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公判開始の大口病院連続中毒死事件被告と相模原障害者殺傷事件・植松死刑囚の意外な接点

篠田博之月刊『創』編集長
10月1日の大口病院事件初公判は大きく報じられた(筆者撮影)

相模原事件と時期を同じくして起きた事件

 10月1日、横浜地裁で大口病院連続中毒死事件の裁判が始まった。事件が起きたのは2016年7~9月だから、初公判まで異様に長い時間がかかったわけだ。元看護師だった久保木愛弓被告が入院患者の点滴に消毒液を入れるなどして病院内で連続殺人を行ったとされる重大事件だ。

 実は2020年3月、同じ横浜地裁で公判が開かれた相模原障害者殺傷事件の植松聖死刑囚が、この事件の久保木愛弓被告に強い関心を持ち、手紙や差し入れを行っていた。2つの事件に共通性があると、植松死刑囚自身が考えていたことを示すものだ。

 つまり「命の選別」ということなのだが、今回の初公判で明らかにされた動機を見ると、植松死刑囚が思っていたのと少し違う気もする。でも言い換えれば、当時の植松死刑囚が何を考えていたか知る参考にもなるので、ここで経緯を書いておこう。

 この大口病院事件は、ちょうど2016年、相模原事件と時を同じくして起きたものだ。初公判についての報道を見ると、弁護側は被告の刑事責任能力を争点とするようなので、鑑定にも時間をかけたろうし、論点整理に異例の時間がかかったのだろう。

 これまでの報道では被告の認否を含め、いったい裁判がどうなるのかよくわからなかったのだが、初公判で意外にも久保木被告は起訴内容をそのまま認めたようだ。殺害されたという元患者だけで3人、そのほかに同様のことを行ったと自供しているようだから、死刑事件になる可能性がある。弁護側は、事件当時、被告が心神耗弱だったと主張しているようだ。

「命の選別」をめぐる植松死刑囚自身の着目

 さて、この事件と植松死刑囚との関わりだが、実は2020年3月頃、連日、植松死刑囚に接見していた私はその報告を連続してヤフーニュースに書いており、久保木被告との関わりも、一度記事にしていた。それを引用しよう。

《(2020年)3月頃になって、植松死刑囚は、大口病院事件の久保木愛弓被告についてしきりに気にするようになった。大口病院事件については忘れている人も多いだろうが、ちょうど相模原事件の起きた2016年夏に同じ神奈川県で起きたものだ。当時から相模原事件と通じるものがあると感じていた人もいたようだが、驚くべきことに植松死刑囚自身が、自分の事件が背中を押したのではないかと、責任を感じているというのだ。

 植松死刑囚は久保木被告に手紙を送り、最近、面会に来た記者や私に依頼して、本や現金を差し入れた。突然そういうものが届いては驚くだろうと思い、私は本と一緒に手紙も入れて説明した。そしたら、お金については、届いたとたんに「受け取り拒否」をしたようで、現金書留封筒のまま返送されてきた。どうやら相模原事件と自分のことは関係ないという意思表示らしい。それについては面会の時に植松死刑囚に説明し、お金は彼に戻すために差し入れた。

 ただ植松死刑囚が犯行の動機にした「命の選別」は、この社会のいろいろなところで起きている。月刊『創』(つくる)最新号の相模原事件特集では、渡辺一史さんや作家の雨宮処凛さんらの座談会も載っているのだが、雨宮さんが最後に、2018年、人工透析の女性の遺族が福生市の病院を訴えた事件を、相模原事件と通底するものだと指摘している。いずれにせよ相模原事件はこの何年かの「命の選別」という社会風潮と関わっていることは間違いない。》

自分の死刑確定の時期に、久保木被告へ執着

 経緯は以上の通りだが、2020年3月頃、植松死刑囚は手紙や面会でしきりに久保木被告の話をし、どうにかして自分の思いを彼女に伝えたいと言っていた。つまり自分の事件と共通性を感じたというわけだ。

