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どうなる?名古屋城木造化。城郭考古学者・千田嘉博教授に聞く!

大竹敏之名古屋ネタライター
天守の石垣周りには巨大な足場が組まれ、計画は着々と進行しているように見られるが…

徳川家康が築いた国内最大級の巨城にして国宝第1号

名古屋城はいわずと知れた名古屋のシンボル。徳川家康が城とセットで名古屋の街そのものも築いたという点からしても、まさしく名古屋の原点であり、象徴といえます。

国内最大級の巨城として築かれ、1930(昭和5)年には城郭建築として初の国宝に。しかし、残念ながら天守閣は太平洋戦争時の空襲によって1945(昭和20)年に焼失。1959(昭和34)年に鉄筋コンクリート製で再建されました。

これを江戸時代当時の姿によみがえらせようという計画が、河村たかし名古屋市長が旗振り役となって進められています。「名古屋城天守閣木造復元」は建設費500億円を要する巨大公共事業であり、河村市政最大の目玉ともいえます

現行のコンクリ製天守閣は、計画通りだと来春には取り壊される。写真は、普段は一般公開されていない東南隅櫓(すみやぐら)からの眺め
現行のコンクリ製天守閣は、計画通りだと来春には取り壊される。写真は、普段は一般公開されていない東南隅櫓(すみやぐら)からの眺め

今年5月には現行天守閣の入場を禁止。2022年の竣工に向けて、いよいよ計画が具体化…というのが名古屋市民はもとより広く一般に認識されている現段階の状況だと思います。

その一方で、ここに来てちらほらと「本当に2022年に完成するの?」「そもそも計画自体が無理筋なんじゃ…?」という声が聞こえてきます。エレベーターを設置するか否かの問題も解決しているとは思えません。

一体、天守閣木造復元計画の現状はどうなっているのか? 問題があるとすれば何がどう問題なのか? 城郭考古学者で、名古屋城石垣部会のメンバーとして名古屋城の史跡調査にも深くかかわっている奈良大学・千田嘉博教授に尋ねました。

千田嘉博教授インタビュー! 「名古屋城木造復元計画は何が問題?」

城郭考古学の専門家、千田嘉博奈良大学教授。語り口はユーモアとウイットに富み、とてもお茶目な性格
城郭考古学の専門家、千田嘉博奈良大学教授。語り口はユーモアとウイットに富み、とてもお茶目な性格

― まず名古屋城の史跡としての価値を教えてください。

千田  「名古屋城跡は、“史跡の中の国宝”ともいうべき『特別史跡』。特別史跡は全国に60件あり、他に五稜郭跡、江戸城跡、大坂城跡などがあります。名古屋城は櫓や門も含め、石垣や堀、城のかたちに本質的価値があるということです」

― 現在、進められている天守閣の木造復元計画は何か問題があるのでしょうか?

千田  「ひと言でいえば適切なプロセスを踏んでいないこと。特別史跡を復元するには、管理団体(=名古屋城の場合は名古屋市)が専門家らの知見を集め、綿密な調査を行った上で保存活用計画書を作成し、文化庁の許可を得なければなりません。これは知事や市長が思いつきで史跡を改変できないようにするための仕組みです。この計画書の内容が不十分とされ、文化庁にいまだに受理されていないんです」

― どんな点が不十分なのでしょう?

千田  「専門的な調査や検証が不足していること、天守を木造で復元する理論的な説明ができていないこと。今の計画書は『木造でつくりたい!』という思いが強すぎて、石垣などをどのように守り活かすかという部分が十分ではないのです」

千田教授所属の石垣部会が計画を滞らせている?

― 千田先生が名を連ねる石垣部会は、その専門的な調査・検証のための組織なのではないですか?

