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医者からみた安全な富士山登山 2015

中山祐次郎外科医師・医学博士・作家
河口湖からのぞむ富士山(写真:アフロ)

2013年(平成25年)6月に「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の名で世界文化遺産に登録された富士山。

もっとも登りやすいとされる吉田ルートでは、週末は1日に3,000人を超える登山客が訪れる。

その一方で、毎年遭難者、死亡者が出ている。

今回筆者は、吉田ルートで富士山頂まで登頂した経験から、医学的見地に立った安全な富士山登山についてまとめた。

対象は初めての登山をする方から初級・中級まで。

1、準備

シーズンは7月上旬から9月上旬までだが、もっとも混雑するのは8月上旬である。

前もって登山の計画を立て、決して勢いやノリで登らないこと。そして登山経験者をリーダーとしていると良い。

初心者は必ず「吉田ルート」から登ること。一番楽で、山小屋の数が多いからだ。

登山グッズは専門用品のレンタルを

装備については、絶対に必要なものはシューズ、登山専用の雨具・防寒具、食料、水、ヘッドライト・手袋だ。

スニーカーにジーパンで登頂した話などを聞くが、危険でしかない。

登山グッズは比較的高価だが、富士山のふもとにはいくつものレンタルショップがあり、1万円程度で全ての必要装備品がそろえられるところもある。

シューズがなければ膝や足の怪我に直接つながる。手袋がなければ、手足でよじ登るような岩場で手を切って怪我をする。

防寒具は、特にご来光を見る場合には必須だ。頂上付近は0度を下回ることもあり、低体温症におちいる危険性もある。夏でもフリースを持っていくべきである。

特に、登山専用の雨具は必須アイテムだ。ふもとは晴れていても山の上は天候が変わりやすく、強い雨風にさらされることがとても多い。

装備品の充実は、厳しい登山を少しでも快適に、安全にし、登頂成功率を上げるのだ。迷うのなら登山グッズのレンタルを。

筋トレ・ランニングはケガ予防に

日常的に運動をしていない方であれば、最低でも1ヶ月前くらいから筋トレとランニングをしておくことを強くお勧めする。

目安としてはランニングは5kmを35分で走れれば十分だろう。

富士山は高地で、大気中の酸素濃度が低く、まるで分厚いマスクをつけながら走っているようなものだ。筆者の登山時の測定でも、8合目以降は体内の酸素飽和度SpO2は90%程度で、一番しんどいところでは85%程度まで落ち込んだ。

この値は、平常であれば救急車を呼ぶほどの息苦しさである。

そして体内の酸素が足りない結果、心臓が心拍数を増やすことで各臓器への酸素の供給を代償する。心拍数は8合目以上では常に120を超えるくらいになる。この過酷な状況のためには、ランニングで心肺機能を鍛えておくと良い。

また、筋トレはわざわざジムに通うのも面倒という方も多いだろう。そこで、駅などの階段はすべてエスカレーターを使わず登り降りし、できれば一段飛ばしで登り降りする方法を勧める。

これは、富士山登山では普段と違う筋肉を使うからだ。日常的には使わない大腿四頭筋の近位(登り)や遠位(降り)と膝の周囲の筋、足の裏の足底筋、そして重い荷物を背負うため背中の脊柱起立筋群がこれにあたる。この筋トレをしておくと、降りに泣きながら痛みに耐えて下山することがなくなるだろう。

食料と水分、酸素は多めに

富士登山ではご来光を見る目的の方が多いと思う。山小屋で宿泊する、しないに関わらず、チョコレート、カロリーメイトなどは必須アイテムだ。富士登山の消費カロリーは、正確には測定できないが4000kcalを優に超えると思われるため、健康な若い人であっても「低血糖症状」に簡単に陥りやすい。これは脳のエネルギー源として必要な血中のグルコース濃度が下がった状態であり、眠くなってきたり、ぼんやりしてきたら要注意だ。決して富士山でダイエットしようとは思わないことが重要だ。私は同行者の低血糖症状に備え、市販の「ブドウ糖」を持参し重宝した。

水分は途中途中の山小屋でも購入できる(500mlペットボトルが500円)が、最低でも1.5Lは持参していきたい。ただの水よりも、塩分・糖分も一緒にとれるスポーツドリンクや経口補水液(OS-1)が強く推奨される。意外だがお茶はカテキンの利尿作用により脱水に陥る可能性があり、おすすめできない。

