“カニばさみ”のクアウテモク・ブランコが市長選挙に当選
ラストゲームから1ヵ月半で市長に
6月7日投票されたメキシコの下院議員、州知事、州議会員などの総選挙で、サッカー界のカリスマ選手クアウテモク・ブランコ(42)が当選した。ブランコが当選したのはメキシコシティの南側にあるモレーロス州の州都クエルナバカの市長選挙。クエルナバカは別名“常春の町”と呼ばれる風光明媚で気候が過ごしやすい土地でメキシコの富裕層が別荘を構える町として有名。また昔から日産の工場があり、日本との関係も深い。
母国メキシコをはじめ、スペイン、アメリカのチームで活躍したブランコは昨年5月、アステカ・スタジアムで行われたイスラエルとの親善試合を最後に代表チームを引退した。それ以前からテレビで自身がホストを務める番組を持つなど選手兼タレントとして幅広くファンに親しまれていた。もうピッチに立つことはないと思われたが、昨年メキシコ1部リーグのプエブラと契約。2部落ちの危機にあったチームの大黒柱としてプレー。リーグ戦は4月18日のアトラスとの試合が最終戦。3日後の21日、カップ戦の決勝で名門グアダラハラと対戦し優勝したチームの一員として最後20分あまり出場。これが現役最後のゲームとなった。
投票日が近づき、テレビで選挙戦を戦うブランコを見て寝耳に水の印象がしたが、調べてみると、すでにプエブラでプレーしていた3月上旬に社会民主党(PSD)という政党から市長候補として指名されていたことが分かった。選挙戦が開始されたのが4月20日だったから、現役最後は非常に慌しかったと想像される。引退後は芸能界進出かテレビ解説者に転身すると思っていたが、政界入りとは驚き以外の何ものでもない。
どうも政党や周囲から相当、説得されたらしい。知名度抜群だけに“担がれた”に違いない。政治経験ゼロにもかかわらず、大した決断をしたものだと思う。それにしても現役プレーヤーから約1ヵ月半でいきなり市長に当選してしまうとはメキシコはすごい国だ。公示後、なぜクエルナバカで立候補したかチェックしてみたが、明白な答は出て来ない。「当選しやすかった」としか言いようがない。住民票をなかなかクエルナバカへ移さず、対立候補から叩かれたらしい。人気先行型の当選なのは事実にしても、大物俳優が以前アカプルコの市長選挙で落選しており、メディアはテレビを中心に連日、彼の壮挙を伝える。
メキシコのラ・ホルナダ紙(電子版)によると、開票率74.78%で対立候補に4千票の差をつけて当選確実が出たという。“クアウ”の愛称で呼ばれるブランコは選挙戦中、スローガンはシンプルだった。「私は政治家ではない。でも泥棒はしない。皆さんのように私は下層階級の出身ですから」。市長になるのに「政治家ではない」とは随分矛盾する発言だが、当選直後の記者会見でもチェックのシャツにジーンズと飾らない服装で臨み、庶民の味方を強調した。
貧民街育ち。予選突破の請負い人
ブランコのキャリアをざっと振り返ってみよう。彼がグアダラハラと人気を二分する大クラブ、アメリカでデビューしたのは92年。19歳の時だった。後年プレーヤーとしてアイドル的存在に昇華するのは育った場所が「テピート」というメキシコシティの中心部に隣接するスラム街だったせいもあると思われる。先日、彼が少年時代、技術を磨いた町のグランドがテレビで紹介されていたが、子供たちは「明日のブランコ」をめざし懸命にボールを蹴っていた。
アメリカには07年まで15年間も在籍するだが、実際プレーしたのは97年までと05年からの計7年ほど。その間、同じ1部リーグのネカクサ、00年にはスペインへ渡りレアル・バリャドリードで2シーズン、メキシコへ戻りベラクルスで1シーズン、レンタル移籍してプレーした。その後07年から09年までアメリカ合衆国MLSのシカゴ・ファイアーに移籍。当時はデビッド・ベッカムに次ぐ大物選手の加入と騒がれた。途中08年、プレーオフに進出したサントス・ラグナ(メキシコリーグ)に文字通り“助っ人”としてレンタル移籍して参戦したことがある。
