【九州三国志】龍造寺隆信の少年時代と家督相続!門戸を押さえし僧侶が、家督を継ぐ戦国武将へ
享禄2年(1529年)、龍造寺隆信は肥前佐賀郡水ヶ江城にて誕生しました。
その幼き頃、彼は宝琳院の豪覚和尚に預けられ、「円月」として僧侶の道を歩み始めたのです。
幼少の隆信は、ただ物静かな僧侶ではなく、少年ながらも人並み外れた腕力と知恵を持つ逸材でありました。
一例として、寺の門戸を押し寄せる領民たちを一人で押し返し、その剛腕で彼らを恐れさせた逸話が伝わっています。
しかし、彼の運命は波乱に満ちておりました。
祖父や父が謀反の嫌疑で誅殺されると、隆信は曽祖父・家兼に連れられ脱出。
その後、家兼の遺言により還俗し「胤信」と名乗り家督を相続しました。
一族間の不和も八幡宮での籤引きにより収め、さらには主君・少弐冬尚を攻めるなど、戦国武将としての道を歩み始めたのです。
そして大内義隆の庇護を得て「隆信」の名を授かり、内外の不満を抑えつつ勢力を築きました。
その母・慶誾尼の策略により、名将鍋島直茂をも一族に迎え入れ、隆信は武将としての基盤をさらに固めていったのでした。