 本当はそうした植松死刑囚からのアプローチを、久保木被告がどう受け止めたか、手掛かりになるようなものがあるとよいのだが、彼女はそういうものを残すことを恐れたようで、植松死刑囚に頼まれて送った現金の差し入れも開封せずに受け取り拒否で戻ってきた。

 当時私が現金や植松死刑囚に頼まれた書籍差し入れとともに久保木被告に書いた手紙の一部を紹介しよう。

《突然、本が送られてきて、いったい何事かと思っておられることと思います。

 私は月刊『創』(つくる)という雑誌の編集長です。そして今回お送りする書籍5冊は、同じ横浜拘置支所にいる、相模原事件の植松聖さんに頼まれて差し入れするものです。同じ拘置支所内で本を差し入れたりするのは困難なようで、私は植松さんに頼まれてあなたに5冊を送ります。

 植松さんは以前、あなた宛てに手紙を書いたようです。そこで説明したのではないかと思いますが、彼が2016年7月に津久井やまゆり園で事件を起こし、その後あなたが逮捕された事件が起きたので、植松さんは自分の事件があなたの背中を押したのではないかと危惧し、気持ちの上で少し責任を感じているようです。

 あなたにすれば関係ないということかもしれませんが、植松さん本人はそう思い込んでいるようなのです。

 私が宅下げで5冊を預かったのは3月30日でした。その後、本日も接見し、同席した記者2人が似たような依頼をされてあなたに本を差し入れました。これも知らない人からで驚いたことと思いますが、そういう事情で差し入れたものです。

 さらに私は、あなた宛てのお金も預かっているのでそれは現金書留で送ります。そのほかお弁当とお菓子を差し入れるよう頼まれています。

 植松さんの事件については、この間、裁判があって報道されているのでご存知かと思います。あなたにすれば、別の事件だし、植松さんと関わる気もないということかもしれません。ですから差し入れられた本などにもし興味がないという場合は、処分していただいても構わないと思います。

 一方的に本を送ったりお金を送ったりということで申し訳ありません。》

2021年6月、植松死刑囚から届いた手紙(筆者撮影)
2021年6月、植松死刑囚から届いた手紙(筆者撮影)

 植松死刑囚が久保木被告に連絡をとろうとしていた3月末といえば、彼が控訴取り下げ手続きを行って、死刑を確定させようとしていた時期だ。そういう時に、最後にこれだけはやっておきたいと考えたわけだから、彼にとっては大事なことだったのだろう。

 植松死刑囚本人は、自分が久保木被告の背中を押したとすれば責任を感じるので…と語っていたのだが、私は実際は少し違うのではないかと思っている。彼は自分のやったことが影響を及ぼしたひとつの事例ではないかと考え、それを久保木被告本人に確認しようとしたのではないかと思うのだ。

 つまり植松死刑囚が、控訴取下げ・死刑確定という時期に、久保木被告にこだわったのは、自分のやったことが社会にどんな影響を及ぼしているのか確かめたいと思ったのではないだろうか。死刑を覚悟して死を受け入れるにあたって、自分の行為がどんな社会的意味を持ったのか、確認したいという気持ちにかられたのではないだろうか。そうでないと、その時期、あれほど久保木被告の事件にこだわりを持ったことの説明がつかない。その意味では、このエピソードは、植松死刑囚について考えるひとつのヒントを提供しているように思う。

 大口病院事件を植松死刑囚がどう感じていたか興味あるので、今回のことをきっかけに、当時の植松死刑囚の手紙などをもう一度見直してみたいと思う。

 大口病院事件自体も興味深いので、裁判もウォッチングしてみようかとも思うのだが、何せ忙しいのでどうなるかわからない。何かわかったら順次公表して行こう。

 なお3月末前後の植松死刑囚の手紙などは『パンドラの箱は閉じられたのか』(創出版刊)に詳しく載せている。ここで書いた久保木被告とのやりとりもそこで一部紹介している。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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