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執行された秋葉原事件・加藤智大死刑囚が残していた最期の言葉と「死刑囚表現展」

篠田博之月刊『創』編集長
2008年に起きた秋葉原無差別殺傷事件(写真:ロイター/アフロ)

7月26日に加藤死刑囚の刑を執行

 7月26日といえば6年前に相模原障害者殺傷事件の起きた日だが、2022年のその日、秋葉原事件の加藤智大死刑囚の刑が執行された。

 この事件については、私は裁判も大半を傍聴したし、2014年には加藤死刑囚の手記を月刊『創』(つくる)11月号と12月号にわたって掲載した。彼は自分の著書4冊を出版した批評社の編集者に何回か会っただけで、それ以外の接見をいっさい拒否していたから、コミュニケーションの回路を作ることができなかった。今となっては、せめて裁判の傍聴報告だけでも活字にして残しておけばよかったと思う。

 秋葉原事件は結局、犯行動機や事件の本質をどう捉えればよいか最後までわからずに終焉させられてしまった。加藤元死刑囚が、社会にとってわかりやすい言葉で自分自身を語ることをしなかったことも一つの理由かもしれない。また本人のキャラクターによる面もあったと思う。

加藤智大「あしたも、がんばろう。」C:死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金
加藤智大「あしたも、がんばろう。」C:死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金

 ここに掲載したのは、2017年の死刑囚表現展に加藤元死刑囚が出展した作品「あしたも、がんばろう。」だが、これがなかなかすごい。A4の紙を81枚貼り合わせるとひとつの絵画になるという巨大な作品なのだが、その少女たちを描いたイラストの個々の点が拡大すると「鬱」の文字でできている。つまりあどけない少女たちを描いたイラストが、実は膨大な数の「鬱」という文字で構成されているというものだ。これを不自由な獄中で描いた彼のこだわりとエネルギーには圧倒される。

上の作品の1点1点が「鬱」の時でできている
上の作品の1点1点が「鬱」の時でできている

 彼は毎年、死刑囚表現展に文章やイラストを出展し、その制作が唯一の生きがいとも言っているのだが、ではそれを通して何を表現し訴えたいのかと考えると、答えを見つけるのは難しい。彼の残した4冊の著書も、社会が求めるようなわかりやすい言葉で事件について語ってくれてはいない。

 私は、連続幼女殺害事件の宮﨑勤元死刑囚や相模原障害者殺傷事件の植松聖死刑囚などと密につき合って、当事者が語る犯行動機を伝えてきたが、秋葉原事件についてはほとんどそれができなかった。それをするには当事者とつき合い、その考えを社会的に翻訳して伝え、社会全体が考える素材にしていくという作業が必要なのだが、それにはかなりのエネルギーが必要だ。

「死刑囚表現展」への応募が唯一の生きがい

 さる8月18日、衆議院議員会館で「古川禎久法相による死刑執行に抗議する集会」が開催された。主催は「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」(以下、フォーラム90)など6団体で、安田好弘弁護士の基調報告のほか、雨宮処凛さん、太田昌国さん、香山リカさんなどからの発言がなされた。

 フォーラム90は死刑執行がなされるつど、それに対する抗議集会を開いているのだが、今回はいつもより参加者が多く、大きな会場がほぼ埋まっていた。約100人ほどの参加があったのではないだろうか。やはり秋葉原事件と加藤元死刑囚が知られた存在だからだろう。

 その集会の内容はユーチューブに動画が公開されており、9月上旬発行の会報(フォーラムニュース)に文字起こししたものが掲載されている。

8月18日死刑執行抗議集会で発言する「フォーラム90」安田好弘弁護士(筆者撮影)
8月18日死刑執行抗議集会で発言する「フォーラム90」安田好弘弁護士(筆者撮影)

 集会で配布された資料には3月に実施された死刑確定者のアンケートに答えた加藤元死刑囚の言葉が掲載されていた。フォーラム90は毎年、「年報・死刑廃止」という書籍を刊行しており、そこにこのアンケートや加藤元死刑囚の遺稿が収載されるとのことだ。アンケートはこれまでも何回か行われているが、福島みずほ参院議員の協力もあって実現しているようだ。加藤元死刑囚のアンケートには、福島議員へのメッセージが添えられているのだが、そこにはこう書かれていた。

