『話の特集』元編集長・矢崎泰久さんと横尾忠則さんの最期の対談が示すアナーキーな雰囲気
2022年末に亡くなった『話の特集』元編集長・矢崎泰久さんの最期の対談は同年11月に行われた美術家・横尾忠則さんとのものだった。『週刊朝日』昨年12月9日号に掲載されたのだが、紙幅の都合で短くなったため、横尾さんから全文をぜひ掲載してほしいと言われ、10ページのロングバージョンを月刊『創』(つくる)5月号に掲載した。ただネットで読むには長文なので、ここにそのエッセンスを紹介したいと思う。
2022年秋に出版した『夢の砦』がきっかけで
もともと横尾さんとの対談は、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」事件の時に出品者でもあった横尾さんに私が連絡をとったのがきっかけで、『創』でやろうかと以前から矢崎さんと話していた。ただ、コロナ禍と矢崎さんの体調悪化により実現は難しいだろうとなっていた。
それがなぜ昨年11月に実現したかというと、矢崎さんが秋に出版した『夢の砦』(ハモニカブックス)という『話の特集』の名作を再録した本を横尾さんが読んで、矢崎さんに手紙を書いたという。矢崎さんはその手紙に勇気づけられ、電話で話し合って対談をという話になったようだ。
対談は横尾さんが連載を持っている『週刊朝日』でとなり、矢崎さんの体調を考えて、横尾さんのアトリエまでタクシーで送り迎えしたそうだ。矢崎さんは杖をついたり車椅子を使ったりという生活であまり外出しないようにしていたのだが、その時そうなったのは、やはり『話の特集』について最期に語っておきたいという気持ちがあったのだろう。矢崎さんにとっては人生そのものと言える雑誌だった。
独立系雑誌のパイオニア
『話の特集』と言っても1995年に休刊した雑誌で、知らない人も多いかもしれない。独立系雑誌のパイオニアとして私は敬意を表しているのだが、創刊は1965年。60年代後半のカウンターカルチャーの嵐が吹き荒れた時代背景を抜きには語れない雑誌だ。寺山修6さんなど異能の表現者が同誌には集まったのだが、横尾忠則さんもその一人だった。創刊号の横尾さんデザインの鮮烈な表紙は、同誌の象徴でもあった。
2021年の東京都現代美術館での横尾さんの展覧会には私も足を運んだが、やはりこの人は天才だと思った。私は1960年代後半の天井桟敷のポスターなどが一番好きだが、他の作品もとにかくすごい。
その横尾さんが表紙を描いた『話の特集』だが、矢崎さんとの対談でも、そのすごさがわかる。例えば同誌が一時休刊となった1966年12月号の表紙は、サンタクロースが首吊りしているというイラストだ。それを描いた思いも横尾さんは対談で明かしているが、大手出版社の雑誌ならサンタの首吊りの表紙などありえないだろう。
そういうアナーキーな匂いは今、世の中そのものから消えつつあるのだが、対談を読むと、横尾さんの中では今でも持続しているようで興味深い。
死に直面した心境を連載に
さてその対談のエッセンスを以下紹介するが、もともと横尾さんからこの対談の全文掲載依頼を受けることになったのは、『創』3月号の矢崎泰久さん追悼特集に横尾さんの追悼記を載せたのがきっかけだった。
矢崎さんは2022年春に一時危険な状況に陥り、緊急手術を受けて奇跡的な復活を遂げたのだが、『週刊金曜日』に長い間続けていた連載を降り、「遺書」まで同誌で公開した。いわば死に直面したのだが、その後容態が少し回復したなかで、やはり最期まで自分の思いを書き続けたいという気持ちになったようで、『創』で連載を始めることになった。
絶えず死と向き合って言葉を紡ぎ、その連載も9月頃には終了するから、つまり自分の命はその頃までだと言っていた。しかし医学の進歩のゆえか、小康状態は秋になっても続いていた。11月に原稿と一緒に郵送してきた私信には「いつも最後と思って書いてます」と書かれていた。
