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【静岡/浜松】地名の由来を巡る!三方ヶ原で大敗した家康は武田軍から逃げれたが老婆に追いつかれた?

旅人間はらぺこライター

はらぺこライターの旅人間です。今回は静岡県浜松市に伝わるユニークな地名の由来について紹介しましょう。これが本当に面白い!

時は戦国時代…。

三方ヶ原の戦いで武田信玄の率いる軍勢に大敗した徳川家康は敗走する。その途中、あまりの空腹で小さな茶屋に飛び込んで餅をもとめ食べた。

すると武田軍の追手が迫ってきたとの知らせが入り、家康は慌てて逃げだしたそうだ。餅の代金を払わずに…。

それを見た茶屋の老婆は「金払え~」と家康を追いかける。

必死で逃げる家康。追いかけるのは武田軍と茶屋の老婆。想像するだけで何だかカオスな情景が目に浮かびあがってくる。さて、どうなったのか?

武田の軍勢から無事に逃げることが出来た家康だったが、老婆には追いつかれたという。距離は約2キロ。老婆は家康から見事に銭を受け取った。

その茶屋のあった地域は「小豆餅」の町名が残り、家康が代金を支払ったとされる地域は「銭取」と呼ばれ今も町名が残っている。

ちなみに小豆餅の近くにある「御菓子司 あおい」では、その逸話にちなんだお菓子が売られている。本当に笑ってしまうほど面白い。

では、この”面白い逸話が残る地名”を巡ってみよう

三方ヶ原の戦いとは?

ところで、「三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)」って知っているだろうか?歴史が好きな人からすれば超有名だが、歴史はそれほど…って方からすれば、マイナーなのかもしれない。

ただ、この敗戦が天下人家康をつくりあげた重要なターニングポイントだったと言われる事が多い。つまり、人生の重要なカギを握る敗北だったと…。

背景を簡単に言えば、上洛を目指した武田信玄が2万5千の軍勢を率いて甲府を出発し、浜松城の北側に広がる三方ヶ原に進出した。徳川家康は、家臣の反対を押し切って1万1千(徳川軍8千、織田の援軍3千)の軍勢を率いて城を出て応戦する。

その結果…

徳川軍は武田軍の前に惨敗、総崩れとなり浜松城に退却する。

「小豆餅」と「銭取」の地名を巡る

今回の紹介する「小豆餅」と「銭取」の逸話は、三方ヶ原の戦いで大敗した家康が城に逃げ帰る途中の出来事となる。

参考にGoogleマップで見れば、三方ヶ原古戦場から浜松城までは約10キロ、歩けば2時間半ほどの距離。もちろん現在と当時では道路状況は違うし、「古戦場の碑」を起点としている為、あくまで目安となるが…。

三方ヶ原古戦場から浜松城を結び、その路線上に「小豆餅」「銭取」を入れてみると、下の地図のような配置となる。

では、現地へ

三方ヶ原古戦場から国道257号を南へ。

ここは別名「姫街道」と呼ばれている。この姫街道とは、江戸時代に公家や大名の姫様が好んで通ったとされ、見付宿から浜名湖北岸を迂回し御油宿へと通じる東海道の脇往還のことだとか。

途中で住宅街に入ると「小豆餅公園」が見つかった。

その近くには「小豆餅神社」も…。

この付近が小豆餅と呼ばれる地域だ。

三方ヶ原の戦いは1572年。当時の面影は全くない。今から450年ほど前の話だから仕方がない。それでも何か情報は無いか?地元ならではの伝承はないか?この付近に住む高齢の方を中心に色々と話しかけてみたが、特に何もない。

一つあるとすれば「この先に饅頭屋(御菓子司 あおい)があるから行ってごらん」と教えてくれたお爺さんに出会ったくらいだ。

※この饅頭屋に関しては記事の後半にて

さらに南へ進んで行くと…

バス停があり「銭取」とある。そのすぐ近くに「銭取まんじゅう跡」と書かれた標柱が見つかった。※「地図(外部リンク)

この付近が「老婆が家康に追いついて銭を受け取ったと伝わる場所」のよう。

ところで、この「銭取まんじゅう跡」と書かれた標柱にある矢印は一体何を刺し示しているのか?少し気になった。

「矢印の先に何かある?」「それともこの付近を示している?」浜松市に問い合わせてみたが、矢印の意味は分からなかった。

やはり、矢印が示すのは「この付近」という意味だろうか…。

更に南へ進めば家康が逃げ帰った浜松城が見えてくる。

現在の天守閣は昭和33年(1958年)に鉄筋コンクリート製の復興天守で、館内は資料館となっている。

尚、浜松城の近くにある「元城東照宮」境内は引間城の中枢部だったと推測さてているそうだ。家康は曳馬という名称が「馬を引く」、つまり敗北につながり縁起が悪いことから、城名も地名とも「曳馬」→「浜松」に改めたと伝わっている。

三方ヶ原で大敗した家康は、この敗戦を機に自分を戒め、したとこれが天下を治める礎になったと言われている。

尚、徳川家康の居城「浜松城」は別名「出世城」とも呼ばれている。

「御菓子司 あおい」へ

さて、文頭で紹介した「御菓子司 あおい」は小豆餅の町名が残る場所の近くにある。店主のおばちゃんにお話を聞くと、昭和41年にここで開業したそうだ。この場所に決めた理由は、やっぱり家康の逸話を知っていたからだという。

お店の前には、家康を追いかける老婆のユニークなイラストが描かれている。

今も残っている地名「銭取」の名を持つお菓子は、小判型の和風マドレーヌ。フレッシュバターの風味と黄身餡、そしてしっとりと生地が特徴だ。

パッケージも愛嬌あってお土産に最適。

そして、浜松銘菓「小豆餅」だ。

これは「家康の食い逃げの逸話」を知ると食べてみたくなる一品。小豆餅は見た目よりと重みがあって、中には北海道産の大粒小豆がしっかりと入っている。とっても美味しい。

小説やTVドラマなどで、徳川家康いう人物は脚本や俳優さんによってイメージは随分と違って見える。温厚であったり、神経質であったり…。

今回の老婆に追いかけらるシーンを想像すると、なぜか2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」で家康を演じた松本潤の顔が浮かぶ。あのドラマで描かれた人物像なら何だか想像がつくのだ。

それにしても、歴史のこぼれ話はやはり面白い。それが地名となって現代に残っていることにロマンを感じてならない。

さて、いかがでしたか?

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御菓子司 あおい 葵東店
住所:静岡県浜松市中央区葵東1-6-7
電話番号:053-436-2365
営業時間:8:00~18:00
地図(外部リンク)

はらぺこライター

旅行好きのライター。各地に伝わる伝説や民話、古くから地元で大切にされているモノを親しみやすく紹介したい|地元で人気の食堂やレトロな喫茶店巡り|”思わずクスッと笑ってしまうような”珍スポット探し|目標は個性的でヘンテコな旅本の出版|フォローして頂けたら嬉しいです。

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