千田  「石垣に限られますがその通りです。史跡整備を行うときに文化庁が求める専門家委員会にあたり、オブザーバーとして文化庁の調査官も入っています。現行のコンクリート製天守は耐震強度が不足していることが再建の理由のひとつになっていますが、その前に土台となる石垣の安全性を確保しなければなりません。私たち石垣部会は『石垣はきわめて危険な状態』と指摘しているにもかかわらず、名古屋市がまとめた天守の木造復元計画書は、当初なぜか『石垣は安定している』と結論づけていたのです。また、名古屋市は名古屋城を学術的に調べる調査研究センターを設置する意向ですが、他の大規模整備を行っている城と比べて貧弱な体制になることを危惧しています」

大天守を支える天守台。積み上げられた石のいたるところにひび割れなどが見られる(写真は今年3月撮影。現在は足場が組まれ、一般見学者は石垣の状態を見られない)
大天守を支える天守台。積み上げられた石のいたるところにひび割れなどが見られる(写真は今年3月撮影。現在は足場が組まれ、一般見学者は石垣の状態を見られない)

― メディアの報道などを見ていると、石垣部会がイチャモンをつけて計画を滞らせている、という印象すら受けます。

千田  「そうでしょう!私もSNSなどでさんざんクレームを受けています。『お金をもらって文句をいってるんだろう!』とか(苦笑)。石垣の状態は本当に深刻です。天守台では石垣が崩壊過程に入っていることを示すS字変形が進行し、空襲を受けた際の石材の熱劣化で、ひび割れや破断も広範囲におよんでいます。明治以降の修理の際に基礎部分を削ってしまったために安定性を失っている箇所も多い。いたるところで石垣の間から木や草が生えている様子が見られますが、あれも内側の土が表面まで出てきてしまっている、すなわち石垣の内部構造が壊れてきている証拠です。史跡としての価値を守るだけでなく、来場者の安全のためにも早急に調査と分析を進めて、適切な保全措置をとらなければいけません。こう一貫して求めているんですが、石垣部会の意見は天守の復元計画に十分反映されていないように思います」

― 天守閣の木造復元は文化事業として非常に分かりやすく、私を含めて「費用はさておき、できるなら素晴らしい」というのが多くの人たちの認識だと思います。逆に、石垣の重要性は今ひとつピンと来ない。

千田  「それは名古屋市も、天守閣の設計・工事を担当する竹中工務店も同様だと感じます。なぜなら天守の復元計画は、まず天守台石垣上部の石材を壊して内部に鉄筋コンクリートの『はり出し架構』を埋め込んで天守を木造で建設し、その後9年かけて石垣を大規模に修理するとしているんです。木造天守はあくまでも“原寸大レプリカ”です。“史跡の国宝”=本物である石垣の保全と安全対策は城跡整備で最も優先順位が高く、これを破壊してレプリカをつくるという考え方は、史跡整備の原則から大きく逸脱しています」

それでも計画の断行は既定路線?

石垣の石の間から豪快に草木が生えている。堀の下には石の破片が大量に落ちているのも見える。千田教授いわく「来場者の安全のためにも早急に手を打つのが必要な状態」
石垣の石の間から豪快に草木が生えている。堀の下には石の破片が大量に落ちているのも見える。千田教授いわく「来場者の安全のためにも早急に手を打つのが必要な状態」

― さらには文化庁が小難しい理屈をつけてイジワルしている、なんてイメージもなきにしもあらずです。

千田  「文化庁としては、まずは特別史跡である石垣をちゃんと調査した上で、適切な保護の措置を踏まえた復元計画を提出してください、すべてはそこからという立場ではないでしょうか。昔は政治力でゴリ押しするということもあり得たのかもしれませんが、今はコンプライアンス的にあり得ません。現実問題としてまずはここをクリアしないと、木造復元計画はにっちもさっちもいかないと思います」

― それでも、木造復元は既定路線で、最終的には河村市長の方針にのっとって推し進められるんじゃないの? 報道を見ていても、こんな空気を感じます。

千田  「文化庁の許可なく特別史跡名古屋城跡の現状を変更するのは違法行為ですから、現状の計画書の通りに許可を得ずに進められることは常識的にはあり得ないと思います。今のところ文化庁は計画書を受け取ってもいないので、名古屋城の天守木造復元は審議の対象になっておらず、何も決まっていないのが現状です

4年後に木造天守閣は完成するの?

― 工期4年、2022年完成というスケジュールの実現性は?