12月初めには今後の打ち合わせのために会う約束もしていたのだが、緊急入院となり、12月30日に帰らぬ人となった。私は会う約束が果たせぬまま永遠の別れになったことが落ち着かず、家族に連絡して納棺に立ち会わせていただくこととなった。
その経緯はヤフーニュースの下記の記事に書いている。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20230101-00331138
独立系雑誌のパイオニア『話の特集』元編集長・矢崎泰久さん逝去。大晦日に家族が集まり納棺
追悼特集に続いて「囲む会」開催
その後、前述したように『創』3月号に矢崎さんの追悼特集を掲載。息子の矢崎飛鳥さんや横尾忠則さん、中山千夏さんらの追悼原稿を掲載した。飛鳥さんの原稿はヤフーニュースで公開し、下記で読める。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fd0d75c65e8c41968d159ccf49d39bf918e88d5f
遺影はタバコをくわえた父の写真にした 矢崎飛鳥
そして実は2023年4月9日(日)14時から市ヶ谷駅そばのアルカディア市ヶ谷で「矢崎泰久さんを囲む会」を開催する。「囲む会」としたのは、矢崎さんが生前、「偲ぶ会」なんて自分に似合わないと言っていたというので、湿っぽい集まりでなく遺影を囲んで友人知人でにぎやかに話そうとするものだ。
発起人は下記豪華メンバーだ。
黒柳徹子、下重暁子、吉行和子、冨士眞奈美、小室等、李政美、田原総一朗、松崎菊也、山根二郎、松元ヒロ、足立正生、立木義浩、宇野亞喜良、矢崎飛鳥、他
そのほかにも大勢の著名人が当日参加してスピーチをしてくれる予定だが、黒柳徹子さんはさすがに無理。矢崎さんの友人には高齢の方も多いのだが、本人は「友だちはもうほとんど死んじゃったよ。永六輔さんが手招きしてる」と言っていた。確かに永さんだけでなく、野坂昭如さんも小沢昭一さんも、そして盟友の和田誠さんも他界してしまっている。当日、歌を披露してくれる予定の小室等さんなど、若手ということになっているらしい。どんな会になるかわからないが、『話の特集』の元読者や市民も参加可能なのでぜひ予約してほしい。詳細は創出版のホームページを見てほしいが、予約は電話でも構わない。
さて、以下、矢崎さんと横尾さんの対談だが、その前に横尾忠則さんのメッセージを紹介しよう。
《この対談のあと、1カ月半もしないうちに、まさか矢崎さんが死ぬとは思わなかった。僕より元気に見えた。だけどこの対談で矢崎さんは随分いろんなこと吐き出したので生きながらに解脱して、心置きなく逝っちゃったんじゃないかな。矢崎さんは記憶力のいい人だけれど、あっちの記憶、こっちの記憶とつぎはぎの記憶の名人で、そこに嘘が生まれるんだけども、その嘘が面白いので、僕は黙って「そうだったね」と話を合わせてあげていた。年長者だから礼儀礼節はなるべく尊ぶことにしたけれど、つい、こちらも無礼なことを言っちゃったねえ。人の死は悲しかったり、寂しかったりするけれど、矢崎さんは誰にも悲しませるようなことをしなかった人だった。自分でピエロを演じていたのか知れない。「矢崎さん元気でネ」とお別れの言葉を送ります。》
タイトルの書体を毎回変えて始末書
矢崎 僕ね、横尾ちゃんに会って知りたかったのは、(和田)誠ちゃんと最初に会ったのは、どういうきっかけだったの? 横尾ちゃん、デザイン会社にいたでしょ。
横尾 日本デザインセンターにいた頃に、田中一光さんの家で和田くんと知り合った。
