原発事故対応の過酷な職務でうつ病に──東電社員が労災申請で記者会見
2016年10月31日、東電社員の一井唯史さんが厚生労働省記者クラブで記者会見し、東電原発事故の被害者に対する賠償対応の激務でうつ病になったとして、同日に、東京労働基準監督署に労災申請したことを明らかにした。一井さんは東電から、11月5日で解職になるという知らせを受けている。
一井さんは賠償額を基準に沿って評価する業務などを担当していたが、賠償の範囲の判断は難しく、精神的な負担が大きかった。
さらに勤務時間は、記録上は最高で月に89時間だが、仕事を家に持ち帰ることもあったことなどから実際には169時間になっていたという。睡眠時間も少なく、勤務中に吐き気や倦怠感で中座することも多かった。
もともと電気事業担当だった一井さんが賠償担当業務に就いたのは2011年9月。当初は法人賠償のクレーム対応にあたっていた。その後2012年5月からは法人賠償の審査等も担当するようになり、2013年2月からは「産業補償総括グループ基準運用チーム」に配属になった。
「産業補償総括グループ基準運用チーム」は、法人に対する賠償の範囲や基準を決定する役目を担う。ミスも許されないため極度の緊張感にさらされ続けた上、残業時間も長かった。就寝は深夜2時過ぎ、起床は6時、睡眠時間は実質3時間半〜4時間という生活が続いた。
さらに、一井さんによれば東電は2013年6月から東電は賠償業務の一部を外部に委託。このため経験の浅い担当者が増え、「産業補償総括グループ基準運用チーム」のメンバーは会議や資料作成の負担が増えたという。
こうしたことから体調を崩し、トイレで吐いたり、休むことが増えた。勤務中にトイレに行く回数が多くなったため、グループマネージャーに指摘されて心療内科を受診したところ、2013年9月にうつ状態と診断されて休職することになった。
翌2014年3月頃には、会社の労務担当者やマネージャーなどに過労による労災ではないかと相談したが、対応してもらなかったという。自分で外部の人たちに相談して、今回の申請になった。
会見では、「この職場はみんな心が疲れていますね」など、同僚らとの間でかわされたメールの内容も紹介された。
労災申請について、実名で記者会見したのは、「多くの人に現状を知ってもらい、仲間を救いたいと思った」ため。同じ職場には、病気療養の後で退職した人もいたという。
一井さんの労災申請について、同日に開かれた四半期決算の会見で東電の廣瀬直己社長は、個人の病気の話なので詳細は控えるとした上で、「労災申請するなら真摯に対応しないといけない。労働時間の管理はしっかりやっているつもりだ。賠償を円滑に進めるために人員配置もする」と話した。