なぜ『群衆事故』の教訓は生かされない? 22年前の事故から何もかわらない。イテウォン群衆事故から学ぶ
KNNポール神田です。
韓国イテオンでの群衆事故の死者は153名となった。
■22年前の群衆事故 20001年12月31日、明石カウントダウン
筆者は、御巣鷹山事故のJAL123便をキャンセル待ちで並びあと3人のところで乗れなかった…。1994年のノースリッジの震災はハリウッドに。1995年の阪神大震災は神戸の自宅が半壊。2001年の911の時は、いつものユナイテッドではなくコンチネンタルでNYのJFKを飛び立ったばかりであった…。
常に、急死に一生を得るような生き方のようだ…。2日前の土曜日もコロナの後遺症の耳鳴りとめまいによる頭痛で病院に救急車で搬送されてきたばかりだ…。
しかし、なんといっても、一番恐怖を感じたのが、2000年12月31日の明石の歩道橋でのカウントダウンの花火大会での事故だ。『インパク(インターネット博覧会)』のオープニングイベントでもあった。
そして、イベントの半年後の夏には、まったく同じ場所で死者が出る群衆事故が再発してしまった。『2001年明石花火大会事故』だ。
このビデオのように、悲惨な群衆事故が起きつつありながらも、警備がずさんで新たな事故を生んでしまった…。どう考えても人災であると思う…。イベントで警備さえしっかりしていればふせげたはずだ。
事故の検証で、検察審査会へも証拠のビデオとして提供させていただいたが、遺族の思うような判決とはならなかった…。
そう、当時はYouTubeもソーシャルメディアも何もなかった21世紀を迎えたばかりだ。
韓国の40メートル、3.5メートルの幅…と聞くと、明石の歩道橋と大差がなかったことを思いだした。
映像で子供が泣き叫ぶ、人が『うしろにさがってください』と声をかけても、群衆が動きだすと身動きがまったく取れない…。本当に『死を覚悟する瞬間』やってくる。がんばってビデオ撮影しようとしたが、力つきてしまった。そう、体を守ることのほうが大事だったからだ。
コロナ禍で、マスクをして『三密』とか半年前まで言っていたとは思えないほどの人々の密集による事故。渋谷でも起こりうた事故だったと思う。
群衆事故の教訓として、近寄らないこと…というが、イベントなどで行列に正しく、きれいに並ぶということに日本も韓国も慣れていたはずだ。しかし、いざその密度が急速に詰まった場合のことは想定できていないし、その時はすでに遅いのだ。
COCOAのようなBluetoothを活用したアプリが、インストールはされたが、うまく運用で活用できなかったし、ハードウェアとしても機能しているとは言えなかった。スマートフォンの人流をリアルタイムで把握するようなテクノロジーは通信会社が保有している。しかし、それらが、アラートを鳴らして『群衆事故』を警告できるような仕組みはない。
韓国の153名の犠牲者、さらに群衆事故という日常が突然カオス化して発生してしまう事故ほどAIでの予測に期待できる部分は多々あるはずだ。
スマートフォンやスマートウォッチ、人口密度の超過を通信衛星がとらえた時点で警察、消防が動き出せる体制は必須だろう。
そして、それらが、有事の時に機能する準備になればなおさら、『国民の命と財産を守る』政治家の仕事となるだろう。
『群衆事故』を二度おこさないよう、ソーシャルメディアなどでも人流の計算を個々が可視化できるような、ある意味、未来が予測できるメタバースやARが必要だろう。
22年前の記憶がYouTubeの映像となることによって、新たに『群衆事故』の怖さを伝搬できればと考えた。