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遺体は出てない。殺されたかも不明。でも始まった裁判。実在の未解決事件に迫る法廷劇が物語ることは?

水上賢治映画ライター
「私は確信する」より

遺体もみつからない、証拠もない中、はじまった殺人事件裁判とは?

 現在公開中の映画「私は確信する」は、事件発生から裁判まで異例の軌跡を辿り、フランス全土の関心を集めたとされる実在の未解決事件を映画化した法廷サスペンス。しかも、そう古い話ではない。

 事件が起きたのはいまから約20年前の2000年2月27日のこと。フランス南西部で38歳の女性スザンヌ・ヴィギエが3人の幼い子どもを残して突然姿を消す。

遺体も見つかったわけではない、そもそも彼女が殺されたかも定かではない。あらゆることが釈然としないまま妻を殺した容疑で2009年、裁判にかけられたのはスザンヌの夫ジャック。法学部の大学教授で映画マニアであった彼を、メディアは「ヒッチコック狂による完全犯罪」と興味本位に書きたて世論を煽る。

 確たる証拠もなければ、動機もない中での第一審の判決は無罪。しかし、すぐさま検察は控訴し、翌年2010年に第二審でジャックは殺人罪に問われることになる。

 こんな素人目でみてもずさんというか、強引な裁判の舞台裏を、本作は、ジャックの無実を晴らすために、自らを犠牲にして250時間にも及ぶ事件関係者の通話記録の分析をしたシングルマザーのノラと、彼女の説得によって弁護を請け負ったデュポン=モレッティを中心にして語り明かす。

実在の未解決事件を映画化した理由

 まず、このヴィギエ事件で驚かされるのは、警察によってジャックや彼の父親に嫌がらせがあったこともさることながら、失踪したスザンヌの愛人男性がジャックを犯人へと追い込む画策行為が通話記録から明らかになっていること。しかも、これを無視して、警察と検察が有罪獲得に躍起になってしまった事実に驚きを隠せない。

 ランボー監督自身、これには驚いたという。

ランボー「僕自身、このずさんな捜査に関しては驚いたし、裁判そのものにも疑問を持たずにはいられなかった。

 一般的には警察、検察、裁判官というのは、基本的には正しい判断をするところと思っているよね。全幅の信頼を寄せるとまではいかないくとも。ただ、やはり場合によっては、完璧とはほど遠い判断をしてしまうことがままあるんだよね。

 犯人をどうしても挙げようという一心から警察官、検察官、裁判官がさまざまなことを自分たちの都合のいいように解釈して、判断を誤る危険があること。そうした冤罪を生む危うさがフランスの司法システムにはあることをまずは描きたいと思ったんだ

 ランボー監督にとって今回は初の長編映画。この未解決事件の映画化に挑んだ理由をこう明かす。

ランボー「僕自身はすごくシネフィルで映画が大好き。これまで主に短編を手掛けてきたんだけど、長編となるとやはり別で。(初の長編では)自分がほんとうに描きたいことをやりたいと考えていた。

 ただ、そう思えるテーマになかなか出合えなくて、踏み出せないでいたんだ。

 そんなときに出合ったのが『ヴィギエ事件』で。実際に事件を傍聴したときに、『あぁ、これだ!』と、言葉ではなかなかいい表せないんだけど、すごく描きたい衝動に駆られたんだよね。さっきも言ったけど、フランスの司法システムが抱えている問題をきちん提示したかった。あと、そこに巻き込まれた人々の悲劇も見過ごすわけにはいかなかった

「私は確信する」より ノラを演じたマリーナ・フォイス
「私は確信する」より ノラを演じたマリーナ・フォイス

 一方、ジャックの無実を証明するために自己を犠牲にしながら真実の証明に奔走するシングルマザーのノラを演じたマリーナ・フォイスは、この事件についてこう語る。

フォイス「事件のことはもちろん知ってました。フランスでは、この事件は各メディアでとりあげられて、当時はかなり騒がれてました。

 三面記事のような扱いでセンセーショナルな報じられ方がされてましたけど、そういう記事も私自身は嫌いではないので、おそらく世間の平均以上に興味を持ってその行方をみていたと思います。

