【九州三国志】龍造寺氏の出自と家紋!戦国の世に翻弄された一族の興亡
龍造寺氏の歴史は、出自からして謎に包まれております。
一説によると、藤原秀郷の子孫である藤原季善が、仁平年間に肥前の地へ移り住み、龍造寺村を拠点としてその名を名乗ったことが始まりとされているのです。
しかし、藤原道隆に繋がる草野季貞の血筋を引く高木季家が養子として迎えられたという説も存在し、諸説が交錯しております。
龍造寺氏の家紋には「日足」「剣花菱」「杏葉」の三種が知られており、特に日足紋は、北部九州独特の太陽光を象徴する珍しいものでございます。
隆信の時代には、戦勝の記念として大友氏の杏葉紋を取り入れるなど、家紋の変遷にも激動の時代が色濃く反映されております。
室町末期、龍造寺家兼が主君・少弐氏を裏切り大内氏と通じて独立を果たしますが、その代償は大きく、一族の多くが命を落としました。
家兼は筑後の蒲池氏に身を寄せ、保護を受けて再起。曾孫の隆信もまた蒲池氏の支援により再び立ち上がり、龍造寺氏を復興させました。
このように、龍造寺氏は戦国の荒波に翻弄されながらも、多くの試練を乗り越えてその名を刻んだのです。