【書評】『ザ・スタートアップ あのバカにやらせてみよう』ベンチャー経営者がむさぼり読んだ書が復刊!
KNNポール神田です。
日本のネット企業の黎明期を描いた群像劇の書『ネット企業!あのバカにやらせてみよう』が2024年5月7日に復刊した。故・『岡本呻也』の精緻にわたる取材力の賜物が四半世紀の時を越えて蘇る。(※すべて敬称略)
この本で一番重要な点は、テクノロジーの歴史的な背景だけではなく、新たなテクノロジーの進化や普及に合わせて、『スタートアップ』の経営者たちがどのようなリアクションをとってきたかという『反応性』『順応性』『適応性』の物語である。
この書の群像で描かれている各主人公たちは、ゼロをイチにしてきた創業者タイプが多く、誰ひとりとして優秀なサラリーマンタイプは一切登場しない。学歴も年齢もまったく関係なく、そして、協調性のない奴らが、唯一、『インターネット』という妄想にとらわれて、『過信と自惚れ』で事業を起こしている。まさに『あのバカ』どもの狂乱の日々が描かれている。
一筋縄で順風満帆に成功した幸せものは一人も存在しない。
多くの挫折とピボットの経営者たちの群像が描かれている。
■『ダイヤルQ2』を『生成AI』と読み替えて読むべし
冒頭から『ダイヤルQ2』といったNTTの45年前に誕生したコンテンツ課金システムが登場するが、これらについて詳しく正しく理解するよりも、むしろ『生成AI』で課金できるオープンなシステムがある日、突然に誕生したと読み説くと現在では、理解しやすいだろう。
そう、現代に置き換えるべきは『テクノロジー』であって、『行動様式』や『経営手法』は、脈々と現在に継承されているスタートアップ特有のDNAだからだ。
生成AIに向かってやみくもに走り出す、スタートアップと重なるシーンが大きい。
『あのバカ』の特筆は自分の事業を『信じ切るチカラ』だと言っても過言ではない。
■日本版インターネット黎明期の生態系
『NTTダイヤルQ』が誕生(1979年)する。
『真田哲弥(さなだてつや)1964年生まれ』は『ダイヤルキューネットワーク』を1989年に創業するが1991年に倒産し失敗する。設立メンバーの『加藤順彦ポール(かとうよりひこ)1967年生まれ』は、その後1992年に『日広』を創業し、2008年、GMOへイグジットし、シンガポールでエンジェル投資家となる。
1997年『ハイパーネット(1991年創設)』が倒産。『板倉雄一郎(いたくらゆういちろう)1963年生まれ』の『社長失格』がベストセラーとなる。
1991年ダイヤルQを利用した『ボイスメディア』を創業した『熊谷正寿(くまがいまさとし)1963年生まれ』は、1995年、ダイヤルQ事業からインターネット接続事業へピボットし『インターQ』としてダイヤルQのインターネット事業で発展する。1999年、ジャスダックで上場【9449】し、旧ハイパーネットの特許などを買収する。2001年『グローバルメディアオンライン』2005年『GMOインターネット』と商号変更する。
ハイパーネットの副社長であった『夏野剛(なつのたけし)1965年生まれ』は、『松永真理(まつながまり)』に誘われ『NTTドコモ』に入社し、1999年に『iモード』誕生の立役者となる。2019年『ドワンゴ』、2021年『KADOKAWA』の代表となる。
当時、マッキンゼーにいた『尾原和啓(おばらかずひろ)1970年生まれ』もNTTドコモのコンサルタントとしてiモード普及に貢献する。その後、『リクルート』『ケイラボラトリー』『サイバード』『Google』『楽天』を経てIT批評家へ。
1996年 『川邊健太郎』『村上臣』『田中祐介』らによる『電脳隊』がスタート。『松本真尚』らとのジョイント・ベンチャーとなった『PIM』が2000年、ヤフーに54億円で買収される。第6章の『小澤隆生』の『ビズシーク』が2001年に、楽天に買収される。
日本独自のガラケー携帯コンテンツ全盛時代の前に『ダイヤルQ2コンテンツ』時代が布石になっていたことがよくわかる。同時期に次世代ウェブサービスがそろって事業売却している。
その後、『ダイヤルキューネットワーク』の『真田哲弥』は、『堀主知ロバート(ほりともかずローバート)1965年生まれ)』、『岩井陽介(いわいようすけ)1965年生まれ』らと携帯コンテンツ会社『サイバード』を1998年に設立し、2000年に『ジャスダック市場』で上場を果たす。