 それで、ジャン・グザヴィエ・ド・レストラードというドキュメンタリーの監督がいるんですけど、私は彼のことを知っていたんです。

 で、ほんとうに偶然なんですけど、彼は何とジャック・ヴィギエの学校の生徒だったんです。そういうこともあって、とにかくこの事件には興味を抱いていました」

作品を通して、事件に改めて向き合う

 当時は、事件に対してこんな印象をもっていたという。

フォイス「さきほど、三面記事は嫌いじゃないといいましたけど、私自身はそういったある種のゴシップ事件であっても、興味本位でみないことを心がけています。

 だから、メディアが報じることを鵜呑みにすることもなければ、司法サイドが出してくる情報のようなことも慎重に読み取ることを考えていました。

 その上で、もちろん事件に対する自分なりの見解はあります。でも、本当のことがわからない中で、ああだこうだと事件について世間が意見するのは、私はあまりいいこととは思っていません。ですから、この事件の印象についてもちょっと意見は伏せさせていただきます。

 でも、事件についてはもちろん関心はありました。かなりセンセーショナルな話ではありましたから。

 ただ、スザンヌの愛人がジャックを犯人に仕立てるような画策をしていたことなどは、この作品を通じて、はじめて知りました。ですから、よく知っている事件ではあったんですけど、すごく新鮮な気持ちでこの作品を通して、新たに事件に向き合ったところはありますね」

「私は確信する」より
「私は確信する」より

ひとつの思い込みから自分の正義を疑わず、暴走してしまう人間心理。ノラは世論を体現しているといっていい

 権力の側にいる司法の問題点に言及する一方で、本作は、ひとつの思い込みから自分の正義を疑わず、暴走してしまう、そんな盲目的に正義を振りかざしてしまう人間の心理にも迫る。

 それをまさに体現しているのがフォイスが演じたノラ。ある意味、彼女の存在は、ネットでの一方的な批判や誹謗中傷といった勝手な部外者の正義感の危うさを表しているといっていいかもしれない。

ランボー「ノラはフィクションの人物なんだけど、少しだけ僕が反映されているところがあるんだ。

 実は、僕は実際にジャックの家族と実際に会って、いろいろと話をきいている。そして、弁護士のデュポン=モレッティに弁護をお願いしたのも実は僕なんだ。

 こうした自分の体験を少し反映させているのがノラなんだ。そこをベースに、キャラクターを膨らませてくれたのは、エミールの存在。彼女はスザンヌが失踪してからジャックと家族を支えた人物です。

 ノラを女性に設定したのは、この事件がスザンヌの失踪から始まり、彼女を失った母、そして10年間、家族を支えたエミールの話でもあるからです。

 これら踏まえながら、僕は社会に立ち向かっていくようなタフな人間を造形しようと思いました。はじめは、ジュリア・ロバーツが演じた『エリン・ブロコビッチ』のような女性をイメージしていました。

 最初、ノラは正義のために動き出す。この時点まではエリン・ブロコヴィッチ的といっていい。でも、ノラは自分が抱いた一方的な確信にとらわれてしまって、暴走してしまう。そして、暴走するあまりに彼女のというよりも人間誰しもにある闇の部分、とりわけ憎しみの感情が出てきてしまい、一時はダース・ベイダーのようになってしまう。彼女の場合、冷静なデュポン弁護士にそのことを厳しく指摘され、ハッと立ち戻ることができるわけですが。

