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羽生善治七冠達成、藤井聡太七段チョコレート300個 将棋界におけるバレンタインデーの記録

松本博文将棋ライター
(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

 2月14日は、将棋界においてはメモリアルデーです。

「そんなのは常識」

 そう思われる方もおられることでしょう。なぜ記念日なのかは、時系列順に見ていきましょう。

 さて、次の記事は誰に関するものでしょうか。

1カ月前のバレンタインデーには、女性ファンから段ボール3箱ほどのチョコレートが贈られた。連盟関係者が「70年余りの歴史の中で初めて」と言うほど、珍しい現象だった。

出典:赤塚辰浩「日刊スポーツ」

「わかった、藤井聡太君でしょ!」

 それが第一感という方は将棋界に詳しい、近年のファンの方でしょう。実はこれ、25年前(1995年3月15日)の記事でした。見出しは、

「第44期王将戦七番勝負第6局 羽生7冠へあと1勝 谷川を逆転」

 当時24歳の羽生善治六冠(竜王・名人・棋聖・王位・王座・棋王)は32歳の谷川浩司王将に挑戦。七冠ロードの途上にあって、羽生六冠の人気たるや、すさまじいものがありました。

 就位式に100人もの女性ファンが駆けつけた、などなどは、以前の将棋界には見られない現象でした。他の記事を見ると、バレンタインデーに羽生六冠に送られたチョコレートの数は「150個」とありました。100個を超える数のチョコレートというのは、芸能界ならばともかく、将棋界においては記録的な数字でした。

 この時の王将戦七番勝負は、最終第7局にまでもつれこみ、千日手指し直しの末に谷川王将が防衛を果たすという劇的な展開でした。

 七冠は夢に終わってしまったけれど、その夢を見られただけでも十分ではないか。筆者は当時、そんなことを思いました。

 ところが羽生六冠はそこからすべてのタイトルを防衛し、そして再び王将位に挑戦するという、またもや夢のような離れ業を演じました。当時の他の棋士が弱いはずがありません。谷川王将をはじめ、みんな強かった。そうした中での再度の七冠挑戦は、依然現実のようには思われませんでした。

 1996年2月14日。王将戦七番勝負第4局2日目。羽生六冠は谷川王将を降して、王将位を獲得。ついに夢の七冠同時制覇を達成します。

山口県下関市(旧豊浦町)羽生善治七冠達成の記念碑(撮影:筆者)
山口県下関市(旧豊浦町)羽生善治七冠達成の記念碑(撮影:筆者)

 羽生七冠が育った八王子将棋センターでは当日、席主の八木下征男さんをはじめ、多くの人がテレビ中継で対局の模様を見ていました。

 当時の記事は次のように伝えています。

 午後五時前、羽生名人が敵陣深く攻め始めると、みな勝利を確信した様子。「行ける」「大丈夫、勝った、勝った」と声が上がった。席主の妻ひろ子さんからは「勝った時のため」に用意したバレンタインデー用のチョコレートが小学生に配られる。

 そしてついに、谷川王将が投了。「やったー」。歓声が上がり、手放しで喜びを分かち合った。クラブのメンバーたちは振る舞われたジュースとビールで乾杯。万歳三唱をして「羽生師範」をたたえた。

(中略)長岡裕也君(10)=アマ四段=は、昨年夏に羽生名人と七人指しで対局した経験を持つ。「一時間くらい粘ったけど、羽生先生は本当に強かった。今日は最後、圧勝だった。先生は本当にすごい」と満面の笑みを浮かべた。

出典:「毎日新聞」1996年2月15日東京地方版「羽生善治名人7冠…“多摩の怪童”の快挙に歓声--八王子の将棋クラブ」

 現在の長岡裕也五段(34歳)もその時、記念のチョコレートをもらったのでしょう。

 羽生七冠はその年、女優の畠田理恵さんと結婚しています。それとともに、女性ファンからの熱狂的な追っかけは落ち着いたようです。

婚約以前の羽生は若い女性に追っかけ回された。代わって今は、佐藤康光が大人気と聞いた。ご本人にそれをたしかめたら「いやたいしたことはありません。ボクより行方君が上ですよ」と笑っていた。

出典:河口俊彦『新・対局日誌』第8集

 佐藤康光現九段、そして行方尚史現九段も女性に人気のある棋士でした。

 将棋界の歳時記では、バレンタインデーと王将戦第4局はしばしば重なります。

 2003年(2002年度)、佐藤康光挑戦者を4連勝で退けたのも2月14日でした。王将戦恒例の勝利者撮影は、対局場のホテル従業員の方からバレンタインデーのチョコレートを食べさせてもらう、というものでした。

(羽生王将は)バレンタインデーに話が及ぶと「電話で娘がチョコレートをくれると言っていました」と照れ笑いも浮かべた。

出典:「スポーツニッポン」2003年2月15日

 王将戦とともに、女流名人戦五番勝負がおこなわれるのもこの季節です。

 2016年(2015年度)には、次のようなことがありました。

将棋の里見香奈女流名人の妹で、養成機関「研修会」に所属する里見咲紀さん(19)が14日、大阪市の関西将棋会館での例会に臨み、1局目の勝利で直近成績が9勝3敗となり、女流3級に昇格した。女流名人戦第4局で姉は、清水市代女流六段に敗れ2勝2敗のタイに持ち込まれたが、この日は、妹にとって記念のバレンタインデーとなった。

出典:「スポーツ報知」2016年2月15日

 補足すると、当時の規定では研修会のクラスでC1に昇級すると、女流3級の資格を得ることができました。(2年以内に女流2級に昇級する必要あり。現在の規定ではB2昇級で女流2級)

 里見姉妹は中倉姉妹、大庭姉妹に続いて、将棋界で3組目の姉妹女流棋士となりました。

 2017年。藤井聡太四段(当時14歳)がデビュー以来無敗で将棋界新記録となる29連勝を達成。「藤井ブーム」が起こりました。

 翌2018年。バレンタインを前にして、関西将棋会館のTwitter公式アカウントはファンに向けて異例のアナウンスをしました。

 藤井五段(ほどなく昇段して六段)には当然のようにたくさんチョコレートが送られてきました。

「藤井六段宛てには、ダンボールに持ち帰れないほど、本当に溢れんばかりのチョコが全国から届きましてね。目算で300個は超えていたと思いますよ」

 とは、さる将棋連盟関係者。次いで多かったのは、100個前後届いた羽生二冠や連盟会長の佐藤康光九段だったというから、ここでも藤井六段は大先輩らを圧倒していたことになる。

出典:「週刊新潮」2018年3月15日

 この関係者の証言を信じるとすれば、驚くような数字です。

 バレンタインデーから3日後の2月17日。藤井五段は準決勝で羽生竜王(当時)、決勝で広瀬章人八段に勝って朝日杯で優勝。史上最年少で六段に昇段しています。チョコレートの数も含めて、現在進行形で生み出されていく記録の数々には、おそれいるよりありません。

 日本女子プロ将棋協会(LPSA)は毎年この季節、アマチュア女性のための将棋大会「ショコラトーナメント」を開催しています。

 将棋界には2月14日が誕生日の棋士が2人います。深浦康市九段と山崎隆之八段です。両者は順位戦ではB級1組に所属しています。昨日13日には、12回戦一斉対局がおこなわれました。

 両者にとって昨日の結果は、やや苦いものだったかもしれません。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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