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東海道線の丹那トンネルに今も残る85年前の北伊豆地震の痕跡

饒村曜気象予報士
早春の狩野川(写真:アフロ)

東海道線の熱海と三島の間にある丹那トンネルは、中央部がわずかですがS字型に湾曲しています。

これは85年前の昭和5年(1930年)11月26日4時3分に伊豆半島の丹那盆地を中心として発生した北伊豆地震の痕跡です。

北伊豆地震では、人口7400名の韮山町(現在は伊豆の国市)で76名など、272名が亡くなるという大きな被害が発生しています。

東海道線の高速化

東京と神戸を結ぶ東海道線は、小田原から三島の間は山地をさけて迂回し、御殿場を通って作られました。現在の御殿場線が昔の東海道線です。しかし、人や物資の交流が盛んになるにつれ、東海道線の高速化が計画され、小田原から熱海を通って三島を最短で結ぶ新線が計画され、大正6年(1918年)から丹那トンネル(全長7.8キロメートル)の掘削が始まりました。

工事は、丹那断層付近で大量の出水があって困難をきわめ、本坑とは別に排水用の坑道を掘るなど、多数の坑道が掘られていました。

多数の坑道は、北伊豆地震を起こした丹那断層の移動で食い違いや崩壊を起こし、3名が死亡するなどの被害がでています。

しかし、結果的に多数の坑道の被害は、断層の移動をはっきりと記録していたことになります。このため、北伊豆地震以降、地震と断層の関係についての調査・研究が進んでいます。

丹那トンネルは、北伊豆地震がありましたが、着工から16年後の昭和9年に完成しました。出入り口付近はほとんど完成していたときの北伊豆地震であり、中央部をわずかにカーブさせて完成させています。

問題がないほど僅かなカーブですが、これが東海道線の丹那トンネルに残る北伊豆地震の痕跡です。

丹那断層は1000年に1回、2m動いた計算

北伊豆地震により、伊豆の修善寺の東側の谷間から北へのびる丹那断層は、約35キロメートルにわたり、上下に2.4メートル、南北に2.7メートルずれています。

丹那断層を境に、約50万年前にできた地層の東側が北へ1キロメートルずれていますが、これは、北伊豆地震程度の地震が1000年に1回(50万年で500回)おき、その都度、2メートル程度動いたためと考えられています。

大地震を予知して準備中に発生した北伊豆地震

昭和5年は、伊豆の伊東地方で2月13日から小さな地震が多数発生しています。震源の深さは10キロメートルより浅く、火山性の地震をいわれた伊豆群発地震は8月末に終わっています。

図1 北伊豆地震震度分布図
図1 北伊豆地震震度分布図

しかし、11月7日になると、伊東群発地震の北西のほうで、別の群発地震が起き始めています。

このため中央気象台(現在の気象庁)では、11月17日と18日に現地調査を行い、飛行機による詳しい観測を行おうとしていた11月26日の朝、北伊豆地震が発生しています(図1)。あと、半日地震の発生が遅かったら飛行機による観測が行われたと思われますが、その時に、何か地震の前兆現象を見ることができたのでしょうか、できなかったのでしょうか。そして、地震の予知ができたのでしょうか。

口惜がる気象台 大地震を予知して準備中にこの災厄

今回の地震については気象台では十数日来の地震頻発の規模より見て既に危険性ある事を認め、去る十七日には国富技師自ら今回の最激震地帯たる北伊豆即ち丹那、韮山、浮橋方面を二日に渡って出張調査した結果、いよいよその憂いを深めるに至り、岡田台長も容易ならぬ事とし極秘裡に静岡、神奈川両県知事並に内務部長等と慎重協議し、この方面に大々的に周密な観測を行って万全の対策をとるべく、震源地を囲む韮山、三島、湯河原、網代の四ヶ所を選定し、二十五日夜は付近の測候所長とも協議の結果、廿六日朝右地方に観測機をもって行く手はずのところへ不幸予想よりも早くあたかもその朝遂にこの大地震突発を見たもので、気象台でも返すがえす残念がっている。

出典:昭和5年11月27日の朝日新聞朝刊

地震でできた国の天然記念物

図2 天然記念物「地震動の擦痕」
図2 天然記念物「地震動の擦痕」

北伊豆地震により江間村(現在は伊豆の国市)の江間小学校で、「地震動の摺痕」という国の天然記念物が誕生しています。

それは、海軍払い下げの直径45センチメートルの魚雷(船舶攻撃用の兵器)です。重みと慣性で地震でも静止していた魚雷本体の金属に、地面とともに動いた台石が傷を付けたもので、地震計と同じ原理で、北伊豆地震の揺れをくっきりと金属表面に痕跡として残しました(図2)。

地震の痕跡は時間がたつにつれ、ほとんどが失われてしまいます。しかし、残された数少ない痕跡を大事にすることは、地震の教訓を後世に残す一助になるのではないでしょうか。

図1の出典:饒村曜(2012)、東日本大震災 日本を襲う地震と津波の真相、近代消防社。

図2の出典:饒村曜(2010)、静岡の地震と気象のうんちく、静岡新聞社。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2024年9月新刊『防災気象情報等で使われる100の用語』(近代消防社)という本を出版しました。

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