 ご指摘の通り、ノラは世論を体現している人物といっていいです。この事件の混乱には世論も加担していた。そのことを表したかったところがあります。

 このように僕はわりとノラを理屈っぽく考えて人物造形したところがある。ゆえに、リアルな人物としては欠けているところがあった。

 ただ、マリーナが現れた途端、それを一気に解消してくれた。マリーナが、僕が理屈で造型したノラ像を、具体性をもったノラ像へと生まれかわらせてくれたんだ。

 まさに彼女がノラを体現してくれて。彼女の眼力の強さや声といったことが、リアリティの欠けていたノラ像にどんどんどんどん具体性を詰め込んでいってくれた。

 なので、僕が脚本で書いたノラより、映画の中のノラのほうがよほど魅力的。いろいろなことを体現して僕らに表してくれる人物になっていると思う」

「私は確信する」より
「私は確信する」より

ノラの役作りで大きかったのは、スザンヌの愛人であるデュランデの通話記録を実際に聴くことができたこと

 ノラを演じたマリーナ・フォイスは、演じる上でこんなことを考えていたという。

フォイス「まず、脚本の第一印象としては、『永遠(とわ)の闇に眠れ』というテレビ映画を思い出しました(1982 年のメアリー・ヒギンズ・クラークのミステリー小説が原作。ヒッチコックの『サイコ』にインスパイアされたとされる)。

 このドラマは、離婚したシングルマザーの若い母親の平凡な幸せが、ひとりの金持ちの画家にひとめぼれをしたことから、崩壊して悪夢になる様が描かれる。

 まわりが見えなくなって暴走してしまう女性という点で、ノラ像のインスピレーション・ソースになりました。

 次にノラのベースにはアントワーヌ(・ランボー監督)があることはわかっていましたから、お手本が目の前にいるようなもの(笑)。家族や裁判に関わる中で、彼の中にわいた感情を具体的に知って反映できればと思いました。

 このようにしてノラを作り上げていったのですが、役作りにおいて一番大きかったのは、ジャックを犯人へと仕立てようとするスザンヌの愛人であるデュランデの通話記録を実際に聴くことができたことです。

 その経験は、このストーリーにほんとうの意味で私自身を飛び込ませてくれた気がします。あまりこういう言い方はしたくないのですが、デュランデは悪魔のような人物で。この作品の中で描かれているようにひじょうにずるがしこい人物なんですね。

 ノラの中に大きなウェイトを占める怒りの感情は、ここに起因すればいいと思いました。

 こうしたいろいろな要素をいわばノラという人物の屋台骨のようにして、そこにどんどん私自身を近づけていったところがあります」

司法はジャックどころかその子どもたちまでも疑念の目を向けた

 最後に監督はこう言葉を寄せる。

「この事件は、ジャックが有罪であるという一方的な思い込みが、いつしか世論だけでなく、法廷全体にまで行き渡ってしまい、それが不確かなのに事件の事実として形成されてしまった。

 最終的に司法はスザンヌの失踪を解明できずに、ジャックどころかその子どもたちまでも疑念の目を向けるようになりました

 これまで僕は裁判は真実を伝えてくれる場所と思ってきました。いまもそう思っています。でも、今回、裁判をいろいろと傍聴しましたが、残念なことに裁判を終え、法廷を出ると、疑問点がいろいろと出てくることも少なくない。

 この映画が、より広い視点で司法を改めて見つめ直す機会になってくれればと思います。

 そして、僕はシネフィルなので、これまで法廷劇というのは数限りなくみてきました。その中で、自分なりにもっと掘り下げて、映画として魅力のある法廷劇を作り上げたと思っています。ひとつの法廷サスペンスとして楽しんでもらいたい気持ちもあります」

「私は確信する」より
「私は確信する」より

「私は確信する」

監督:アントワーヌ・ランボー

出演:マリーナ・フォイス、オリヴィエ・グルメ、ローラン・リュカ、フィリップ・ウシャン、インディア・ヘアほか

ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開中

写真はすべて(C)Delante Productions - Photo Severine BRIGEOT

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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