10年メキシコへ戻ったブランコは2部へ落ちたベラクルスに復帰。シーズン途中、2部降格の危機に直面したイラプアトと契約。しかしチームは残留できず翌年、名FWハレー・ボルゲッティもプレーしたドラドス・デ・シナロアに移籍。ここで現役引退が濃厚と見られたが、13年2部リーグに移り、最後はプエブラでキャリアにピリオドを打った。
メキシコ代表としてはフランス、日韓、南アフリカと3つのワールドカップでプレーした。02年の日韓大会予選では予選落ちの難局に陥ったチームを本番へ導いた。当時ブランコは膝の負傷とホームシックに悩まされ、レアル・バリャドリードでは満足なプレーができなかった。リーガ・エスパニューラで目覚しい活躍をしていれば、後のキャリアや国際的な評価が変わっていただろう。
ドイツ大会では慢性的な負傷が災いしたこともあったが、代表を率いたリカルド・ラボルペ監督との確執が召集されなかった理由だと噂された。チームに“ブランコ派閥”ができることを同監督が拒んだといわれる。だが南アフリカ大会予選ではスヴェン・ゴラン・エリクソン監督の後を継いだハビエル・アギーレ監督が就任すると、再び召集され、また救世主として予選突破に貢献。主将ラファエル・マルケスと並ぶチームの精神的支柱となった。
セレブリティーと浮名を流す
3つの大会で選手としての最盛期はフランス大会だった。昨年のブラジルW杯まで6大会連続ベスト16止まりのメキシコ。2-1で散った同大会のドイツ戦も思い出に残るが、グループリーグのベルギー戦でブランコはゴールをマーク(2-1でメキシコの勝利)。同じく2-2で引き分けたオランダ戦で得点を挙げたルイス・エルナンデスと交わしたパスが今でも私は忘れられない。
どんな選手だったか?
密集から抜け出すために両足でボールつかんで相手のチャージをかわす“クアウテミーナ”(カミばさみフェイント)は彼の代名詞となった。イマジネーションあふれるプレーが持ち味でポジションは2トップの一角、あるいはトップ下。独特のリズムでチャンスを構築し、自らゴールを狙った。ゴールを決めると両腕を上45度の角度で差し出すポーズが十八番。彼の支持者は誰もがこのポーズをまねた。
ピッチ外でブランコはゴシップネタの持って来いの提供者だった。一言といえばモテるのである。しかも相手の女性はセレブと呼ばれる一流どころばかり。彼はいわゆるイケメンと羨望されるタイプではない。彼が女優などセレブたちと浮名を流すのは人柄、人間的魅力の成せる業に違いない。初めはただの噂、ゴシップの域を出ていないと推測されたが、ツーショット写真や動画が掲載され、真実であることが発覚。同時に彼は有名人に対する異常な固執があることも事実である。メキシコの女優でテレビのバラエティーショーの進行役ガリレア・モンティホとは特に親密だったが結婚には至らず。またスターボクサー、サウル“カネロ”アルバレスの恋人だったTVセクシー・レポーター、マリソル・ゴンサレスと交際した時期もあったと聞く。
男気が魅力
そんなプレーボーイも今回、市長に当選し独身生活に終止符を打つと宣言した。実はブランコは再婚で、子供もいる。その時期がいつだったのかはっきりしないところが彼の女性遍歴の多彩さを物語っている。再婚の女性はナタリアさんといい、メディアにも紹介された。前妻との子供たちもいっしょに暮らすことになるという。彼女はプエブラの人だから、おそらくここ1,2年で知り会ったのだろう。
個人的にはどこかのチームの監督やタレントとして第2の人生を歩むと思われたが、周囲が“クアウ”にもっと大きなものを期待した。代表チームでアギーレ監督のたっての願いに応え約束を果たしたブランコだけに頼まれると断れない性格。そんな男気が彼の底知れぬ魅力なのかもしれない。反面、政治に関する実力は未知数。今回の当選の会見でも「(対立候補たちを)侵してやったよ」と語り、新聞ネタを提供すると同時に行儀の悪さが指摘される。それでもサッカーではチームが窮地に追い込まれるたびに、仲間を鼓舞して立ち上がらせた実績がある。市長就任後、公約を実らせてサクセスストーリーを歩むことを祈ってやまない。