「首相新書」「政治家の覚悟」がトレンド入りした日に観る『スパイの妻』
ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)を受賞した黒沢清監督の映画『スパイの妻』が2020年10月16日に公開された。
1940年の神戸を舞台に、高橋一生演じる物産会社社長・優作と、蒼井優演じるその妻・聡子が、満州で関東軍が行っているペスト菌の人体実験に関するノートと記録映像の扱いをめぐって駆け引きを繰り広げる。
「ポスト・トゥルース」という言葉が流通するようになってから4年ほど経つが、何が真実なのか、何が本意なのかがここまで宙ぶらりんにさせられる作品は珍しい。
■疑いはじめるとキリがない
優作は満州で入手した人体実験の記録を国際社会に告発するという義憤に駆られ、同時にその危険さに聡子を巻き込みたくないと考えている(ように見える)。
聡子は愛する優作の身を案じ、危ない橋を渡ってほしくないと考えている(ように見える)。
優作は最後の最後まで本意が見えず、聡子も含めたすべての人を騙す。
謎めいた優作と、一途な聡子という対比に、一見思える。
しかし、聡子は旦那と自分との間に入ろうとするものは、たとえ甥を官憲に売ることになろうとことごとく排除して自分に関心を向けさせようとしているし、終盤ではどうも精神科病院らしきところに入院させられ「あいつが一番おかしい」と言われているところを見ると――もっとも、本人は今の日本ではまともであろうとすると狂人扱いされるのだ、といったことを話してはいるが――、作中で明示されていない部分も含めて、聡子は狂気に呑まれて振る舞っていたのかもしれないとも思えてくる。
優作の目的は、国際社会に人体実験の事実を告発してアメリカを参戦させ、日本の戦争を終わらせることだと本人が語っているが、彼が行動を起こす前にABCD包囲網は完成し、彼が何かしたことによって日米開戦や終戦に至ったわけでもない。とすると真の意図や目的はよくわからなくなる。
こんなふうに、一度疑い出すと、意図や振る舞いの意味に、確定的なことがあまりに少ないことに気づく。溺死体や剥がされた爪、貨物にハンマーで開けられた穴といった暴力の痕跡だけが確度の高い事実であり、それ以外は伝聞や本人の語りによる情報ばかりで、あやしいと思い始めるとキリがない。たとえば「聡子さん。あなたのためです」と繰り返し語る憲兵(東出昌大)の言葉や振る舞いも、恋心や旧知の仲ゆえの本心なのか、国家のために聡子に揺さぶりを入れているのか、どちらとも取れる描き方だ。
小道具の配置もそうだ。たとえば、聡子と優作がアメリカ行きの前に買い物に出かける露天商の売る宝石にしろ時計にしろ、偽物か本物かの判断は付かない。
夫妻が観に行った映画館でかかっている戦意高揚を目的としたニュース映画は、言うまでもなく事実を「盛っていた」。
優作は作中でずっと「僕はスパイじゃない」と言っているのにそもそも作品タイトルは『スパイの妻』。これも象徴的だ。
『スパイの妻』は、周到に、重層的に、真実や真意が確定しないさまを描いている。
■見え透いた嘘や改竄に抗するために
戦時中の日本が都合の悪い事実を盛ったり隠したりしていたこと、敗戦時に大量の記録を燃やして抹消したことは周知の事実だ。
嘘つき国家に抵抗するために、優作は、よりしたたかに嘘をつく。利権のため、見栄のために都合の悪いところを隠すためという底の浅い嘘や隠蔽、情報の破棄を行うのではなく、意図や本心が見えるようで見えない、得体の知れない三枚舌を使う。騙す手口が巧妙なだけでなく、正義のためなのか、不倫した女のためなのか、自由に生きたかったためなのか、そもそもの意図からして最後まで不確定なままだ。
はびこる見えすいた嘘に対して、もっとたちの悪い嘘をついてみせること。
そういう映画として観た。