【九州三国志】伊東氏の没落!その哀れなる旅路と新たな始まり
伊東祐兵の運命は、日向国の都於郡城での誕生に始まりました。
父義祐の隠居、兄義益の早世といった波乱の中、幼き祐兵は飫肥城主となるものの、その繁栄は長く続きませんでした。
島津氏の侵略と家臣の裏切りが伊東家を打ちのめし、一族は豊後国へと逃れます。
さらに大友宗麟と連携し日向を奪還しようとするも、耳川の戦いで大敗を喫し、居場所を失った彼らは伊予国道後へと渡ることに。
道後での生活は貧しく、家臣は酒造りで糧を得る始末。
それでも祐兵は失意の中で機会を待ち続けます。
そんな折、山伏の三部快永が導いた縁が、羽柴秀吉との運命的な出会いを生みました。
1582年、秀吉に仕官した祐兵は山崎の戦いで活躍。
その後の賤ヶ岳の戦いにも従軍し、ついには領地を賜るまでに至ったのです。
伊東氏の没落と再興。
その物語は、時代の波に翻弄されながらも希望を抱き続けた一族の執念の記録として、今も語り継がれております。