千田  「私自身の認識では現実的ではないといわざるを得ません。学術調査や石垣の保全措置を後回しにした完成の期日ありきの計画にそもそも無理がある。他の地域での例を見ても、史跡の復元には調査のための専門員会発足から完成までスムーズにいって10年程度はかかります。名古屋城も石垣の保全措置だけでそれくらいはかかる可能性があります」

本丸搦手馬出(ほんまるからめてうまだし)周辺では石垣修復工事が2003年から行われている。石垣を解体して再び積み直すという作業で、天守台についても同様の作業が当然必要になると千田教授は主張する
本丸搦手馬出(ほんまるからめてうまだし)周辺では石垣修復工事が2003年から行われている。石垣を解体して再び積み直すという作業で、天守台についても同様の作業が当然必要になると千田教授は主張する

― 名古屋城では既に一部、石垣の解体作業が行われています。解体だけで10年かかっていますが、これには年間予算の制限もある、とも聞きました。予算と人員を投入すれば工期の短縮は可能だとは考えられませんか?

千田  「史跡の石垣の補修には、文化財石垣に携わることができる専門の石工さんが不可欠です。絶対数が少ない上に、現在は熊本城の修復に全国から招集されていて、人材が圧倒的に不足しています。石垣の石はひとつひとつ形や状態を検証して、劣化・破断しているものは樹脂で接着したり、ステンレスピンで結束結合するなどの措置が必要。それが名古屋城の場合は天守台だけで何千、城全体では何万個とある。考えただけで気の遠くなるような作業で、予算を10倍かければ工期を1/10に短縮できるという類のものではないんです」

大人気の本丸御殿にも問題が・・・?

約10年にわたる未曽有の大復元事業で今年6月に全面公開となった本丸御殿。連日、見学者の長蛇の列ができる
約10年にわたる未曽有の大復元事業で今年6月に全面公開となった本丸御殿。連日、見学者の長蛇の列ができる
本丸御殿のすぐ隣に小天守が。「修復する順番が逆だったのでは?」と千田教授
本丸御殿のすぐ隣に小天守が。「修復する順番が逆だったのでは?」と千田教授

― 天守閣の再建に先駆けて、今年6月には本丸御殿が完成しました。

千田  「見どころ満載で、ガイドさんの解説も正確で感心しました。ただ、天守台石垣の保全や天守の復元工事に関しては、名古屋市が見落としてきた問題があるんです。復元計画は大天守、小天守が対象ですが、本丸御殿と小天守の間にはほとんどすきまがなく、狭いところだと御殿側の基礎と石垣との間が数十cmしかありません。どう考えてもクレーンなどの重機は入れられないんです。天守の石垣の石は大きなものだと1トンほどもある。江戸時代なら何千人と連れてきて“よいしょ”と運ばせられたんでしょうが、今はそういうわけにはいきませんからね。一体どうしたらいいんでしょうねぇ」

障がい者団体が抗議するエレベーター問題

名古屋城には江戸時代から現存する3つの隅櫓(すみやぐら)があり、期間を限定して公開されている。内部の移動は急な階段を昇降するしかない。復元する木造天守閣も、現状では同様の階段のみを設置するとされている
名古屋城には江戸時代から現存する3つの隅櫓(すみやぐら)があり、期間を限定して公開されている。内部の移動は急な階段を昇降するしかない。復元する木造天守閣も、現状では同様の階段のみを設置するとされている

― エレベーターを設置するか否かが大きな問題となっているバリアフリー化についてはいかがでしょう?