猛暑の中の登山は熱中症にかかりやすいし、低体温症や高山病に対しても十分な水分補給は重要だ。

また、酸素については酸素缶が市販されており、高山病発症時には効果を発揮する。が、激しい高山病(絶え間ない頭痛、嘔吐)の時には効果は一時的で、治療の量としては全く不十分なので過度の期待はしない方がいいだろう。圧縮型酸素(10Lで小さいボトル)を一人2本ずつくらいは最低でも持っていきたい。だが、高山病が発症したら、基本的には下山する以外の改善方法はないことは、肝に銘じておこう。

2、いざ登山

ここで最重要なことは、リーダーを決めること、そして目的は「全員が無事で下山し帰宅すること」であり「なんとしても登頂すること」ではないということを確認したい。毎年死者を含む遭難者が出る山であり、いつでも引き返すつもりで登って欲しい。地球と太陽の距離は149,600,000 kmであり、100メートルや200メートルの高度の差は完全に誤差。ご来光は、8合目で見ても頂上で見てもまったく同じくらい美しい。

登山スピードは、みんなで会話しながら登るくらいが良い。それ以上ペースをあげても、それほど到着時刻が早くなるわけではない上に苦しい思い出しか残らないからだ。登山中に山小屋のスタッフの方に聞いたが、どうしても急ぎたい時のコツは「休憩の回数は減らさずこまめにとり、その代わり一度の休憩時間を短くする」ということだそうだ。それは体内の酸素濃度を休憩時に平地レベルまで上げるという点や筋肉の疲労回復の点からも医学的に理にかなっている。

そして休憩のたびに毎回お菓子やチョコなどをつまむこと。これで低血糖は避けられる。

服も着脱をこまめにする必要がある。猛烈な暑さから、急激に気温が低下していくのが富士登山。熱中症も低体温症もリスクがある。

もし誰かがケガをしたり、どこかを痛めたりした時。

絶対にやってはいけないのは、その人ひとりを残して他のメンバーは登山を続けること。

必ず最低でも怪我人以外に二人は残す必要がある。一人だけ残してその人が倒れたら遭難するからだ。

基本的には、誰かが登れなくなったらメンバー全員がそこでリタイアすることを登山前に話し合っておきたい。聖なる山でのいさかいや仲間割れはみっともない。

富士山のご来光
富士山のご来光

3、下山

下山道は長く、疲れたからだと足の筋肉にあまりに過酷な下り坂が延々と続く。

ここで膝に負担が来て、下れなくなることもある。もともとスポーツで膝を痛めていたり、太った方やご高齢の方は注意が必要だ。

なお、7合目と6合目には、そこから馬に乗って下山させてもらえるサービスがある。現金しか使えないため、キャッシュは多めに持っていきたい。山岳レスキューの専門家は、「怪我のほとんどは下りで発生する」と指摘する。登りで生じた疲労と、「帰り道」という気のゆるみのせいだそうだ。

思ったより過酷な富士登山。

十分な準備で、そのハードルは少し下げることができる。

目を見張るような雲海や夕陽、ご来光、そしてあの美しい山に登ったという経験は、生涯忘れられないものになるだろう。

最後になるが、ごみは必ず持って帰ろう。せっかくの世界遺産を、日本人の手で汚すわけにはいかない。

安全な登山を祈念し、この稿を閉じる。

(謝辞)

本稿執筆にあたり、情報を提供してくださった山岳での診療経験のある高橋亜紗子医師に感謝申し上げます。

外科医師・医学博士・作家

外科医・作家。湘南医療大学保健医療学部臨床教授。公衆衛生学修士、医学博士。1980年生。聖光学院中・高卒後2浪を経て、鹿児島大学医学部卒。都立駒込病院で研修後、大腸外科医師として計10年勤務。2017年2月から福島県高野病院院長、総合南東北病院外科医長、2021年10月から神奈川県茅ヶ崎市の湘南東部総合病院で手術の日々を送る。資格は消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医(大腸)、外科専門医など。モットーは「いつ死んでも後悔するように生きる」。著書は「医者の本音」、小説「泣くな研修医」シリーズなど。Yahoo!ニュース個人では計4回のMost Valuable Article賞を受賞。

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