《現在は、表現展に向けて、良くも悪くも私らしさが全開の「ふざけたイラスト」を製作中です。現状では、表現展への応募が唯一と言っていい生きがいであり、自由に表現できる場を確保してくださることに心から感謝を申し上げます》

 フォーラム90は、毎年10月10日の世界死刑廃止デーにあわせて大きな集会を開催しており、2022年も10月9日、星陵会館で開催される。

 その集会では毎年、「死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金」が主催する「死刑囚表現展」の選考発表が行われ、その後、都内で「死刑囚表現展」が開催される。今年は10月14~16日に昨年と同じ松本治一郎記念会館で開催予定だ。

 詳細は下記、フォーラム90のホームページをご覧いただきたい。

https://forum90.net/

 加藤元死刑囚がこの死刑囚表現展に応募するようになったのは、死刑が確定した2015年からだ。その後、毎年、彼は、文章やイラストなどの作品を出展しており、話題にもなってきた。今年も既に作品は選考委員会に届いており、それが遺作となる。8月18日の集会では、太田さんが加藤元死刑囚の2015年以来の作品を紹介し、彼と選考委員会との間にある種のコミュニケーションが作られていたことも披露した。

 前述した加藤元死刑囚のアンケート回答の幾つかを紹介しよう。

加藤智大死刑囚のアンケート回答

●訴えたいこと

 疲れた。「事実ではないことを事実だと信じる者」の相手をするのは、とても疲れますよね?

●面会文通の制限について

 たとえば芸能人でも、事務所(マネージャー)の裁量により、誹謗中傷の手紙などを本人に交付しないような例がありますので、拘置所が、「早く死ね」的な手紙を死刑囚に交付しないことは一定の理解はできます。

 私は、死刑囚を孤立させることが問題だと考えます。大阪のクリニック放火事件でも、社会との接点がないこと(=孤立)により「心情の安定」を失った典型例でした。私は、現状では死刑囚表現展への応募が唯一、予定が立つ(=先の目標になる)社会との接点であり、そこだけは死守してほしいです。

●処遇の変化で良くなったこと・悪くなったこと

良くなったこと

・外部交通が許可されない人でも差し入れ売店から食料品を差し入れできるようになっています。市販の衣類・下着類やタオル、歯ブラシ等も差し入れ可です。現金や切手も従来通り可であるのに加えて、ポストカードも差し入れられることが判明しました(何も記入しないまま、「物品」として)。

悪くなったこと

・給食の献立の種類の激減。配当される量の減少。特に、三が日の特別な食事の大部分が消え、通常の「まずい休日メニュー」になったのが悲しい。

・死刑囚のみ自弁購入できる「食料品特別購入」の種類の減少

・食中毒防止のためと称した、納豆・キムチ・チーズの自弁購入の終了。つまり、健康によい食品が買えなくなりました。納豆についてはフリーズドライ納豆なる代替品が用意されましたが、キムチとチーズは消えたきりです。せめて、キムチ味のふりかけなりチャーハンの素なり、粉チーズなり、常温保存できるものに代えていただきたいものです。

●色鉛筆が使えなくなったこと

 なぜ、色鉛筆がいけないのか、わかりませんが、個人的には、特に感想は無し。

●事前告知がよいか、どれくらい前が望ましいか

 言葉による「告知」は不要です。

 私は、いわゆる「ラストミール」を希望します。

●絞首についてどう思うか

 日本では、自殺の半数が「セルフ絞首刑」によるものです。死刑執行のためのガス室や薬物注射といった特殊な方法と比較すれば、「全自動首吊り自殺」は、方法としては普通か、と思います。ただし、暴れる等して抵抗することもせず、静かに吊られようとしている者まで目隠しをし、手足を縛るのは、非人道的で、人間の尊厳を奪うものだと感じます。

●楽しみ/安らぐ・和らぐこと

・自由に絵を描き、文章を書き、パズルで遊ぶこと

・死刑囚表現展に応募すること。また、その感想を読むこと

・読書

・ラジオ放送で偶然流れてきた好きな曲

・拘置所の近くの首都高をすっ飛んでいく車やバイクの排気音。その他、雨、風、ゴミ回収車、工事、自衛隊のヘリ、子どもの笑い声など

・「おいしい給食」の日

・たまに届く差し入れ

加藤智大元死刑囚が作ったラップ

 もうひとつ、集会で配布された資料には、加藤元死刑囚が2018年の死刑囚表現展に応募した作品「人生ファイナルラップ」も掲載されていた。秋葉原事件の背景に、加藤元死刑囚が受けた家庭での虐待といった問題があることが指摘されたが、そうした背景がにじみでた興味深い作品だ。スペースの都合で一部のみの引用となるのをお断りしたい。

