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『エルピス』が2020年10月で終わった意味を問うこと

田幸和歌子エンタメライター/編集者
『エルピスー希望、あるいは災いー』(C)カンテレ

パンドラの箱に最後に残ったのは本当に「希望」だったのか

長澤まさみ主演×渡辺あや脚本×大根仁演出×佐野亜裕美プロデュースのドラマ『エルピスー希望、あるいは災いー』(カンテレ制作・フジテレビ系)の最終回が12月26日に放送されると、SNSには賞賛コメントが続出した。

終盤に映し出されたのは、摂食障害に苦しんでいた浅川恵那(長澤)と、一時は摂食障害に陥り、左遷や解雇も経験しながら自分の道を突き進んだ岸本拓朗(眞栄田郷敦)が共に笑顔で大盛り牛丼を頬張り、村井(岡部たかし)が合流するシーン。

冤罪疑惑が晴れ、釈放された松本良夫(片岡正二郎)と、虐待から救ってくれ、誕生日にカレーとケーキを食べさせてくれた松本の冤罪を信じ、恵那や拓朗を事件に巻き込んだヘアメイクのチェリー(三浦透子)が一緒にカレーやケーキを食べるシーン。

「正しさ」と「食べること=生きること」を一貫して描き続けた同作において、彼らが幸せそうに食べるシーンには「涙が出た」「本当に良かった」と安堵する視聴者が多かった。

確かに、それは一つの明確な「希望」である。と同時に、たくさんのモヤモヤも残る。なぜならドラマでは解決されていないことの方が多いから。

ドラマのラストで描かれた2020年10月を、現実社会で比較すると、当時よりも今のほうが日本は遥かに悪い状況にあるから。

『エルピスー希望、あるいは災いー』(C)カンテレ
『エルピスー希望、あるいは災いー』(C)カンテレ

斎藤という男の語る「正義」の正しさと危うさ

第9話では、大門副総理(山路和弘)の娘婿だった秘書・大門亨(迫田孝也)が、大門が派閥議員の犯したレイプ事件をもみ消し、それにより被害者が自殺した真実を内部告発しようとした直前、死を遂げる。

亨が自殺に見せかけて殺されたことにより、拓朗は責任を感じ、強大過ぎる敵を前に全てを投げ出そうとするが、そこで立ち上がったのが『ニュース8』のキャスターに返り咲いて以来、冤罪事件から距離を置いていた恵那だった。

きっかけは、村井が『ニュース8』に殴り込みをかけ、大暴れしたこと。かつて村井は大門の裏の顔を暴くべく追っていたが、握りつぶされて報道を追われ、諦めと自嘲の日々だった。しかし、亨の死によって、テレビの報道に、マスコミに、絶望と憤りを抑えきれなくなったのだ。

そうした村井の姿を目の当たりにしたことで、亨の死因に違和感を覚えた恵那は、拓朗を訪ねる。「何があったのか知ってる? 教えてくれないかな」と、自身は途中から戦線離脱・拓朗一人に丸投げ&放置状態だったにもかかわらず、いつも通り上から目線で聞く恵那。しかし、もう一度真実と向き合いたいと覚悟を決めると、姿勢を正して「教えて下さい。お願いします」と頭を下げる。

拓朗は恵那に亨の内部告発のインタビュー音源を聴かせ、権力に立ち向かうことの難しさを実感したことを吐露した上で、一件から手を引くと伝える。しかし、恵那は「もらうから、このスクープ。君、要らないんでしょ?」と怒りを見せる。

そして、恵那の身を案じて止めようとする拓朗に言うのだ。

「自分の仕事、ちゃんとやりたいだけじゃん!」「当たり前の人間の、普通の願いが、どうしてこんなに奪われ続けなきゃいけないのよ!」

腹をくくった恵那は、『ニュース8』のトップニュースとして大門副総理による派閥議員レイプ事件もみ消しを報じることを決め、同期の滝川(三浦貴大)に協力を求める。しかし、滝川は大門と懇意にある大洋テレビ社員でフリージャーナリストの斎藤(鈴木亮平)にリークした、斎藤が本番直前のスタジオに乗り込んで来て、大門副総理のスキャンダルに関するニュースを外して欲しいと迫るのだ。

「今のところ俺の読みは8対2で俺が負ける」とわざわざ前置きする斎藤の、芝居がかったいやらしさ。斎藤は「大変なことになる」「君はわかってない」と言い、事態の重大さを論う。

大門副総理のスキャンダルが出たら、恵那個人や番組・テレビ局の問題、さらに大門の失脚だけでは済まないこと、政界全体に激震が走り、内閣総辞職どころか政権交代も起こりうること、世界情勢が緊迫した事態で国政も資本も揺らぎ、国際的信用が失われ、株価暴落など……。

かつては大人の余裕たっぷりで“ホモソの頂点”に見えた男が語る、自分なりの正義には鼻白むが、

「君にとれる責任なんて、せいぜい君の進退ぐらいだ。そんな人間が切って良いカードじゃないんだ、これは」

そう言われた恵那は理解しつつも、毅然とした態度で言う。

「しかし、どれも紛れもない真実なんです。この国の司法は正しく機能していない。すでに危機なんです。病人は自分の病名を知らなければ、正しい治療なんてできない。どころか、明らかに病気であるにもかかわらず、『明日の仕事に差し支えるから』という理由でその事実も教えてもらえないなら、そんな体は近い将来どうなりますか」

