台湾映画『KANO 1931 海の向こうの甲子園』 日本統治下の台湾で実際に起きた感動の野球物語
1月24日に公開された台湾映画『KANO(カノ)1931 海の向こうの甲子園』を観てきました。
台湾では昨春に公開されて大ヒットとなった作品で、7月の台北映画祭ではピッチャー役の新人俳優が助演男優賞を受賞、11月の台湾アカデミー賞といわれる「金馬奨」で国際映画批評家連盟賞と観客賞を獲得。主演の永瀬正敏は金馬奨史上初めて、日本人として主演男優賞にノミネートされました。
台湾映画ですが、出演者の半数は日本人、セリフも8割は日本語という映画で、ぜひ多くの日本人にも観ていただきたい秀作です。
物語の舞台は1931年(昭和6年)。日本統治(日本植民地)下の台湾南部の小さな町・嘉義(かぎ)。弱小だった嘉義農林学校野球部(略してKANO(カノ)の選手たちが日本人監督の指導のもとで努力して練習を積み重ね、日本の甲子園大会に出場して決勝戦まで進んだという感動の実話です。そしてこれは、植民地の是非などを問う政治問題をできるだけ排除した“スポーツ映画”です。
俺がお前たちを必ず甲子園に連れていく――。もともと四国・松山商業野球部の監督で、当時嘉義で会計の仕事をしていた近藤兵太郎(永瀬)は野球部の指導を引き受け、厳しい練習を開始。球場を神聖な場所として一礼することも教えます。選手たちは「甲子園」がどんなところかもよくわからないまま、ひたすら練習に打ち込みます。
当時、台湾の高校の野球部は日本人生徒のみで構成されていることが多かったそうですが、同チームは台湾人、日本人、原住民の3民族による混合。近藤監督は、打撃力のある台湾人、足が速くて強靭な体力の原住民、守備に長けていた粘り強い日本人を上手に組み合わせて配置し、それぞれの個性を生かしたチームづくりをしました。部員たちを我が子のように思い、地元の有力者に頭を下げて援助を頼んだり、近藤の妻も差し入れをしたりして応援します。
チームは徐々に強くなっていき、ついに甲子園に出場。初めて訪れる日本。そして甲子園球場に感動して喜ぶ選手たちは、嘉義とは違う土質の甲子園の土を手に取って喜びますが、監督は「土は土だ。台湾の土と変わらん」と一言。また、勝利した選手たちへの新聞記者たちのインタビューの中で、記者たちが「どうして日本人と台湾人が同じチームでやっているんですかね?」というような嫌味や差別的な質問を投げかけますが、近藤監督はムッとして「民族なんて関係ないでしょ。みんなただ一緒に野球をやる球児というだけだ!」と一蹴します。私はこのシーンにいちばん感動しました。
ちなみに、同映画のプロデューサーは08年に『海角七号』、11年に『セデック・バレ』でメガホンをとった魏徳聖(ウェイ・ダーション)です。『セデック・バレ』は彼らが甲子園に出場する前年の1930年に起こった凄惨な霧社事件(抗日暴動)を描いた作品。台湾内で賛否両論を巻き起こしましたが、同じ時代でありながら、台湾の人々を温かい目で見ていた日本人もいたのだ、ということがこの映画でよくわかります。
映画の中では嘉義から車で約1時間の距離にある烏山頭ダムを作った日本人、八田與一(はったよいち=大沢たかお)も登場します。台湾総督府に在籍していた土木技師で台湾南部の大規模灌漑事業「嘉南大しゅう」を完成した日本人として、台湾では非常に有名な人物。同校野球部と本当につながりがあったかどうかは不明ですが、八田もまた、台湾の人々を差別しなかったことで知られ、台湾の教科書に業績が詳しく紹介されている人です。
甲子園大会で初出場、準優勝
映画のクライマックスは甲子園での決勝戦。愛知県代表の中京商業との戦いです。試合の中盤、ピッチャーの呉明捷は指を怪我して血を流し、コントロールが狂いファーボールを連発するなど大ピンチに追い込まれますが、守備をする選手たちは「打たせろ、必ず俺たちが守るから!」といって励まします。結局、決勝戦では破れてしまうのですが、台湾初の甲子園出場、そして準優勝という快挙を成し遂げました。ラジオ放送は台湾でも生中継され、嘉義の人々が歓喜する様子も描かれます。(中京商業はこの後、甲子園で3連覇するという強豪でした。嘉義農林もこの初出場の後、3回甲子園大会に出場します)
映画は3時間という長丁場ですが、飽きずに見られたのは構成が非常によかったこと、そして本当の野球の試合を見ているかのような緊張する場面が多かったからだと思います。選手役の出演者たちは野球経験者をオーディションして決めたそうで、主役の選手はなんと現役の輔仁大学野球部の外野手だったとか。主役の選手を見ていて、昨年日本のTBSで放送されたドラマ『ルーズヴェルト・ゲーム』で野球部のピッチャー役だった工藤阿須加を彷彿としました。精悍な顔つきで、目がキラキラと輝いていて、ピュアな雰囲気がよく似ていました。
馬監督は「キャスティングのポイントは“印象”です。顔だけでなく身体つきも重要。高校や大学の野球部へ直接出かけたりして約1000人集め、その中から13人の選手となる人を選びました。訓練に2~3ヵ月かけ、野球が本当にできることを重視しました」と語っていますが、だからこそ、こんなにリアルに胸に迫ってくる野球シーンが撮影できたのか、と思いました。
選手たちのほとんどは実在した人物です。ピッチャーの呉明捷はその後早稲田に進学し、6大学野球での年間通算7本のホームラン記録は、長嶋茂雄の登場まで約20年間破られなかったそうです。2番バッター、蘇正生は卒業後、横浜専門学校(現・神奈川大学)野球部を経て、台湾野球界で活躍しました。このとき活躍した若者たちが、その後、台湾野球界の基礎となり、台湾に日本の野球を伝えていってくれたと知り、日本人としてとてもうれしく思いました。