「人生ファイナルラップ」

《母の夢は絵に描いた餅

 京大は俺には無理な口

 押しつけられたスタート位置

 レースは始まり縮む命

 親は力で支配しがち

 屈辱に耐える毎日

 裸足で雪の上に放置

 飯は床にぶちまける措置

 会話も禁止女友達

 強いられる意図の察知

 満点じゃなきゃ平手打ち

 泣けば口に布詰める処置

 母の攻撃さながらアパッチ

 見て見ぬふりのゲスな父

 もしくは二人掛かりのリンチ

 帰りたくないそんな家

 残り人生あと何周?

 いつも警戒母の奇襲

 勉強ばかり予習復習

 刑務所並みに無味無臭

 クルマだけが俺の陣地

 憧れた土屋圭市

 現実見えぬ俺の無知

 人生設計ひどく幼稚

 求められる社会的地位

 進路は一方的通知

 俺にない選択の余地

 言えるわけない胸の内

 努力足らぬとムチとムチ

 アメの約束嘘のオチ

 壊れていく俺の気持ち

 順位落ち下がる偏差値

 夢は次男にバトンタッチ

 走らないマシンは無価値

 要らない兄は無視の仕打ち

 もう出て行こうこんな町(略)

 残り人生あと何周?

 裁判所で決する雌雄

 二度殺される死刑囚

 それを喜ぶ一般大衆》

(死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金)

世間の非難に応えた加藤元死刑囚の手記

 さて私が『創』に加藤元死刑囚の手記を2014年に2号にわたって載せたことは前述した。当時、『創』では、いわゆる「黒子のバスケ」脅迫事件の渡邊博史元被告の手記を掲載しており、彼の法廷での意見陳述も本誌がヤフーニュースに公開するなどしていた。そこでは格差社会で負け組となった人たちが将来に希望を持てず死を覚悟して無差別殺傷事件を起こす、ネット社会で「無敵の人」と呼ばれる犯罪が今後、大きな社会問題になると、まさに今の状況を予告する内容も書かれ、大きな反響を巻き起こした。

 それを読んだ加藤元死刑囚が、その感想を、弁護人を通じて送ってきたのが、本誌に最初に載せた手記だった。彼は、「黒子のバスケ脅迫事件」にある種の共感を抱いたようだった。

 その手記をヤフーニュースで紹介したところ、たくさんのコメントがついた。それをプリントアウトして本人に送ったところ、加藤元死刑囚は、それらのコメントに自分でコメントして、それをまた送ってきたのだった。

 その2014年12月号に載せた「秋葉原事件被告が世間の批判に応える 加藤智大」の冒頭の説明と、本人の手記の一部を紹介しよう。

《秋葉原事件の加藤智大被告から8月半ばに続いて2回目のメッセージが届いた。彼は2審から法廷にも姿を見せなくなったし、社会に何かを発信するつもりはないように見えたから、こんなふうにメッセージを送ってくることだけでも予想外だが、それ以上に予想外だったのは、その中身だった。

 実は前回、彼のメッセージを公開した後にネット上に寄せられたコメントを筆者も弁護士もプリントアウトして加藤被告に送った。筆者の印象だと、「黒子のバスケ」渡邊被告に対するコメントと比べても明らかに否定的なものが多かった。やはり無差別殺傷事件という加藤被告の犯行に対しては、まず嫌悪感が先に立つ人が多いということだ。私としてはそういう厳しい現実を本人に知らしめたほうが良いと思って送ったのだが、今回の文書を読むと、加藤被告はやや違った感想を抱いたらしい。「読んだうえで的確に批判したコメントが多いので希望を持った」と書いてある。つまり、加藤被告としては自分の意見など聞いてくれる人はほとんどいないと思ったのに、予想したよりもきちんと反応してくれる人がいてうれしかったというわけだ。

