悲願の欧州制覇に向け、シティはマドリーに挑む グアルディオラの「勇敢になれ」の意味と「失敗」の定義
サッカーにおけるミスとは?
サッカーにおけるミスはいくらでもある。
正面から押し込むだけだったシュートを外す、ドリブルでの失敗でカウンターを浴びる、空振りでボールを失う。どれも致命傷になり得るミスだろう。しかし、ミスは最小限にできたとしても、必ず起こり得る。
それだけに、ミスをどう扱うか。
そこに監督の力量は出る。あるいは、何をミスと定義するか。そのジャッジが重視される。
「私は選手がドリブルを挑んで失敗しても、イージーに見えるシュートを外しても、怒ることはない。怒ったように見えることはあるけどね(笑)。ただ、選手がシンプルにプレーすることを忘れた時、どうしても許せないんだ。怒りが収まらない」
マンチェスター・シティを率いるジョゼップ・グアルディオラは、拙著『レジェンドへの挑戦状』の中で、そう語っている。
グアルディオラはしばしば、コーチングエリアで激高する。多くの場合、指示を送っているわけではない。自制がきかず、単純に怒っているのだという。せっかく、いいタイミングで受けたパスに対し、不必要なボールタッチを重ねる。もしくは無駄にするようなパスを出し、プレーを台無しにする。それらを、単純に許せないのだ。
何気ないものであっても、監督の立場から言わせたら、決定的なものがある。せっかくかいくぐって敵陣に入ったところ、余計な横パスやバックパス、不必要なドリブルを入れることで、チームとしての努力は無に帰する。それは個人のミスとは質が違う。重大なミスだ。
サッカーにおける本当のミスは、選択、判断のところにある。
勇敢になれ
例えば、迅速にボールをつけ、ダイレクトを入れられるか、単純にそれだけで結果は変わる。そこでの積極的なトライは、ミスではない。むしろ、成功のための失敗と言える。
「勇敢になれ、何があっても勇敢になれ!」
グアルディオラはその言葉を選手に繰り返すという。それは多くの監督がよく言う「戦え」という号令とは違う。成功率が低いからと言って、ダイレクトパスをやめたり、ここぞのところでシュートを躊躇ったり、あるいは戦犯になるのを恐れてドリブルで仕掛けない。その弱腰を叱咤しているのだ。
グアルディオラが率いるマンⅭが常にトップを争い、今シーズンもプレミアリーグでアーセナルと熾烈な優勝争いを演じ、チャンピオンズリーグ(CL)ではバイエルン・ミュンヘンを撃破してベスト4に勝ち進めたのは、選手が勇敢に戦うことができているからだろう。おかげで、1年目のアーリング・ハーランドも臆さずにプレーできている。たとえ戦術適応の難しさはあっても、ネガティブなストレスはないのだ。
ミスは必ずある。しかし、それに恐れずに挑むことで、良いプレーは生まれる。それは結局、勝利に結びつく。
5月17日、マンⅭはCL準決勝で王者レアル・マドリーに挑む。ファーストレグは敵地で1-1のドロー。https://news.yahoo.co.jp/byline/komiyayoshiyuki/20230509-00348793セカンドレグは本拠地で戦えるアドバンテージはあるが、少しでも怯めば王者にペースを奪われる。
「勇敢になれ」
それが戦いのベースになる。
その点、最高のボールプレーヤーであるケヴィン・デブライネ、ベルナルド・シルバの二人がキーマンだろうか。敵陣内でプレーし、人が湧きだすように襲い掛かり、点は線となって攻め続ける。その間を分断された時、リスクも生じるのだが…。
勝っても、負けても、今シーズン最高のフットボールの予感だ。