『この世界の片隅に』が話題の〈のん〉。”創作あーちすと”として、渡辺えりの舞台に絵を描き下ろす。
のんという名になり、すずという当たり役を得て、すっかり『この世界の片隅に』(片渕須直監督)のひとになってしまった感じだが、『あまちゃん』のことも忘れないで〜と思っていたところ、のんが朝ドラ『あまちゃん』(13年)で共演した渡辺えり(海女クラブの弥生さん役、現在は大河ファンタジー『精霊の守り人シーズン2 悲しき破壊神』にも出演)が主宰、脚本、演出、振付、出演……と大活躍するオフィス3◯◯(さんじゅうまる)の舞台『鯨よ! 私の手に乗れ』のアフタートークに出演した。1月27日(金)のことだ。
のんが描いた鯨の絵の魅力
のんはこの芝居の劇中に出てくる絵を描いている。芝居上でその絵を描いている設定の俳優は、『あまちゃん』で海女クラブの“メガネ会計ババア”を演じていた木野花(現在は連ドラ『視覚探偵 日暮旅人』に出演中)だ。その絵は、大きな鯨に乗ったふたりの女の子で、ポスターにもなり、パンフレットの表紙も飾り、サイトのトップ画にもなり、チラシの裏にも使用されている。
絵柄や色合いはファンタジックでかわいらしいが構図が大胆で目を引く。アフタートークで渡辺えりが、空を描いてほしいなどリクエストをしたと言っていた。芝居に出てくるシロナガスクジラの英名がブルーホエールだったので、のんが塗ったブルーとイメージが合致したそうだ。黒や紺で鯨を描かなかったのんのセンスはさすが“創作あーちすと”。「アーティスト」ではない、「あーちすと」だ。現在発売中の「美術手帖」で行っている奈良美智との対談のなかでは「ちょっと胡散臭い感じで」と笑い話にしている。
のんは現在、女優のほかにこの“創作あーちすと”の肩書でも活動していて、LINEスタンプ「黄色いワンピースのワルイちゃん」の販売や、前述の「美術手帖」での対談などで、その感性の高さを披露している。『あまちゃん』のロケ地となった岩手県・久慈が昨年、台風10号による災害に見舞われ、秋祭りが中止になった際、のんは慰問し、商店街のシャッターに絵も描いた。
『あまちゃん』の「あま絵」(視聴者によるドラマの似顔絵、朝ドラ『ゲゲゲの女房』(10年)や大河ドラマ『平清盛』(12年)の頃から盛り上がりはじめ、『あまちゃん』で決定的になった。いま現在も放送と同時に、SNS にイラストがあがる。情報番組『あさイチ』でドラマの出演者が出るとFAXで送られてきたたくさんのイラストが飾られる)でもお馴染みの漫画家・青木俊直は、のんの絵をこう評する。
「イノセントで大胆! 久慈のシャッター絵をためらいなくぐいぐい描いていく姿みて、なんというか、本人と描かれた絵との距離がとても近いと感じました! のんさんの絵というか絵がのんさん!」
渡辺えりもアフタートークでのんのことを「嘘がない」と褒めていた。
のんが演じた『あまちゃん』のアキも、『この世界の片隅に』のすずも、役と本人が融合して、まるで実在する人物のようになり、その喜びや痛みの感情が観ている側にぐいぐい浸透してきた。のんは、俳優の道を志すものであれば誰もがそうでありたいと望みながらなかなかなれない、ビビッドな感情を伝えられる稀有な俳優で、それは絵でも変わらない。
俳優やお笑い芸人で絵も描くマルチな才人は、最近話題の西野亮廣をはじめとして枚挙に暇なく、北野武、ジミーちゃん、片岡鶴太郎 鉄拳、大野智、工藤静香などが個展や作品集の出版など本格的な創作活動を行っている。例えばのんも今後その仲間入りをしていくとしても、ちょっとまた異色なポジションをキープしていくような気がする。
ありがとう、素敵な舞台に出会わせてくれて
『あまちゃん』も『この世界の片隅に』も、のんによって、その世界観が絵空事じゃない、自分の記憶にもつながる生々しくも愛すべき作品になった。今回、またしても私はのんに「ありがとう、この作品(『鯨よ! 私の手に乗れ』)に出会わせてくれて」と言いたくなった。彼女目当てで観たこの舞台が秀作だったからだ。
渡辺えりの実体験が元になった作品で、舞台は架空の地方都市にある介護施設。そこに入所している認知症の母(銀粉蝶)を見舞いに来るのが、渡辺自身がモデルになっている、東京に出て演劇をやってもう60歳になった主人公(桑原裕子)。施設にいる母と同世代の女性たち(木野花、久野綾希子、鷲尾真知子)は40年前、母と劇団をやっていたメンバーだ。彼女たちには、当時、ある事情で上演できなくなり、いつかやろうと約束していた幻の作品があった。40年の時を経て、幻の戯曲の内容と現実が奇妙にリンクする。どこまでが虚構で、どこまでが現実で、そしてどこまでが認知症患者の脳内なのか。すべてが混じり合いうねり、怒涛の展開に……。
還暦を過ぎてもなお精力的に演劇をつくり続ける渡辺えりの実人生……介護をはじめとした高齢化や地域格差等の現代社会の問題を見つめつつ、今とはまるで違った戦中戦後の女の立場とそのため味わう苦しみを思い、さらには渡辺が演劇をはじめた6、70年代に隆盛だったアングラ演劇の歴史なども振り返りながら、それらが母と娘の話として結晶化していく。朝ドラではここまで描けないだろうと思うような特濃な女の一生。それをベテラン女優と中堅、若手が一丸となって演じる。
渡辺えりや木野花の表現の鮮やかさは映像よりもやっぱり舞台で観たいもので、のんの心を奪ったふたりの凄い出で立ちは見逃せない。
そして、のんが描いた絵は、猛烈に熱情あふれる渡辺えりが、いつまでも持ち続けているピュアな少女性のようなものを感じ取って形にしているような気もするのだ。