2025年大阪万博「自動翻訳機で子供たちが世界中の人々と直接話せるようにしたい」松井府知事が宣言
[パリ発]2025年の大阪万博開催が決まり、23日夜(現地時間)パリのパビリオン・ロワイヤルで祝賀レセプションが開かれました。博覧会国際事務局(BIE)総会の第1回投票で2位のロシアと大差がついた時点で日本は勝利を確信しました。
「大阪が2008年夏季五輪に立候補した時は11票入ると言うとったのに、フタを開けてみると最下位の6票しか取れんかった。今回85票も集まったのは皆さんのおかげです」
レセプション会場で大阪府の松井一郎知事と大阪市の吉村洋文市長は祝杯を上げながら上機嫌でした。
筆者はBIEの総会には入れてもらえなかったので、レセプションで松井知事や吉村市長ら誘致関係者に突撃インタビューを試みました。
松井一郎大阪府知事
――開催決定おめでとうございます。1970年大阪万博について知事の思い出を聞かせて下さい
「僕の住んでいる所から全く異次元に来たのかなという感じでした。その当時、小学校の2年生、7歳でした」
――僕は大阪万博の米国館で見た「月の石」が衝撃的でした。知事は何が一番、印象に残っておられますか
「こんなに人が多いのかなと思いました。小学生だったんで、その時初めてファーストフードというものが登場して、それが食べたくて仕方ありませんでした」
「当時の万博はお弁当の持ち込みが認められていて、結局、母親の弁当を食べました。何か、美味しそうなものとか、いっぱいありました。あとは、とにかく外人さんが多かったという思い出です」
――2回目の大阪万博で、小学校2年生の子供たちに何を伝えたいと思いますか
「1970年、僕らは、なかなか外国の人とも会話もできないし、恐る恐るという感じでした」
「今度はね、世界中のどこの国の人とも、すごい性能の良い翻訳機で、英語だけじゃない、フランス語だけでもない、世界中のすべての人たちと日本の子供たちが直接コミュニケーションをとれる、そういう万博にしたいです」
――自動翻訳機は日本のメーカーと開発されているのでしょうか
「今、日本の翻訳機は進化してきています。まだ、全言語とはいきませんが、全言語に対応できるようになると思いますよ」
吉村洋文大阪市長
――どんな万博にしたいですか
「1970年を超えるような夢を見る万博にしたいと思います」
――大阪五輪に立候補した時は6票しか入らなかったそうですね
「また、そうだったら、どうしようかなと思いましたが、今回は国と自治体と経済界が一体となったら、まだまだ世界と戦えることが証明できたと思います」
松本正義関西経済連合会会長(住友電工会長)
――前回の大阪万博、会長は何をされていましたか。小学生でしたか
「アホを言うな。もう会社に入っていましたよ」
――その時の関西財界と比べて今は大分変わったのではないでしょうか
「ちょっと落ちました。1970年の日本全体に占める関西のGRP(域内総生産)は20%。今は16%弱です。現在の85兆円ぐらいではあきませんな。今のGDP(国内総生産)の550兆円の20%ぐらいは関西でやらないといけません」
「120兆円は無理やから、とにかく100兆円でも超えてくれ、というのが我々、経済界の願いです」
――大阪万博と大阪湾の人工島・夢洲(ゆめしま)(大阪市此花区)でカジノを含む統合型リゾート施設(IR)の開業で関西経済は飛躍しますか
「あまり飛躍しません。長期にわたって考えれば、産業が成長していかないと、関西経済全体に与える影響はIRとか万博とかは大したことはないですよ」
――関西経済を復活させるカギは何なのでしょう
「それは大きく分けて4つあります。iPS細胞を含めた健康・医療、航空機、環境・エネルギー、ビッグデータ・AI(人口知能)・IoT(モノのインターネット)・ロボットです」
――どの企業がその中核を担うのでしょう
「住友グループとか川崎重工とかいっぱいあります。航空機は川崎重工と新明和工業です。関西にどうピラミッド構造を作っていくかです」
世耕弘成経済産業相
――おめでとうございます。勝因は何でしょう
「政府、大阪、関西の地元の皆さん、経済界の皆さんが一致団結して頑張った成果だと思います。今日一日は勝利の美酒に酔いたいですが、明日から早速、準備に取り掛かりたいと思います」
――安倍晋三首相も喜んでおられましたか
「まだ連絡はついていません。日本は夜中ですから」
1964年の東京五輪、70年の大阪万博。そして2020年の東京五輪・パラリンピックと25年の大阪万博。日本があの頃の輝きを取り戻せるかは若者や子供たちが主役になって未来への夢と希望を抱けるかにかかっています。
(おわり)