何もないサハラ砂漠のど真ん中にポツンと一軒。肝っ玉おばあちゃんが1人切り盛りする店を訪れて
「サハラ砂漠」ときいて、どんな場所を想像するだろうか?
学校の授業でもだいたい触れられるように、サハラ砂漠は世界最大規模の砂漠地帯。おおよそ長さ2400に渡って続く。
その広大さゆえに、「不毛の地」をイメージしてしまいがちではなかろうか?
でも、実際は、複数の国またがる砂漠には400ごとに小さな村があり、それをたどるように作られた「ナショナル・ワン」のほか、いろいろな道が存在。日夜多くの人々が行き交う。
映画「サハラのカフェのマリア」は、そのサハラ砂漠のど真ん中にある、小さな雑貨店を切り盛りする女性店主、マリカの日常が切り取られている。
そして、そこに、わたしたちはさまざまな世界を見出すことになる。
カメラを回し始めた経緯から、作品の裏話まで、手掛けたアルジェリアの新鋭、ハッセン・フェルハーニ監督に訊く。(全四回)
マリカをじっとみていると、マジカルな瞬間が訪れて、映画的なシーンになる
前回(第二回)に続き、マリカの話から。
フェルハーニ監督は最高の主演女優だったと語る。
「もう撮影が進むにつれて、マリカが出し惜しみなしというぐらい自分という人間を出してくれたんですよね。
彼女の言葉やお店にやってきた人とのやりとり、そのときどきの佇まいから、砂漠で生きてきた彼女の人生が垣間見えてくる。
なにか彼女はみればみるほどフォトジェニックというか。彼女をじっとみていると、なにかマジカルな瞬間が訪れて、それこそ映画的なシーンになるんです。
ほんとうにすばらしい女優だと思いました」
マリカはあのような周囲になにもないところに店を開いた理由は?
それにしても、なぜマリカはあのような周囲になにもないところに独りで店を開き、住むようになったのか?
「プライベートなことなので、わたしも詳細は知りません。
ただ作品を見ていただけると少しだけわかるのですが、マリカはちょっと家族や親戚と疎遠になっていることは間違いないです。
映画の中の1つのシーンとして、彼女が電話をしていて、『もう自分は家族との関係を切った』といったようなことを口にする場面がある。
それで、僕はこんなことを言われました。『自分はここで新しい家族を持った。この道でつながっている仲間という家族を持った」と。
だから、いまは彼女にとって『ナショナル1』の道を行き来して、カフェに立ち寄ってくれる人たちが家族なんです。
そう彼女が言っている以上、深く家族のことを聞くことは無粋なのでやめました。
彼女が自身でそう決めたのですから、いくら親しくなったとはいえ、そこは踏み込むべきではない。彼女の意思を尊重すべきだと思いました」
マリカの店というのは、アルジェリアという国を物語っているともいえる
では、その彼女が開いたあの雑貨店=カフェは監督の目にはどう映ったのか?
「20平方メートル程度のスペースのほんとうに小さなお店ですけど、あの砂漠の地においてとても大きな存在といっていいでしょう。
前回、マリカと彼女の店は、オアシスと話しましたけど、実際問題として、サハラ砂漠で働く人にとっても旅行する人にとっても、ないと困ると思います。
逆を言えば、在ってくれることで助かる存在だと思います。ほんとうにサハラ砂漠の真ん中で周りにはなにもないんです。
ただ、よくよく考えると、マリカのカフェは地理的に言えばアルジェリアのちょうど真ん中にある。
だから半径60キロなにもないわけですけど、間違いなくマリカの店はアルジェリアの中心にあるんです。
辺境かもしれないけれども、ナショナル1を往来する人々、アルジェリアの人々にとってはまさに中心の場所ともいえる。
見方によってはあのカフェが軸となって、人はもとより情報や社会などいろいろなものが交差している。
映画を見てもらえればわかると思うけれど、マリカのカフェはほんとうに人や文化が混じり合っている。
それはアルジェリアという国の現状であり、これまで育んできた歴史をも映し出す。
そういう意味で、マリカの店というのは、アルジェリアという国を物語っているともいえる重要な場所ではないかと、わたしは思いました」
(※第四回に続く)
「サハラのカフェのマリカ」
監督:ハッセン・フェルハーニ
出演:マリカ、チャウキ・アマリほか
公式サイト https://sahara-malika.com/
全国順次公開中
写真はすべて(C)143 rue du désert Hassen Ferhani Centrale Électrique -Allers Retours Films