ロマチェンコと井上尚弥
亀海喜寛がロバート・ゲレロとの派手な打撃戦で名を売ったリングで、アマチュア最強と呼ばれたウクライナ人バシリ・ロマチェンコがプロ3戦目で世界タイトルWBOフェザー級王座を獲得した。アマで396勝1敗という驚異的なレコードを誇ったロマチェンコはタイの英雄にて怪人といわれたセンサク・ムアンスリンが1975年に樹立した最速記録に並んだ。
昨年、有力プロモーター、トップランクとサインし、プロデビューしたロマチェンコは今年3月、プロ2戦目で当時の王者オルランド・サリド(メキシコ)に挑む大冒険に出た。リスクがあり過ぎると思われた一戦で、ロマチェンコは2-1のスプリットデシジョンで惜敗。試合はスコアどおり接戦で最終12ラウンドにはタフで鳴るメキシカンを追い詰めたものの、試合後の風当たりは当然のごとく強かった。しばらくキャリアを積んで再起を図るだろうと皆が思った。ところが元アマの至宝は1試合も調整試合をはさまず、サリドが体重オーバーで失ったベルトの決定戦を選択する。しかも相手はこちらもアマで輝かしいキャリアを誇り、プロでも世界チャンピオン候補と呼ばれて久しいゲーリー・ラッセルJr(米)である。
アマチェアの世界選手権優勝3度(フェザー級2度、ライト級1度)、北京&ロンドン五輪連覇。ロマチェンコを初めて見たのは北京五輪フェザー級決勝のテレビ放送だった。初回TKO(RSC)勝ち。正直「こんなプロ向きの選手はいない」と思った。「早くプロのリングで見たい」と願っていたら、ロンドンではライト級で金メダル獲得。その後AIBA(国際アマチュア協会)が主導するプロ仕様のリーグ戦WSB(ワールドシリーズ)のウクライナチームの主軸として活躍。この時行った6試合が“プロ”と見なされ、もしサリドを下して世界王座を獲得していても記録達成はなかったと、一部で懐疑的な目で見られた。
それでもサウスポー対決となったラッセル戦の戦いぶりは実に堂々としており、すでにプロで24戦全勝14KO無敗のキャリアを誇っていたホープに文句ない判定勝利。ドローとつけたジャッジ一人の採点には誰もが首をひねる内容だった。
試合前の会見で「スピードではラッセルに譲る」と語ったロマチェンコだが、上下に打ち分ける左のスピードには目を見張らされた。断続的に仕掛ける攻撃にはメリハリが感じられ、ラッセルのハンドスピードを無力化させる効果もあった。一言で言えば、よりプロ向きなスタイルで戦ったのがロマチェンコということになるだろうか。
後日ビデオで試合を再度見てみた。全米にショータイムで放送された一戦、ラウンド間のインターバルでセンサクの記録を筆頭に最短奪取のリストが紹介され、2位はジェフ・フィネクの7戦目(85年)と出ている。4月の井上尚弥(大橋=WBC世界ライトフライ級王者)の6戦目奪取は完全に無視。これにはさすがにブーイングを浴びせたくなる。
日本では井上の勝利はセンセーショナル、大フィーバーという扱い、状況だったと思うが、米国のメディアは本当につれない。まさか軽量級は対象外なんてことはないはずだが、そんな勘ぐりまでしたくなる。
これも無視された井岡一翔の7戦目奪取と今回の井上の快挙にはスピード世界戴冠を至上のものとする日本特有の価値観が感じられる。もちろん世界中どこでもこういう記録はセンセーショナルに報じられる。同時に実力が伴わなければ晴舞台に登場することはままならない。だが日本では試合チケットを売る、テレビがつきやすいなど、どうしても数字にこだわる傾向があるようだ。米国でも比較的日本のボクシングに関心が高いメディアは、そのあたりの状況を理解している。「世界の他の地域は、なぜ日本で特別なキャリアの進行が認められるのか理解を示してほしい」(クリフ・ロルド記者=全米ボクシング記者協会のメンバー)のような意見も聞かれる。また井上が王者アドリアン・エルナンデス(メキシコ)に挑戦する前、知り合いの記者、関係者にアンケートを求めたところ、予想以上に井上が注目されていることがわかった。そして彼らの多くは井上の勝利を予測した。
だからロマチェンコの戴冠の場でも何かしら井上に関して触れられてもいいと思ったが前記のようにテレビはスルーし、他のメディアも伝えるところが見られない。「フライ級以下では試合を組むのに苦労する」(ある米在住日本人ボクシング関係者)という現状では仕方がないことかもしれない。唯一、ロマチェンコ同様、オリンピック連覇のゾウ・シミン(中国)がトップランクのサポートで世界王者へ邁進しているだけだ。
ロマチェンコには今後、ノニト・ドネア、ギエルモ・リゴンドウといった大物との対決がクローズアップされるだろう。同じくゾウが王者に君臨すれば、井上との一騎打ちが浮上するに違いない。サウスポーと右の違いがあるが、2人のスピード出世チャンピオンはプレスのかけ方、スタイルが似通っている印象。今後ボクシングの屋台骨を支える存在になる――と言ったら、早計だろうか。