一条天皇も中宮の藤原彰子も驚愕した、紫式部の文才について
大河ドラマ「光る君へ」では、「まひろ」こと紫式部が中宮の藤原彰子に出仕する場面が描かれていた。ところで、一条天皇も中宮の彰子も紫式部の文才に驚愕したというので、その逸話を紹介することにしよう。
紫式部が執筆した『源氏物語』は、我が国だけではなく、世界的にも高く評価された文学作品である。紫式部は父の藤原為時の傍らで、父が兄弟の惟規に行った漢籍の講義を聞いただけで、記憶したという。為時は「この子が男子だったら」と嘆息した。
この話は紫式部自身が書いた『紫式部日記』に回想として書かれているので、多少は割り引く必要があるかもしれないが、文才があったのは事実と認めるべきだろう。
あるとき一条天皇は、侍女に『源氏物語』を読ませ、聞くことがあった。その際、一条天皇は「紫式部は、『日本書紀』を読むというのだから、大した才能だ」と述べたという。
つまり、紫式部は公家らが読むような『日本書紀』*1などを父から学んだ可能性が高く、そこから得た知識などをもとにして、『源氏物語』の執筆に生かした。むろん、読んだのは『日本書紀』だけではないだろう。
紫式部は彰子の求めに応じて、『白氏文集』*2のなかの「楽府」2巻の講義を行った。彰子は漢詩文などについて、紫式部の講義を受けて学んでいたのである。
紫式部と彰子との身分差は大きいものがあったが、二人は打ち解けていたという。中宮の女房は多数いたのであるが、文才の優れた紫式部の存在は、非常に際立っていたといえよう。
*1 最初の勅撰正史で、養老4年(720)に舎人親王らの編により成立した。
*2 9世紀前半に成立した、唐の詩人白居易(白楽天)の詩文集。