『KLab(クラブ)』は、サイバードのR&D部門として2000年発足(当初はケイラボラトリー)し、2011年に東証マザーズへ上場(3656)する。
2000年にリクルートを経て、エヴァンジェリストとして『KLab』に参画した『千葉功太郎(ちばこうたろう)1974年生まれ』は、KLabの新卒入社の『馬場功淳(ばばなるあつ)1978年生まれ』と共に2008年『コロプラ』を創設し、2012年に東証マザーズへ上場(3668)する。
『千葉功太郎』はその後、『ドローンファンド』や投資家として『千葉道場』やタレント活動も開始。
『岩井陽介』は『アララ』を設立し、2020年東証マザーズへ上場(4015)する。堀主知ロバートは、2014年よりトリュフ専門店のレストランを経営し、2022年にハワイで『マルゴットハワイ』を出店。ハワイで一番のレストランを受賞する。
ガラケー携帯コンテンツ企業のピボットが、ソーシャルゲームの下地となって成長していく。
■『ビットバレー』の勃興が新たなネットベンチャーの呼び水となる
筆者は、2000年当時、米国のシリコンバレーに在住しながら、アメリカのネットベンチャーをリポートしていた。サンドヒルロードのベンチャーキャピタルから、スタートアップを紹介してもらいながらの日米のスタートアップとその生態系と環境の歴然たる差に愕然としていた。
第4章の『誕生ビットバレー!』で描かれていた世界は、まさにそのタイミングであった。
アンダーセン・コンサルティング(現アクセンチュア)』で働いていた『松山大河(まつやまたいが)1974年生まれ)』はシリコンバレーにも造詣が深く、VCに理解があり、筆者の帰国にあわせて(P.251)『メーリングリスト』の面々にも声がけをし、『ビットな奴らのアトムな飲み会』というイベントを開催した。その日の『ネットエイジ』での夜通しの熱さを『岡本呻也さん』は鮮明に記録してくれていた。
筆者は、ソフトバンクへの『ネットディーラーズ』のバイアウトのストーリーは記事にもさせていただいた。
なんといっても、当時の『ネットエイジ』に集まっていた『あのバカ』たちが壮絶だった。現在、思い返しても、すごい『バカ』の集団だろ。まさに日本のインターネットの『トキワ荘』だったといってよいだろう。当時のメンバーが健在なうちに、ドキュメンタリー映画などで記録を残しておきたいものだ。IPOした面々も多いので映画製作会社で当時の記録を残すプロジェクトを未来の子どもたちのためにも作ってほしい。
『ミクシィ』【2121】となる『笠原健治(かさはらけんじ)1975年生まれ』
『メルカリ』【4385】となる『山田進太郎(やまだしんたろう)1977年生まれ』
『ネットイヤー』『はてな』『kamado』『mixi』『スマートニュース』『ミレイズ』の『川崎裕一(かわさきゆういち)1976年生まれ』
『富士山マガジンサービス』【3138】『西野伸一郎(にしのしんいちろう)1964年生まれ』
『アクシブドットコム(VOYAGE GROUP)』創業者の『尾関茂雄(おぜきしげお)1974年生まれ』
『VOYAGE GROUP』『CARTA』【3688】『宇佐美進典(うさみしんすけ)1972年生まれ』
『Unipos(旧Fringe81)』【6650】『田中弦(たなかゆずる)1976年生まれ』
『データセクション』【3905】『橋本大也(はしもとだいや)1970年生まれ』
そして、あまり、表に立つことはないが、黒子でスタートアップを支える『松山大河(まつやまたいが)1974年生まれ』そして何よりも、『西川潔(にしかわきよし)』『小池聡(こいけさとし)1959年生まれ』の二人の尽力があってこそだっただろう。
まさにネット起業家のトキワ荘だったといえる。
■四半世紀前の歴史がまた繰り返される
2000年に発刊された『あのバカ』だが、主なプレイヤーがまだまだ現役で、次の次世代をサポートしようとしている。
これはまさに、シリコンバレーの歴史そのものではないだろうか?
25年経過して、ようやく 銀行や証券会社系のVCではない、純粋なシリアルアントレプレナーたちが、新たなスタートアップへの再投資へと動き出している。
何よりも、『起業』はカンタンにはなるが、それだけ『起業数』が増えれば増えるほど、『成長する事業』『見込みのある経営者』を選別する目は当然きびしくなる。
『あのバカ』にまさる『あのバカ』が必要とされる時代となっている。