 考えてみれば、これは加藤被告が事件の後に世間と対話した最初の機会だったかもしれない。1審では、事件の被害者遺族が次々と出廷し、法廷で加藤被告に直接怒りをぶつけるという進行が行われた。加藤被告は入廷と退廷のたびに被害者遺族の席に頭を下げ、一貫して謝罪もしたのだが、遺族にすればそんなことで加害者を許せるわけがない。何度も加藤被告を断罪し、反省が足りないと指弾した。それは当然のことだし、遺族にすれば加藤被告を死刑にしても被害者が戻ってくることはないというやりきれない思いだったに違いない。

 その後、加藤被告は2審から法廷に姿を見せなくなり、独房で自分の犯した事件について考え、それを本にして出版してきた。それは一方的な発信だったから、このブログでのように、自分の意見に対して何十万というアクセスと大量のコメントが寄せられるというのは、予期しなかった体験だったのかもしれない。》

批判への感想は「世の中捨てたものでない」

 以下、加藤元死刑囚の手記の一部だ。

《まず、前回、拙文をブログに転載していただいたことに感謝申し上げます。どのような用紙にどのような筆記具でどのような文字が書いてあるのか、などといったくだらない情報をいちいち晒さなかったことも好ましく思っています。また、コメントをいただけたこともありがたいことだと思っています。①読まずに中傷、②読んだけれど誤解して非難、③読んだうえで的確に批判、④共感、といったコメントがつくであろう想像はしていましたが、③が意外と多かったことに、世の中はまだ捨てたものではないと、希望を持ちました。「犯罪経験者にのみ理解可能な」などとひねたタイトルを付けたことは大いに反省しています。

 ただ、自著『殺人予防』が読まれることを前提とし、また、転載の労を考慮して最低限の説明しかしていないために誤解が生じ、真意が伝わっていないのは、残念でなりません。事件後、私の「止めてほしかった」という発言が問題になりましたが、しかし、私がそう思っていたのは事実です。その心理がどういうものなのか、ひいては事件を起こす心理とはどういうものなのかを明らかにすることで、起きなくてもいい事件は未然に防げるはずだと考えました。だから、私は書くのです。今回は、前回いただいたコメントの一部を引用しつつ、返信をさせていただきます。》

《>安易な自己正当化

 私は取調べでも裁判でも自著の中でも秋葉原無差別殺傷事件の全責任は私にあると言っており、誰かが悪いとも自分は悪くないとも一言も言っていないのにどうして自己正当化していると思われるのか、よくわかりません。「誰か」がいれば事件は起こさなかった、というのは、それ以上でも以下でもない事実であり、それを勝手に「俺を止めなかったお前らが悪い」と脳内変換するのはやめて下さい。

 誰が悪いのかといえば、私が悪いに決まっています。「事件は起こさざるを得なかった」のは、あくまでも事件直前の私の心境です。そもそもそこまで追い込まれることになったのは私の社会との接点の薄さに原因があるわけで、それは私が掲示板に依存していたためなのですから、やはり誰のせいでもない、自分のせいです。》

 そんなふうに彼は、世間の人たちがヤフーに書き込んだコメントを抽出しては、それについて自分の考えを述べたのだった。

秋葉原事件裁判はある意味壮絶だった

 裁判の傍聴記を記録として残すべきだったと前述したが、秋葉原事件の法廷はある意味で壮絶だった。傍聴記と言えるようなものではないが、以前に書いたものを紹介しよう。2010年11月9日の公判の報告だ。

《前回の公判に続いて被害者遺族の証言。特に9日は遺族の調書の朗読だけでなく、殺害されたK君(享年19。原文は実名)の父親が直接法廷に立って、1mほどしか離れていない加藤智大被告人に向かって詰め寄るという壮絶な意見陳述でした。傍聴席の最前列に座っていた筆者もハンカチで涙をぬぐいながらの傍聴。この日は女性判事もハンカチを出していました。

 父親の意見陳述はこんなふうに始まりました。

「加藤、よく聞け。俺はトラックではねられたKの父親だ。俺の息子がどんなに苦しい思いで死んでいったか。俺はお前を絶対に許すことはできない」

 その後、息子の傷だらけの遺体と対面した時の様子、火葬した時の辛い気持、今年の成人式には息子が生きていれば出席したはずだと代わりに参加したことなどを切々と語りました。