『エルピスー希望、あるいは災いー』(C)カンテレ
『エルピスー希望、あるいは災いー』(C)カンテレ

ドラマが描いた2020年10月と、現実の2022年12月

恵那が、自分が今切れる最善のカードとして選んだのは「本城彰(瑛太)を逮捕させること」「本城彰に関する報道に一切邪魔をしないこと」だった。

その後、どこかに電話をかけた斎藤は、今夜のトップニュースで出して構わないと言い、「取引」が成立。ニュースは無事放送され、件の牛丼屋での打ち上げシーンとなる。

そして、舞台は2020年10月になり、恵那は変わらず『ニュース8』のキャスターを続けていた。「首都新聞」の記者・笹岡まゆみ(池津祥子)は大門を厳しく追及している。出所してきた松本とチェリーは、カレーとケーキを食べている。

村井と拓朗は「村井映像企画」で忖度のないメディアを目指しているが、入口に「STOPハラスメント」のステッカーを貼りつつ、村井は拓朗に相変わらずちょっとパワハラしていて、エピローグでは拓朗が恵那との会話を述懐する。

「『これから君はどうするの?』と浅川さんに聞かれて、『正しいことがしたいです』って答えた。そしたら浅川さんは言った。『あのね、岸本君。どっちが善玉で、どっちが悪玉とか、ないらしいよ。この世に本当に正しいことなんてたぶんないんだよ』。『マジっすか。じゃあ、僕はどうすればいいんですかね』って聞いたら、『だから正しいことをするのは諦めて、代わりに夢を見ることにしようよ』と浅川さんは言った。そっか……と思ったけど、いったいどんな夢を見ればいいのかが、僕にはまだわからない」

この物語のラストシーンは2020年10月。松本は釈放されたが、本城彰が逮捕されたかはわからないし、大門によるレイプ事件もみ消しも、亨が殺された真相も明るみに出ていない。今後大門が失脚するとしたら、それはもしかしたら政府与党内で首のすげ替えが行われ、大門が用済みとして引導を渡される時かもしれない。

そして、2022年12月の「現実」はと言うと、政治と宗教の強い結びつきが発覚したほか、東京五輪汚職事件が次々に発覚、敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有を含む国家安全保障戦略(NSS)など安保関連3文書が閣議決定され、さらに防衛費増額1兆円分の増税を表明したことで支持率25%、不支持率69%という発足以来最低の世論調査結果が報じられても、ご満悦ですき焼きに舌鼓を打つのが、政治家トップの姿である。

しかし、そんな「現実」を導いたのは、長年にわたる「傍観」や「諦め」を繰り返してきた私たち自身だ。

『エルピスー希望、あるいは災いー』(C)カンテレ
『エルピスー希望、あるいは災いー』(C)カンテレ

「テレビの力」と「テレビの限界」をテレビドラマが描くこと

そう思うと、スッキリした顔で大盛り牛丼を頬張る恵那たちの笑顔よりも、心に残るのは、無念のままに殺された亨が、拓朗にかすかな「希望」を見出しときの穏やかな笑顔だ。

恵那の選んだ「取引」のカードは、本当に正しかったのかとモヤモヤする。いや、正しいカードなんて本当はないのだろうし、少なくとも必死で戦い、一つの大きな収穫を得た恵那たちを非難することなんて、誰にもできないだろう。

そして、「正しいことをするのは諦めて、代わりに夢を見ることにしようよ」と言った恵那のラストシーンのアップでの「真実をまっすぐに。ニュース8です」にゾッとしつつ、大門を追及する「紙媒体」の笹岡と、映像で「ネットメディア」に参入する村井&拓朗に希望を求めてしまう。

つまり、「テレビの力」と「テレビの限界」を同時に描いている作品に見える結末だが、それを連続テレビドラマで描いたことの凄さ。

奇しくもここ数日、フジテレビの若い女性政治部総理番記者が昨年12月31日に『JJ』のインタビューを受けた記事での言葉がSNSで掘り起こされ、注目されている。

「私が取引先の立場だったら『嫌』と感じることはしないようにしています。相手が心地いいと思える距離で、相手の心に寄り添い、信頼されるような記者とは、と客観的に考えながら行動しています」

テレビ局の報道とは、政治部記者とはと考えさせられてしまう、何とも皮肉なオマケである。

ちなみに、もう一つ気になるのは、第9話までのエンディングで映し出される「株式会社パンドラ」と書かれた箱の賞味期限が、ドラマ放送開始日の2022年10月24日だったこと。チェリーが松本と二人でケーキを食べていたのは、2020年10月。つまり、エンディングでテレビを観ながら一人でケーキを食べていたチェリーの姿は、松本の冤罪を信じ続けていた年月分の無念の姿だったのか。

2年前で物語を終わらせた意味と、「今」に至る道筋、そしてこの先のパンドラの箱の中に残るものについて、改めて私たち一人ひとりが問い直したいと思わされるドラマだった。

(田幸和歌子)

エンタメライター/編集者

1973年長野県生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーランスのライターに。週刊誌・月刊誌・web等で俳優・脚本家・プロデューサーなどのインタビューを手掛けるほか、ドラマコラムを様々な媒体で執筆中。エンタメ記事は毎日2本程度執筆。主な著書に、『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など。

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