙「人民日報」の主張するように「雪の上に霜を加えるもの」だったとしても、尖閣をめぐる緊張は民主党政権時代からオーバーヒートしていた。
米海軍調査船インペッカブルが南シナ海の公海上で中国艦船5隻から妨害行為を受ける事件が起きたのは09年9月。中国は08年の世界金融危機で苦境に陥った米国の足元を見て、南シナ海や東シナ海で大胆に行動し始めたとみるのが妥当だろう。
衰える覇権国家・米国
昨年、シリアのアサド政権が化学兵器を使用したとされる問題で、いったんは「軍事介入」カードを振りかざしながら、最後は引っ込めてしまったオバマ米大統領は「米国は世界の警察官ではない」とまで言ってしまった。
今年末までに米国の主力部隊、国際治安支援部隊(ISAF)がアフガニスタンから撤退。シェールガス革命で中東の石油への関心を弱めた米国はアジアへの回帰政策を加速させる腹積りだった。
しかし、イラクで再び治安情勢が悪化、シリア内戦、カダフィ後のリビアなど、米国が中東から手を引くというのはかなり難しそうだ。欧州の要望もある。
「英スパイの元締め」ともいえる英合同情報委員会の委員長を務めたポーリン・ヌヴィル=ジョーンズ上院議員は筆者に「シェールガス革命の恩恵に預かれない欧州には中東の石油が必要だ。米国には中東にとどまってもらわないと困る」と本音を漏らしたことがある。
明確な対中オバマ・ドクトリンを
米国は世界最大の債務国で、最大の米国債保有国は中国と日本である。その一方で、世界断トツの軍事大国・米国と、日本の自衛隊を合わせたときの軍事力は今のところ中国を凌駕している。
米国の景気回復も順調だ。米エコノミストによる今年の経済成長見通しは年率2.5~3%。米議会内の対立がオバマ大統領を立ち往生させているとはいえ、世界のリーダー・米国が老けこむのはまだ早い。
まず、オバマ大統領にしっかりしてもらいたいというのがエコノミスト誌の提言だ。そうでないと、中国のような地域覇権国が近隣諸国に対して高圧的に振る舞い、自分の力を試そうとするだろう。
オバマ大統領は、南シナ海と東シナ海で傍若無人に振る舞う中国に対する米国の外交基軸を明確に示すべきだ。「ポスト・オバマ」の筆頭格と目される共和党の若手、マルコ・ルビオ上院議員=フロリダ州選出=は次のような方針を示している。
・違法な領土主張や近隣諸国への圧力は、自由航行や自由交易を妨げ、世界経済に影響を及ぼす。中国の人権問題や違法な領土主張に目をつぶることはできない。
・地域の航空の自由を政治目的のために人質に取るべきではない。それを中国に理解させるためには、米国と欧州が結束するのが理想的であることを中国の行動はわれわれに例示している。
これまでオバマ大統領の優柔不断な言動は同盟国を不安にさせてきた。中東の安定を長年支えてきた米国の盟友エジプトのムバラク元大統領はいとも簡単に見捨てられ、結果的に中東は不安定化した。
オバマ大統領がルビオ上院議員のような厳格なドクトリンを早期に出していれば、尖閣をめぐる緊張もここまでエスカレートしていなかっただろう。
ミュンヘンの教訓、サラエボの教訓
尖閣をめぐって日本の保守系メディアでは1938年のミュンヘン会談がよく取り上げられる。チェコスロバキア・ズデーテン地方の帰属問題を解決するため開かれた国際会議で、英国やフランスは開戦を恐れてナチス・ドイツへの割譲を認めてしまった。
「宥和(ゆうわ)政策」という弱腰がヒトラーの領土的野心に火をつけ、第二次大戦を招き寄せてしまったというのがミュンヘン会談の教訓である。だから、尖閣を巡っても中国には強硬姿勢で臨まなければならないという主張だ。
島しょ防衛力の強化、国家安全保障会議(日本版NSC)の設立、集団的自衛権行使の限定的容認、憲法改正という安倍首相の路線は、過去十数年にわたって軍事費を拡大している中国に領土的野心を抱かせない抑止力の意味合いがある。
これに対して、英紙フィナンシャル・タイムズの著名コラムニスト、ギデオン・ラクマン記者は「ミュンヘンよりサラエボについて考えるときだ」と指摘している。
