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社会人野球日本選手権/絶賛開催中【1】マツゲンの和田がすごい!

楊順行スポーツライター
関係ないけど、京セラドームってつくづく宇宙船みたい(撮影/筆者)

「ラグビーでも、バレーボールでも、日本は分が悪いと思われた相手に勝った。スポーツにはそういうところがあるし、お客さんを味方にしてジャイキリを遂げたかったんですが……悔しいです」

 マツゲン箕島硬式野球部の和田拓也投手はそう、しぼり出した。

 クラブ選手権を制し、日本選手権に6回目の出場を果たしたマツゲン。初戦は大会第5日、今年の都市対抗で準優勝したトヨタ自動車が相手だった。社会人野球になじみのない方に説明すると、クラブチームと企業チームでは、素材や練習環境に大きな差がある。クラブのマツゲンが県立普通校だとするなら、企業チームは強豪私学だ。簡単にいえば、さまざまな制約があるクラブが企業に勝つのは、容易なことじゃない。現に、過去4回クラブチーム日本一に輝いているマツゲンも、日本選手権では未勝利の0勝5敗だ。だからこそ今季は、「日本選手権での1勝」(西村忠宏監督)が大きな目標だった。

 手応えはある。優勝したクラブ選手権では、エースの和田が2試合14回を投げて自責1という好投だ。クロスステップ気味の左腕から投げ込むストレート、そして多彩なスライダーとチェンジアップの緩急を使い、しかも制球よく組み立てれば、レベルの高い社会人チームでも打ち崩すのは容易じゃない。現に2017年の日本選手権の和田は、明治安田生命打線に対して5回3分の1を無失点に抑えているし、今年8月、日本生命とのオープン戦でも4回を1失点の好投だ。ただ……。

「クラブ選手権後に、ユニフォームのデザインを一新したんです」

 と中山晃一マネージャー。青を基調とした従来のものから、おもに和歌山県内でスーパーマーケットを展開するマツゲンの企業カラー・赤を中心としたものに変更したのだ。それはたとえば、企業の強豪であるトヨタ自動車とよく似たデザイン。中山マネージャーはいう。

「冗談で、選手権ではトヨタと当たるんちゃうか……といっていたら、本当にそのクジを引いてしまいました」

 念願の日本選手権1勝を果たすには、難敵といっていい。

企業チーム屈指の強豪に大健闘

 だが、マツゲンは健闘した。先発した和田が2回、不運なヒットから1点を献上したが、一歩も引かない投手戦だ。結局和田は、強力打線を相手に4安打1失点。ただ、打線がトヨタの栗林良吏をとらえきれず、悔しい敗戦……。それが冒頭、和田の発言につながっている。

「都市対抗のビデオも見ていましたし、相手の威圧感に最初は浮き足立ちました」

 と和田はいう。

「ですが優勝候補を相手に、3回以降は自分のピッチングができました。捕手の中原(良照)とは同期入社で、職場も同じなので休憩時間にもトヨタ対策を話し合っていたんです」

 それにしても、企業チーム相手に十分以上のピッチングだった。クラブ選手権男ともいえる和田。今季の同大会では、17年に続き、大会史上初めて2度目の最高殊勲選手賞を獲得。17年は18回3分の2を自責0と今季以上の投球内容で、準優勝だった18年も、19回3分の1を投げて自責4。入社4年目にして、ここ3年のクラブ選手権では7試合に投げて6勝無敗だ。合計52イニングで自責5の防御率は、驚異的な0・87なのだ。ただ今季の最高殊勲選手賞については、

「ケガの功名なんですよ」

 と和田はいう。春先に左肩腱板を傷め、5月までピッチングができない状態。病院をはしごしても、なかなか痛みが引いてくれない。投げても痛くない腕の位置をなんとかさぐりながら、上手投げをやや横手気味にすると、「打者のリアクションが変わってきたんです」(和田)。球速は130キロ中盤ながら、球の出どころが変わって、左打者にとっては背中側からボールがくるし、右打者は内角をえぐられる。従来和田とバッテリーを組むことが多かったベテラン・水田信一郎によると、「球速は落ちましたが、まっすぐの伸びも、変化球のキレも、以前より増しています」。それが、クラブ選手権での完璧な投球につながったといえる。

 企業チーム相手に、またもジャイアント・キリングは果たせなかった日本選手権。だが和田個人は、「微妙に動く球は、わかっていても打てない」(トヨタ自動車・藤原航平監督)と十分に存在をアピールした。これは素人目だが、来年の都市対抗では、クラブチームから企業チームに補強されることも十分ありうるのではないか。いや、失礼した。和田が健在なら、マツゲンの都市対抗出場だってまんざら夢じゃない。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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