節分の心理学:心の中の鬼を追い出そう
私達を不幸にするのは、心の中の鬼!?
■節分とは
節分は、「季節を分ける」という意味。季節の変わり目、区切りです。新年や新年度、入学、就職など、「区切り」は、私達の心を新たにしてくれます。
「古いものは過ぎ去り、全ては新しくなったのである」(新約聖書コリント人への第二の手紙 5章17節)という感じですね。
特に2月3日(または4日)の節分は、豆まきの風習と共に、私達に馴染み深いものです。最近は、「恵方巻」を楽しむ人も多いでしょう。
節分の豆まきは、「邪気を追い払う」ものです。
邪気とは、辞書によれば、すなおでない、ねじけた気持・性質やわるぎ、そして人の身に病気を起こすと信じられた悪い「気」のことを指しています。
豆まきは、病気や災難が家から出るように「鬼は外」「福は内」と唱えて行いますが、実は外から来る災難だけではなく、人の心の内側の問題もあるのでしょう。
さらに「福」とは、辞書によれば「幸い。しあわせ」のことですが、お金はとても大切ですけれども、幸せはお金や者だけでは得られないのは、人生の中で私達が学ぶことであり、心理学的にも実証されています。幸せは、私達の心と行動習慣が作り上げます。
■私達の心の中にある「鬼」
ポジティブ心理学の分野では、人間が幸せになれる考え方、行動習慣が科学的に実証されています。そこから逆に、人間を不幸にする心の「鬼」は、次のようなものです。
- 感謝を忘れた心
- 人に親切にできない無慈悲な心
- 人と比較ばかりする心
- 目標を目指せない心
- 友人や家族を大切にできない心
- 内面やプロセスを無視し、結果だけにこだわる心
自分だけが得をしようとし、相手を引きずりおろそうとし、「ありがとう」の心を忘れている人。自分なりの生きがい、目標を失っている人。このような人は、お金や健康や容姿に恵まれていても、幸せにはなれません。
失業も、病気も、災害も、とても辛いことです。できればない方が良いに決まっています。けれども、災難にあっても幸福を失わない人もいます。むしろ困難な目にあって、PTSD(心的外傷後ストレス障害)になるどころか、かえって成長する人までいます(PTG:心的外傷後成長)。
困難な出来事が人を不幸にするのではなく、出来事が不幸だと感じることで、人は不幸になっていきます。幸福な人は、困難に襲われない人ではなく、困難の乗り越え方を知っている人なのです。
旅先で雨が降ったときに、グチと文句ばかり言う人もいます。こんな人は、自分も周囲も不幸にするでしょう。でも、たとえ雨が降っても、「雨のおかげで空いていて良かった」とか「雨の景色も風流だ」などと思える人もいます。
旅先では雨が降らないほうが良いでしょう。でも、たとえ雨が降っても大丈夫、楽しい旅行にきっとできると思える人が、幸福になれる人です。
■子供の教育と節分
望ましい行動習慣は、できるなら子ども時代から身につけたいものです。「なまはげ」も「鬼」も、子供の教育のために活用できるでしょう。
子供にとって、怖い存在は必要です。鬼も悪魔も地獄も、子供の教育に一役かってきました。ただし、ただ怖がらせるだけではむしろ逆効果です。恐怖や孤独感は、子供の勇気を奪い、破壊的行動を生みかねません。
怖い存在もあるけれど、絶対に自分を守ってくれる存在を信じることも大切です。それが神であり、仏であり、サンタクロースであり、なまはげが来たときに、しっかり抱きしめてくれる父や母です。
子供を叱るときには、子供の存在自体を否定せず、子供の悪い行為を叱る必要があります。本当は良い子なのに、悪いことをしてしまったという発想での叱り方です。
私達が追い出すべき鬼は、私達の心の中に住んでいます。自分自身の考えや悪習慣こそが、私達の幸福を奪う「鬼」です。
我が家の子供が抱えている心の鬼は何でしょう。本当は良い子になりたいのに、どんな心がそれを邪魔しているのでしょう。子供と話し合い、子供と一緒になって、「鬼は外!」と心の鬼を追い出しましょう。