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創部丸7年の初出場・啓新ものがたり(前編) センバツの話題その4

楊順行スポーツライター
2015年センバツでは敦賀気比が優勝と、ハイレベルの福井から啓新が初出場する(写真:岡沢克郎/アフロ)

 昨年8月7日。啓新(福井)の選手たちの姿が、甲子園のスタンドにあった。植松照智監督が、こう説明する。

「そこを目標としているのに、ほとんどの選手が実際に見たことがない。目標を明確にするためにも、その目で見ておこうじゃないか、と。ただし、急に思いついてその日の早朝に向かったのでチケットが手配できず、少人数ずつそれぞれ、バラバラにスタンドに陣取ったんですけどね(笑)」

 山下晃太部長はこう。

「まぶしい太陽、風、グラウンドの広さ、スタンドの大きさ……各自が、体で感じたと思います。また、甲子園では景色が違うので、送球エラーが起きやすいと聞いてはいましたが、ファウルグラウンドのフェンスの低さを見て、なるほどと感じましたね。地方の球場はフェンスが高いので、野手とお客さんが重なって見えることはそうありませんが、甲子園ではたとえば一塁手とお客さんが重なってしまう。全国クラスのプレーを目にしたことはもちろんですが、そういう面も含め、勉強になりました」

 今回のセンバツは8校が初出場で、春夏通じての初出場は4校。そのうち石岡一(茨城)、富岡西(徳島)は21世紀枠で、一般選考では札幌大谷(北海道)とこの啓新のみだ。両校はいずれも2000年代の創部とフレッシュで、とりわけ啓新は、出場32校中もっとも歴史の若いチームだ。

創部初年度に県ベスト4

 その校名を聞いたのは、2012年の秋だった。福井県大会で福井工大福井に勝ち、準決勝では翌春のセンバツに出場する春江工(現坂井)に敗れたものの0対1と善戦。北信越大会の出場をかけた3位決定戦も、福井商に結局延長10回でサヨナラ負けはしたが、一時は1点リードしての惜敗。それが啓新だった。 

 聞くと、なるほどである。もともとは、1962年に開設された福井女子高校がルーツ。98年に共学化すると、「いつか野球部をつくりたい」というのが、荻原芳昭前校長の口癖だった。芳昭氏は09年の夏、75歳で逝去。父の遺志を受け継いだのが、息子である昭人現校長だ。資金調達、受け入れ体制……などの条件をひとつずつ詰め、ようやく創部にこぎ着けたのがこの12年春だった。

 監督として招かれたのが、かつて東海大甲府(山梨)を率いた大八木治氏である。70年夏、原貢監督率いる東海大相模(神奈川)の控え捕手として、全国優勝を経験した。東海大を経て東海大相模のコーチ、東海大助監督から78年、東海大甲府へ。79年の監督就任後、81年夏の初出場を皮切りに、春夏11回の甲子園出場を果たした。その間の成績、17勝11敗も見事だが、春2回、夏1回のベスト4と、山梨県勢の最高を3回もマークしているのがすごい。チームづくりの手腕は折り紙つきで、甲府時代の教え子・久慈照嘉(のち阪神など)が「僕の原点は大八木野球」と絶賛するように、相手を徹底的に丸裸にし、弱点を突くのが真骨頂だった。

 91年限りで東海大甲府から東海大高輪台(東京)に移り、さらに神奈川の相洋へ。ただ、激戦地とあってあと一歩で甲子園出場はかなわず、やがてソフトボール部の指導を託された。それでも、その異分野でインターハイに出場するのだから、やはり非凡な指導者なのだ。ただ、野球を離れて5年もすると虫がうずいたのか、ツテを通じての荻原校長からの監督要請を二つ返事で引き受けた。

 こうして、高校開校50周年の節目である12年4月、啓新野球部が産声を上げる。つまり12年秋は、入学して半年の1年生だけで福井県のベスト4に進んだというわけだ。 当時のことを、大八木氏に聞いたことがある。

「ただ……2年間は、苦しかったですね。どうにか16人の1期生は集まりましたが、創部ほやほやですから、ボールもバットもない。OB会や後援会のしがらみはないですが、支援もない。甲府や相洋時代の教え子に頼み込んで使い古しのボールを譲ってもらい、用具も寄付してもらいました」

1回戦から神奈川のベスト16レベル

 当初は、グラウンドも雨天練習場もない。大八木氏は授業の合間に、空きはないかとグラウンド手配の電話をかけまくり、雨でも降ろうものなら、数少ない屋内施設の確保に忙殺された。それでも、練習場所が見つからずにミーティングだけですませた日もある。土日に練習試合で他校に出かけることが、もっとも効果的な練習だった。

 それでも初年度の4月21日には、初めての公式戦である春季大会に出場。3対6で武生に敗れはしたが、1年生だけでのスタートとしては上々といっていいだろう。夏は初戦、5対2で金津に勝ち、記念すべき公式戦初勝利。敦賀気比には1対5で敗れたにしても、全国的な強豪にそれなら、善戦の部類じゃないか。だが、大八木氏はこういった。

「それはそうなんですが、レベルの高い関東からきたからと、福井を低く見るのは大間違い。神奈川ならベスト8まではある程度計算できますが、福井は加盟校数は少ないながら、公立校でも力のあるチームが多いんです。まず勝てるだろう、という相手は数校で、そこに気比、福井工大福井、福井商……といった常連校も加わります。むろん、"よそからきた新参者の大八木には、簡単に勝たせるな"という、対抗意識も強かったと思いますよ」(つづく)

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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