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なぜ強い? バドミントン日本女子ダブルス その3

楊順行スポーツライター
ダイハツ・ヨネックスオープンジャパン2018で優勝した福島由紀(右)/廣田彩花(写真:森田直樹/アフロスポーツ)

 12年ロンドン五輪で、日本初の五輪銀メダルを獲得した藤井瑞希/垣岩令佳。藤井はのち、こんなふうにルネサス(現再春館製薬所)での日々を語っている。

「伝統的にダブルスの強いチーム。もちろん、技術を見て盗もうとはするんですが、末綱(聡子/前田美順)先輩たちのような守備力はなく、"まだ捕るか、それでも捕るか"というラリーはできません。その分を補おうと考えたのが、2人の素早いローテーションでした」

 ダブルスは基本的には、どちらかが前衛、後衛のスペシャリストでコンビを組むことが多い。だがフジカキの2人は、どちらとも前、後衛から攻められるように引き出しを増やしていった。日本の持ち前の"粘り"にプラスアルファしての銀メダル獲得は、「私たちに"やれ"と言われても、絶対できない」(前田)プレースタイルによるものだった。

メダルはすごい。でも、私たちでもできるはず

 そして、この銀メダルを「すごいなぁ」と見ていたのが高橋礼華/松友美佐紀……タカマツだった。ただ、松友がこんなふうに話してくれたことがある。

「銀メダルはすごいことですが、それでも、自分たちもフジカキさんたちといい勝負ができていたので、正直複雑でした」

 タカマツはロンドン五輪のレース当時、フジカキ、スエマエ、松尾静香/内藤真実に次ぐ国内4番手だった。五輪出場枠は2。だから代表合宿では、どうやって上の3つに勝つかばかりを工夫していた。松友はいう。

「守っているだけでは勝てません。だから、まずは最低限のレシーブ力をつけ、そこになにをプラスすべきかを考えるんです。たとえば11年の中国OPで、初めてスエマエさんたちに勝ったときは緩急の付け方、スペースのつくり方をシングルスふうに変えてみたり。そして11年は、そのあとの全日本総合でもスエマエさん、松尾さんたちに勝って初優勝。上位3ペアと対等に戦える手応えは出てきたんです」

 タカマツは、松友が社会人となった10年からナショナルチーム入りしたが、「最初は、SSに出ても1回戦負けばかり。水曜に試合が終われば、あとは大会終了まで練習するしかなく、それがヨーロッパなら"わざわざ、なにしに来たんだろう"(笑)」(松友)という状態だった。上位のペアが当たり前のように8強、4強に進むのを横目にしての屈辱。抜け出すには、練習と工夫しかない。代表での切磋琢磨もさることながら、そこで参考にしたのは当時無敵だった中国勢だ。2人で動画サイトを検索しまくり、どうやって相手を崩すのか、この球の意図はなにか、なぜあの場面であの体勢で打てるのか……。

 やがて、長期の遠征や合宿で代表の日常を重ねるうちに、高橋には明確に見えてきたことがあるという。

「スエマエさんやフジカキさんとたくさん練習しながら、みんな違うスタイルだと思いました。スエマエさんたちなら、国際試合でも守り続けて勝つことができますが、私たちはレシーブだけでは勝てないし、同じスタイルでは限界がある。ロンドン五輪のあとは、攻撃をしっかりしないと勝てないと考えるようになりました。たとえば、レシーブから攻撃に持っていくコンビネーションなど……だから私たちは、どちらかと言うと中国に近いスタイルだと思います」

 その高橋、「私は、パワーも技術も平均的なプレーヤー。レシーブにもそこまでの自信はない」と語るように、日本の伝統である粘り強い守りを受け継いでいるという自覚はさほどないという。だが中島コーチは「世界で一、二」とその守備力の高さを認めるし、なにより後衛に回ったときのコートカバー力は、男子も顔負けという定評がある。

全日本総合は世界ツアーレベル

 そして……9月に日本開催のダイハツ・ヨネックスオープンジャパンを制した福島由紀/廣田彩花。タカマツが金メダルを獲得したリオ五輪決勝は、2人でテレビを見ていたという。どちらからともなく「すごいね……でも、私たちだっていけるんじゃない?」。その時点での2人は、まだB代表にすぎない。リオ五輪後に行われた国内の全日本社会人選手権(A代表はほとんど出場しない)で、ようやく初タイトルを獲得する程度だった。ただ、「いけるんじゃない?」には根拠がある。国内大会でタカマツと対戦したとき、あわや勝利という第3ゲームのデュースまでしのぎを削った手応えがあったからだ。

 すると、翌17年。フクヒロは、世界選手権銀メダルやマレーシアOP優勝など一気にブレークし、世界でもっとも成長著しい選手としてBWFプレーヤーアワードを受賞するのだ。そして国内初勝利から2年、堂々と世界ランキング1位に君臨している。このストーリー、なにかに似ていないか? そう、ロンドン五輪でフジカキの銀メダルを「すごい」と思いながら、「でも、私たちでもいい勝負ができる」と感じたタカマツが、そこから金メダルに駆け上がった構図、だ。

 オグシオからフジカキ、さらにタカマツ、フクヒロへ……。舛田コーチ流にいうなら、それぞれが「150キロを打つために工夫し、切磋琢磨し、プラスアルファ」しながら力を伸ばしてきた。そして冒頭記したように、世界ランキングトップ10に5組も名を連ねる日本女子は、いまやダブルス王国といってもいい。蛇足ながら、強くなればなるほどJOCからの助成も充実し、ますます指導体制が充実するという好循環も見逃せない。

 11月末からは、全日本総合選手権がある。その年の日本チャンピオンを決するため、各選手とも国際試合とはまた違った思い入れを持つ大会だ。そこに世界トップランカーたちが集結するのだから……これはもう、ワールドツアーなみのハイレベルな試合が見られるに違いない。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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