 そして再び加藤被告人に向かい、こう詰め寄りました。

「17人も殺傷したお前にとって死刑は楽な死に方だ。お前に同じ苦しみを味あわせてやりたい。お前は頭はいいのかもしれないが、人間としては最低だ。掲示板でいやな思いをしたといっても、世間の人は皆いろいろなことを我慢して生きているんだ」

 そして最後をこう締めくくりました。

「世の中には死刑に反対する人もいますが、それは身内を殺されたことがなく、遺族の苦しみをわからない人だと思います。裁判長、極悪非道の加藤をぜひ死刑にしてください」

 前回の公判で読み上げられた他の被害者遺族の調書でも、身内の無残な死を受け入れられず、神経科の医者にかかるようになったとか、睡眠剤なしでは眠れないといった体験が語られていました。身内を突然、理不尽な形で惨殺されたという体験は、こんなふうに遺族を後々まで苦しめるわけです。》

 植松死刑囚や、池田小事件の宅間守元死刑囚などと加藤元死刑囚の違いは、本人が自分は間違っていたと認め謝罪していたことだ。考えてみれば凶悪事件ではそのほうが珍しいかもしれない。ただそのことは加藤元死刑囚自身の、事件についての捉え方にも影響を及ぼした気がする。2010年8月の公判について当時書いた感想も引用しよう。

「復讐」を「アピール」と法廷では言い換えた

《被告人質問が行われた秋葉原事件・加藤智大被告の公判を3日間にわたって傍聴した。犯行動機をめぐって加藤被告と検察側が食い違い、興味深いやりとりが展開された。

 加藤被告は、事件直後は「復讐」と言い、公判では「アピール」と言っていたのだが、問題は、無差別殺傷が誰へ向けての「アピール」だったのか、ということだ。検察側はネット社会を含む世の中と捉え、加藤被告はネット社会に限定した。

 加藤被告が法廷で語った動機は、このネット空間という最後の居場所を、荒らし行為によって破壊されたことがどんなに自分を苦しめたか、ネット住人に知らしめようとしたということだった。》

 加藤元死刑囚が事件直後に「復讐」と語っていたのをなぜ法廷では「アピール」という曖昧な言葉に置き換えたかといえば、法廷に来ている被害者や遺族を意識したからだろう。被害者に詫び、反省を語っている時に、「復讐」といった強い表現は口に出せない。法廷では、被告が語った証言に対して検察官が、「でもあなたは事件直後の供述ではこう言っていたではないか」と詰め寄った。傍聴席で聞いていて感じたのだが、その事件直後の供述の方が明らかにわかりやすい。加藤元死刑囚は事件直後の「復讐」といった表現を「アピール」という曖昧な表現に上書きし、犯行動機から社会的要素をはぎとってネットにおけるトラブルに限定していく。

 例えば池田小事件の宅間守元死刑囚は、犯行動機となった社会への憎悪を事件後も口にし、罪もない子どもたち殺害について、ガソリンを使えばもっと殺せたといった戦慄すべき言葉を発し続けた。命懸けで踏み切った凶悪犯罪について、それを否定し謝罪するとなると、精神的葛藤は相当なものになるはずで、へたをすると精神的崩壊に至りかねない。

 加藤元死刑囚の説明がわかりにくいのは、そうした複雑な胸中や、彼のキャラクターが反映されているゆえではないのだろうか。彼の閉ざされた思いや「屈折」のようなものが、死刑囚表現展への出展作品や選考委員とのやりとりにも感じられる。

 死刑執行後、加藤元死刑囚が実は二度にわたる再審請求を起こしていたことが明らかにされた。これも意外で、ある意味衝撃だった。再審請求が本人の内面でどんなふうに位置付けられていたのか。今となっては知るすべもない。

 相模原事件の植松聖死刑囚の再審請求は、ある意味でそれ以上に不可解なのだが、このヤフーニュースで何度も報告しているように、その思いを本人の口から聞ける機会が幸いなことに訪れている。加藤元死刑囚にも本当は、もっと語ってほしかった。

 たとえ自分に対する批判でも、自分の言ったことが無視されなかったということに対して、彼は「世の中はまだ捨てたものではないと、希望を持ちました」と書いていた。接見に応じず独居房に閉じこもっていた彼に対して、何かできることはなかったのかと改めて思わざるをえない。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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