戦死者だけで900万人以上にのぼった第一次大戦は1914年6月28日、ボスニアのサラエボで鳴り響いた銃声から始まった。オーストリア皇太子夫妻がセルビア人青年に暗殺された事件がきっかけとなり、世界中を巻き込んだ戦争になった。
破局への原動力になったのは帝政ドイツだが、当時、ドイツと英国の経済的結びつきは深く、ロンドンやパリには、ドイツとは戦争にならないという油断があったとエコノミスト誌は解説している。
国民国家としてのナショナリズムの高揚、戦争が機関銃や戦車、塹壕、毒ガスなどを使った総力戦、全体戦争の時代に移っていたことも当時の指導者は見落としていた。尖閣をめぐる日中間の偶発的な軍事衝突が米中間の戦争に発展する最悪シナリオを米国は警戒している。
ナショナリズムの火鉢
戦後50年の1995年に出された村山談話で先の「侵略戦争」を謝罪し、アジア諸国との和解を進めようとした日本では逆に反動が目立つようになった。
一方、市場主義を導入した中国では共産党の正統性を維持するため「反日・愛国教育」が施され、韓国では従軍慰安婦問題で反日ナショナリズムが燃え上がり、そして、日本では「どうして戦後平和主義を実践してきた日本だけが悪くいわれるのか」という反動ナショナリズムに火をつけてしまった。
尖閣、竹島という領土問題、従軍慰安婦、靖国という歴史問題が日・中・韓間に横たわるナショナリズムに火をつけている。さらに中国・韓国経済が台頭する一方、日本経済が低迷してきたことが、もつれた互いの国民感情をさらに複雑にしてしまった。
新年、駐英の中国大使と日本大使は互いに相手を魔法使いの人気シリーズ『ハリー・ポッター』の悪役ヴォルデモートになぞらえて非難合戦を繰り広げたが、燃え盛るナショナリズムこそ真のヴォルデモートになる恐れがある。
日・中・韓の政治指導者は尖閣、竹島、従軍慰安婦、靖国問題を冷却化して、協力できるところから関係を修復していく必要がある。それぞれのメディアも好戦的で対立をあおるような言論は控えるべきだ。
東シナ海での偶発的な軍事衝突に対処するための二国間ホットラインや、米国を交えた地域安全保障体制の構築は日本だけでなく中国にとっても大きな利益になるはずだ。
安倍首相の靖国参拝後、中国は厳しい批判を繰り返す一方で、今のところ国内の反日デモを封印して、具体的な報復措置は発表していない。
使える反日カードが残っていないという事情があるのかもしれないが、ナショナリズムがコントロールできなくなって体制への不満に結びつくのを中国当局も恐れているのだろう。
靖国参拝は年1回?
エコノミスト誌は安倍首相の靖国参拝について「今回はそれほど大きな影響はなかった」と分析したが、1年に1回参拝するとなると「同じようには行かないだろう」とクギを刺した。
今後20年、30年先のことを考えた場合、日本はまずミュンヘン会談の教訓に学ぶべきだろう。現在のままでは中国の拡張主義、冒険主義を抑制することはできない。
その次にサラエボの教訓にも学ぶべきだろう。「赤紙一枚で戦場に散った兵士を追悼したい」という安倍首相の気持ちはわかる。しかし、東アジアの安全保障について重要な役割を持つ日本の最高指導者は国際社会に対しても責任を負っている。
本格的な戦争に突入するリスクが小さいうちに、領土問題、歴史問題という火種をナショナリズムの火鉢から取り除き、偶発的な軍事衝突に対応できるメカニズムを構築する努力が必要だろう。尖閣はもはや日中間の問題では済まなくなっている。
サラエボの悲劇を繰り返すのか、それともサラエボの教訓を生かすのか。
結局は中国の出方次第なのだが、日本も米国も欧州も、中国が拡張主義に走ることは第二次大戦の日本やドイツが犯した同じ過ちを繰り返すことになり、法の支配による現在の国際秩序の中で伸長していくことこそが中国の利益になることを根気よく説得していく努力を欠かしてはならない。
(おわり)