カタルーニャ独立に立ちはだかるスペイン首相 FCバルセロナが英プレミアリーグにやってくる?
厳かに歌われたカタルーニャ独立
[バルセロナ発]サッカーの強豪FCバルセロナや建築家アントニ・ガウディの代表作サグラダ・ファミリアで有名なスペイン北東部カタルーニャ自治州議会(定数135)が10月27日、中央政府のラホイ首相が同州の自治権剥奪を上院にかけたのを受け、独立して共和国になることを採決し、賛成70票、反対10票、棄権2票でカタルーニャ共和国の建国を宣言しました。
「勝利者カタルーニャよ、豊かになって再び、独立を取り戻せ。思い上がった奴らをこの地から追い払え」。独立反対派は採決を拒否して50人余が退席し、空席にスペイン国旗がかけられる中、州議会の議場では19世紀からカタルーニャの「国歌」として陰で歌われ続けてきた「収穫人たち」が厳かに歌われました。
「収穫人たち」は17世紀、スペイン王国の圧政に対してカタルーニャの民が反乱を起こした時に歌ったのが始まりです。
約9割が独立に賛成した10月1日の住民投票を「憲法違反」「非合法」と一蹴するラホイ首相は上院の承認(賛成214票、反対47票、棄権1票)を受けたあと、カタルーニャ州議会の解散を宣言。「法の支配」を取り戻すとして6カ月以内に州議会選挙を行う方針を表明しました。
カタルーニャのプチデモン州首相をはじめ自治州政府の全閣僚を罷免し、自治州政府や州警察、州財政の直接統治に乗り出します。独裁者フランコの死後、制定された1978年憲法下では初という非常事態です。
カタルーニャの公共メディアについても中央政府が介入するという報道もありますが、州議会前で再会した知人の地元ジャーナリスト、アルベルト・セゲラさんが「地元メディアへの介入は回避されそうだ。プチデモン州首相はラホイ首相の自治権剥奪に対抗して州政府から動かないだろう」と耳打ちしてくれました。
国際社会は独立を認めなかった
世界中の至る所で分離・独立運動の火種はくすぶっています。カタルーニャの分離・独立を認めると国際社会の安定と秩序が大きく揺らぎます。アメリカ、ドイツ、イギリスはカタルーニャを独立国家としては認めない方針です。
トゥスク欧州連合(EU)大統領(首脳会議の常任議長)は「EUにとっては何の変化も起きていない。力の行使を避けるよう望みたい」と求め、国内に分離・独立問題を抱えるベルギーは「平和的な解決を」と述べるにとどめました。カタルーニャが一方的に独立すると言っても、国防、外交、財政、国有財産、通貨、通商をどうするかスペインの中央政府と話し合わなければならず、現実的な道筋は全く示されていません。
プチデモン州首相とラホイ首相の全面対決と独立の行方がどうなるかはもうしばらく様子を見てみないと、はっきりしたことは何一つ言えません。すでに900社以上が本社の所在地をカタルーニャから動かしています。中央政府は今後、カタルーニャの財政を凍結、兵糧攻めで追い打ちをかけるのでしょうか。
スペイン検察庁はカタルーニャ州議会が独立を宣言したら反乱罪で理事会メンバーを訴追する方針を明らかにしています。独立を扇動したとして市民団体のリーダー2人が逮捕されており、最悪の場合15年間服役しなければならなくなる恐れもあるそうです。
カタルーニャ国民会議(ANC)元リーダーの1人、ジュゼップ・ペドロルさんは「中央政府が次に何をするのか、我々には何も分からない。カタルーニャ州警察はスペイン国家警察の思う通りには動かないので、バルセロナ港に待機する国家警察がバルセロナの拠点に展開するかもしれない」と話しました。
燃え上がるカタルーニャ・ナショナリズム
カタルーニャの独立問題を取材するためバルセロナを筆者が訪れるのは昨年7月以降、3回目です。スコットランド独立運動と比べてみると、マグマのような熱がほとばしるカタルーニャの独立運動を止めるのは難しいことが分かります。フランコ独裁の影を残す憲法をタテに自治権剥奪という強硬策に出たラホイ首相のやり方ではカタルーニャのナショナリズムは燃え盛る一方です。
カタルーニャ州にいる約950人の町長や村長のうち700人が27日、首長のシンボルである杖を持って州議会に駆けつけ、独立を支持しました。カタルーニャ州の中央部にある人口300人の小さな町のアルナウ・バスコ町長(29)はこう話しました。
「独立がついに現実のものになりました。私たち首長の責務は独立のプロセスを継続することです。私は町長として独立を守り抜きます。これは大きな革命です。人々は通りに出て独立を求めています。今日、州議会に集まった首長は全員、独立を支持しています」
民間交通機関で働くドニ・ファレラスさん(61)は「スペイン中央政府は今日、負けたのではありません。10年以上前にすでに負けていたのです」と言います。
フランコ政権の流れを汲み、スペイン・ナショナリズムを煽る国民党のアスナール政権が2000年総選挙で絶対過半数を獲得してから、スペイン中央政府とカタルーニャ自治州の関係は大きく変わりました。それまではカタルーニャ地域政党の協力がなければ政権を運営できなかったのが、絶対過半数を取ったことで国民党政権は中央集権化の動きを強めたのです。
カタルーニャは「ネーション」
これに反発してカタルーニャは05年、「カタルーニャはネーション」と規定する新しい自治憲章を制定します。しかし国民党や他の自治州が反対し、憲法裁判所は10年、「カタルーニャの新自治憲章は憲法の定める『スペインの揺るぎなき統一』に反している」という違憲判決を下しました。
イギリスの正式名称はグレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国です。イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つの「ネーション」から成り立っています。ネーションとは同じ言語や歴史、慣習、文化を共有する民族共同体です。スコットランド独立運動の敵意は歴史上イングランドに向けられています。ネーションの集まりの連合王国を目の敵にするのは少し難しいような気がします。
これに対してカタルーニャはスペインと完全に対立しています。歴史上スペインもカタルーニャもネーションであり、特にカタルーニャ・ナショナリズムはスペインとの敵対抜きでは成り立ちません。カタルーニャに「ネーション」としての独立を認め、独立派のガス抜きをした上で、スペインをネーションが集まった「ステート」として再定義するしか、この問題は解決しないような気がします。
カタルーニャの民意を治安部隊や軍の力でねじ伏せることはできません。10月1日の独立住民投票では登録した531万3564人のうち228万6217人が投票(投票率43%)。治安部隊の妨害で77万票が紛失したとみられています。独立賛成は204万4038票(90%)にのぼりました。これだけ多くの人の心をすべて鎖でつなぐことはできません。
スペイン継承戦争最後の戦いで1714年、カタルーニャの州都バルセロナは陥落しました。それがカタルーニャの苦難の始まりです。スペイン継承戦争ではイングランド王国はカタルーニャ側についたことから、今日の独立を祝う集会にはイングランド旗が掲げられました。
カタルーニャが独立したら、FCバルセロナを英イングランド・プレミアリーグに呼ぼうという話があります。しかしレアル・マドリードとFCバルセロナの対決(エル・クラシコ)を世界中のファンが楽しみにしています。ちなみにスペイン継承戦争ではカタルーニャはイングランド王国にはしごを外され、追い込まれてしまいました。
プチデモン州首相とラホイ首相の駆け引きがどうなるのかを予測するのは非常に困難です。ラホイ首相が対等の立場でプチデモン州首相との交渉テーブルに着くのが最善の道だと考えているのは筆者だけでしょうか。
(おわり)