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八村塁にポジションを奪われたスーダン難民の希望

林壮一ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 1月25日、シカゴ・ミッドウェイ空港で思いがけない人物と再会した。昨シーズン、ロスアンジェルス・レイカーズでプレーしていた、パワーフォワードのウェイン・ガブリエル(26)である。

 身長206cmの細身の体は、空港内で目立った。声を掛けると、「いやぁ、久しぶり。こんなところで何してるの?」と応じた。フィラデルフィアからの取材の帰りだと告げると、「僕はこれからフィリーに行くんだよ」と言った。

写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 2022年3月1日に2way契約で“KING”レブロン・ジェームズのチームメイトとなり、およそ1カ月後に2年契約を勝ち取った彼だったが、2023年10月3日にボストン・セルティックスに移り、その僅か17日後に解雇された。現在は、ミルウォーキー・バックスの下部組織であるGリーグ、ウィスコンシン・ハードに所属している。

 NBA選手はチームのチャーター機で移動するが、Gリーグとなると、一般客に混じって、チケットを購入して飛行機に乗り込む。ガブリエルは、コンコースB内のハンバーガーショップを幾つか見て回りながら、腹ごしらえをしようとしている最中だった。

写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 八村塁と同期の彼は、日本のファンが熱い期待を寄せるレイカーズの背番号28にポジションを奪われる形で、チームを追われていた。

写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 1997年3月26日、スーダンの首都ハルツームで生を享けたガブリエルは、第2次スーダン内戦から逃れるために、生後2週間で3人のきょうだいと共にエジプト、カイロに渡る。およそ2年後に、国連による難民支援を受け、英国を経由して一家で米国ニューハンプシャー州に逃れた。

写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 3歳でアメリカの地を踏んだガブリエルは、10歳でバスケットボールと出会い、未来を創ろうと心に決める。翌年から本気でNBA選手を目指した。高校時代にニューハンプシャー州を代表する選手となり、最終学年時にアメリカ国籍を取得。そしてケンタッキー大に進学した。

 2018年、アーリーエントリーしてNBA入りを狙うが、ガブリエルを指名したチームはゼロ。同年のサマーリーグに参加し、サクラメント・キングスとの2年契約を勝ち取る。しかしながら、試合出場の機会は与えられず、2020年1月20日にトレードされてポートランド・トレイルブレイザーズの一員となった。

 この時期に、私は何度かガブリエルをインタビューしている。

写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 「僕は3歳でアメリカに来た。両親は言葉の問題もあって、ブルーカラー労働者だった。苦労していることが分かったから、僕ら4人の子供たちは必死で学業に励んだ。両親からは『何事も一生懸命やりなさい。そうじゃないと、将来は拓けない』って教わったよ。

 バスケを始めたのは10歳の時。姉がやっていたので、その影響だね。フットボールも齧ったんだけど、背は高くてもヒョロヒョロだったから、バスケの方が向いているかなと思ってさ。周囲の友人たちにも勧められたしね。幼い頃から、毎日、とことん練習したよ。夢を実現するには、日々の努力の積み重ねと、自己を信じることが大事だと両親に教えられた。今、その言葉は正しかったと思う。練習するから自信に繋がるんだ。たとえ上手くいかない日があっても、夢を諦めないで進むことが大事じゃないかな。そうやってここまで来た」

 ガブリエルは自身の歩みをそう語り、「ブレイザーズと契約延長できるようにベストを尽くす」と言った。

写真:代表撮影/USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 だが、それは叶わず、ニューオーリンズ・ペリカンズ、ブルックリン・ネッツ、ロスアンジェルス・クリッパーズ、そしてレイカーズと渡り歩くが、10日間契約だったり、2way契約だったりで、NBAに定着できずに、Gリーグでのプレーを余儀なくされている。

写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 出発ロビーでハンバーガーを齧るガブリエルは、そんな状態に満足している訳もなく、表情が曇っていた。

写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 それでも、ケガなくプレーしている彼の姿に少しホッとした。もう一度、這い上がってもらいたい男である。そして、スーダン国民に夢を与える存在となってほしい。

ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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