有馬記念で師匠と対決する男が「それよりも嬉しい」と語る事とは?
目指す調教師像
本日12月22日に42回目の誕生日を迎えたのが黒岩陽一。美浦で開業するこの調教師は、今週末の有馬記念(GⅠ)にブレークアップを送り込む。
黒岩は、港区の競馬とは無縁の家庭で育った。早稲田中学、高校とソフトテニスに興じたが「人と違う趣味を持ちたい」と思い、見始めたのが競馬だった。
「中学の時、ナリタブライアンが勝った日本ダービーを観たのが、初めて生観戦した競馬でした」
高校を卒業してすぐに競馬の世界で働こうと考えたが、親から大学進学を懇願され、折衷案として「馬術部のある大学に入学」した。馬術部に入り、獣医師の資格も取得。6年制の大学を卒業したのは2005年。馬術部の監督に一人の調教師を紹介してもらい、その調教師の関わる牧場に就職した。
「それが藤沢和雄調教師でした。最初から調教師になりたい胸の内を伝えて働かせてもらったところ、常に『調教師だったらどうする』といった具体的なアドバイスをくださいました」
2年間、牧場で学んだ後、07年、競馬学校を経てトレセン入り。翌08年の春、開業して間もない鹿戸雄一調教師の下で調教助手となった。
「開業したばかりだったけど、スクリーンヒーローやエフティマイア等、GⅠ戦線で活躍する馬がいて、多くの事を学ばせていただきました」
師匠の言動や行動で思い出に残っている事を伺うと、意外にもプライベートのエピソードを話し始めた。
「当時、自分は結婚をしたのですが、身内だけで挙げるつもりで、日曜日に結婚式をしました」
土日が競馬開催となるため、通常、競馬関係者の結婚式は月曜日に行われる事が多い。しかし、こぢんまりとやりたかった黒岩はあえて日曜日に挙式。当然、ほとんどの競馬関係者は出席出来なかった。しかし……。
「開催日であるにもかかわらず、鹿戸先生は列席してくださいました。それどころかスピーチまでしていただけて、先生が皆に慕われる理由が分かると同時に、自分の目指す調教師像が固まった思いがしました」
GⅠは挑戦するだけでも大変なレース
11年秋、2度目の受験で調教師試験をパス。翌12年の春には早速開業した。当時はまだ31歳という若さ。開業時に集まった8人のスタッフは、全員が年長者。中には自分の父親より年上の人もいた。
「でも、若い自分の考えを理解して、皆、指示に従ってくれました」
開業4年目にはミュゼエイリアンで初の重賞勝ち(毎日杯)を果たすと、同馬で皐月賞(GⅠ)に挑戦。結果は7着だったが、自身初のGⅠ出走を成し遂げた。更に、同馬とは日本ダービー(GⅠ)(10着)、菊花賞(GⅠ)(8着)にも挑んだ。また、21年に阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)へ送り込んだラブリイユアアイズは勝ち馬から半馬身差の2着に善戦。すると年の明けた今年は同馬を桜花賞(GⅠ)にも挑戦(18着)させ、更にオークス(GⅠ)にはルージュエヴァイユを出走させた(6着)。
「GⅠに挑戦出来る馬に巡り合うだけでも大変な事です。馬に無理を強いてまで出走するものでもないし、勝つとなると当然、もっと大変です。ただ、厩舎としては数年前からGⅠを勝てるように、という目標は掲げています」
想像以上の成長力
そんな今年、一気に素質を開花したのがブレークアップだった。
「元々体つきは立派だったけど、緩さがあってワンペースだったので、それを補うために長めの距離を使ったり、逃げの戦法をとったりしながら、徐々に成長していきました」
20年10月の新馬戦は9着に敗れた。初勝利を挙げるまでは5戦、オープン入りするまでには更に11戦を要した。少しずつ、でも確実に成長して、この夏を休養に充てると一気に花開いた。
「グンと成長して帰ってきました。復帰初戦は後手に回って自分の形の競馬が出来なかったにもかかわらずゴール前で進路が開いたら一気に差し切りました。こちらが想像していた以上の成長力に驚きました」
続く1戦でアルゼンチン共和国杯(GⅡ)に使うと、ここも優勝してみせた。
「中3週で、距離も100メートルしか違わないので、試してみるつもりで走らせたら、ここも思った以上に強い競馬で勝ってくれました。長い直線を早目に抜け出してからも脚色が全く衰えなかったので、その成長ぶりは自分の考えている以上だったと感じ、驚きました」
厩舎にとって4つ目の重賞勝ちは、同馬にとって初の重賞制覇。勢いに乗って、グランプリに駒を進めた。
「春は勿論、秋初戦の頃もまさか有馬記念に使えるまでになるとは想像もしていませんでした」
母親から「(競馬に疎い)父が、ゲン担ぎにかつ丼を食べていた」と聞き、思った。
「有馬記念は競馬を知らない人でも知っているレース。父を介護している母にも元気になってもらえるレースに挑戦出来るのは良かったと感じました」
ただ、同時に、厳しい戦いになる事は百も承知だと続けた。
「アルゼンチン共和国杯は54キロの軽ハンデで、作戦も明確に立てやすかったけど、今回は斤量が増える上、何と言っても一段も上の相手達と戦わなければなりません。持ち前のスタミナと操縦性の高さを武器にどこまでやれるか期待はしますが、そう簡単に勝てるとは思っていません」
師匠と戦うよりも嬉しい事
「強い相手」の中には師匠である鹿戸雄一が送り込むエフフォーリアもいるが、42歳になったばかりの調教師は次のように語る。
「『師匠と大舞台で戦えるのは嬉しい』と言えば皆さん喜んでくれるかもしれませんが、正直な本心を言うと、それよりももっと嬉しい事があるんです」
そこでひと呼吸置くと、再び、口を開いた。
「自分の考えていた以上にブレークアップが成長してくれて、これだけの素晴らしい相手と一緒に走れる。彼の成長力に感慨深いものを感じています」
「そう簡単に勝てるとは思っていない」と語った指揮官だが、ここでもまた“黒岩が考えていた以上の成長力”を披露して、クリスマスプレゼントを……いや、誕生日プレゼントを届けてくれるだろうか……。注目したい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)