千田  「石川県の金沢城は木造復元した櫓・多門櫓内に本来あった木造の階段も復元しながらそれはあくまで展示物とし、別に来訪者が使うゆるやかな階段やエレベーターを設置しました。沖縄県の首里城は天守にあたる正殿まで車イスで見学できます。史跡の整備でバリアフリーを取り入れるのは今では常識です

― 名古屋城は史料が豊富で、日本の城郭建築の中でほぼ唯一、江戸時代の姿にならった完璧な復元ができるといわれています。だからこそ木造復元の意義があるというのが河村市長の主張で、これについては私も説得力があるように感じます。

8月の「名古屋城夏まつり」期間中は3つの隅櫓が初めて同時公開された。入場待ちの行列ができ、“ホンモノの史跡”に対する関心の高さがうかがえた
8月の「名古屋城夏まつり」期間中は3つの隅櫓が初めて同時公開された。入場待ちの行列ができ、“ホンモノの史跡”に対する関心の高さがうかがえた

千田  「文化庁も史実にもとづく整備とバリアフリーの両立が大切だという考え方で、すべてオリジナルの通りでないと再建を許可しないということではありません。軍事要塞である城はいわばバリアの塊ですが、私たちが今つくるべきなのは、今の時代にそくした誰もが豊かな文化とわが国固有の歴史を体感できる史跡です。障害などによってそれを享受できない人がいてはいけないのです。ヨーロッパの城などでもバリアフリーは当たり前で、東京オリンピック・パラリンピック開催で海外から多くのお客様を迎えるのですから、史跡のバリアフリーをさらに推進する必要がある。名古屋城は特別史跡として、それを率先して進める立場にあると考えます」

― 天守閣を木造で再建するというプランには非常にロマンがある。ただし、やるからには中途半端に妥協せずに世界に誇れるものにしてほしい。

千田  「もちろんです。私も決して木造再建自体に反対しているわけじゃないんですよ。名古屋城は本当に価値のある私たちの財産です。江戸時代の石垣を未来に守り伝え、21世紀に生きる私たちの英知を示す名古屋城跡の整備を実現させましょう!」

西北隅櫓の内部。軍事施設のため装飾もなく、いってみれば“殺風景”。天守閣も木造復元されれば、現行コンクリ天守閣の歴史ミュージアム的展示はなくなり、これと同様の状態になると考えられる
西北隅櫓の内部。軍事施設のため装飾もなく、いってみれば“殺風景”。天守閣も木造復元されれば、現行コンクリ天守閣の歴史ミュージアム的展示はなくなり、これと同様の状態になると考えられる

◆◆◆

千田教授の主張に対しては、ご本人も明かしていた通り、否定的な声もあるようです。しかし、計画の根幹にかかわる立場からの専門的な知見にのっとった意見には、真摯に耳を傾ける価値があることは間違いありません。両論併記が必要という意見もあるでしょうが、地元・名古屋においてさえ、不思議とこうした内側からの問題提起があまりアナウンスされていません。そのような状況下においては、情報のバランスを取るために、あえて千田教授の声を十分に取り上げる必要性があると考えました。

筆者自身は、千田教授の意見はよりよい木造復元を実現させるための建設的な提言だと感じます。世界に誇り得る名古屋城の歴史的価値を守り、つないでいくために、まずは幅広い情報や知識を得ることが必要なのではないでしょうか。

※この記事は、8月14日に愛知学院大学で開催されたモーニングセミナー「名古屋城物語~名古屋城の秘話~」の講義内容と、独自のインタビューをもとに構成しました。

(写真はすべて筆者撮影)

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「名古屋城の天守閣が5月6日で閉館。登るのは今がラストチャンス!」(2018年4月6日)

「河村たかし名古屋市長に聞く!『名古屋=魅力ある街』への秘策・奇策」(2017年11月27日)

名古屋ネタライター

名古屋在住のフリーライター。名古屋メシと中日ドラゴンズをこよなく愛する。最新刊は『間違いだらけの名古屋めし』。2017年発行の『なごやじまん』は、当サイトに寄稿した「なぜ週刊ポスト『名古屋ぎらい』特集は組まれたのか?」をきっかけに書籍化したもの。著書は他に『サンデージャーナルのデータで解析!名古屋・愛知』『名古屋の酒場』『名古屋の喫茶店 完全版』『名古屋めし』『名古屋メン』『名古屋の商店街』『東海の和菓子名店』等がある。コンクリート造型師、浅野祥雲の研究をライフワークとし、“日本唯一の浅野祥雲研究家”を自称。作品の修復活動も主宰する。『コンクリート魂 浅野祥雲大全』はその研究の集大成的1冊。

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