矢崎 誠ちゃんは、『話の特集』の表紙を描いてもらうのは横尾ちゃん以外考えたくないっていうぐらい横尾ちゃんが好きだった。どうしてそんなに横尾ちゃんに惚れ込んでんのか、最初全然わからなかった。簡単に言えば僕が横尾ちゃんの絵がわかんなかった。どうしてこれがいいのかって。誠ちゃんはこんな素晴らしいものはないと言う。
横尾 矢崎さんに限らず、デザイナー仲間にも、何でいいのかわからないと言われたね。
矢崎 誠ちゃんは、横尾ちゃんって普通の人と違うんだって言うんですよ。横尾ちゃんの表紙にしないんなら、僕は矢崎さんと仕事しませんっていうから。
横尾 ああ、そうなの。
矢崎 それじゃ、しょうがないじゃない。もう誠ちゃんが決めちゃったんだから。
でもその頃は発行元はうちの親父の会社(日本社)だったから僕の権限がないわけですよ。そしたら、親父がこれダメだっていう。
横尾 僕の表紙をね。
矢崎 この絵は嫌われるから使わないっていうんですよ。そこで親父がグズグズ言ってるけどどうしようかって誠ちゃんに相談したら、横尾忠則の絵じゃなきゃやらないと。矢崎さんさよならだって言うわけですよ。僕はさよならしたくないし、1年間も前から打ち合わせをしてきたわけですよ。やっとやれるっていう段階で辞めるって言うから、馬鹿なこと言うなと言って。それでもう横尾ちゃんと心中しようと、横尾ちゃんの表紙で行こうとなった。
ところが今度は『話の特集』っていうタイトルがどうかということになった。
横尾 元々はエロ本のタイトルだったとか。そうなの? お父さんの出版社はエロ本作ってたのよね。僕の思想には合ってるタイトルだったけど。
矢崎 誠ちゃんと僕とで話して、誠ちゃんも困っていたけど、横尾ちゃんがいいと言ってるんだから、このタイトルで行こうよとなった。もうそれを決めてからは割と早く動き出したと思う。
横尾 でもタイトルについては、毎回同じ書体が僕は嫌だったの。それで、毎回書体を変えたら、矢崎さんがエラい人に怒られて。で、始末書書いて、毎回変えることはしませんって謝った。だけど、僕がまた変えたら、また謝りに行った。
矢崎 横尾ちゃんはね、言うこと聞かないのよ。「変えないでね」と言っても、「うん、わかった」って言うけど、結局、好き勝手にやっちゃう。もう取次店から、書店から大騒ぎになって、これダメだと。始末書書けって言われるから、僕は始末書書くわけです。でも始末書書いても書いても、横尾ちゃんは平気だからね。それが1年続いたね。
横尾 1年も続かなかったよ。1年だったら12回始末書書かなきゃいけないでしょ。そんなに書いてない。矢崎さんは誇大妄想と被害妄想癖の人だから。
サンタクロースの首吊りの表紙の終刊号
矢崎 横尾ちゃんの勝手気ままっていうのはすごい。素晴らしいもんだったね。会社が苦しくて、お金がないし、どうしていいかわかんない時に、 横尾ちゃんが(1966年)12月号にサンタクロースが首吊りしてる絵を表紙に描いたわけですよ。僕は横尾ちゃんに絵をもらいに行くわけです。すると、首吊ってんの。
横尾 12月号だからサンタクロースを描こうと思ったんだけど、矢崎さんがよく、お金がない、お金がないと言うから、どうせなら首吊らしてやろうと思って、それが『話の特集』の終刊号になった。僕としては「やったね」って感じで、サンタクロースが死んだんだから、本も死んでいいんだよ。
矢崎 横尾ちゃんがやってることは、僕に言わせれば、もうメチャクチャなんだ。誠ちゃんは、どうしてこんなに横尾ちゃんのこと好きなのかっていうぐらい反対しない。たまに横尾ちゃんのことを変だと思う?って聞くと、「僕は横尾ちゃんが好きだから」って言う。好き嫌いの問題じゃない、会社潰れるんだよって僕は言ったんです。
でも次の号はもう印刷会社に渡しちゃってるわけ。それで次の号を出すために誠ちゃんがお金集めようって言うから、その時もまた横尾ちゃんの絵で行くのって聞いたら、いや、横尾ちゃんやめようって、横尾ちゃんは首吊っちゃったんだから。だから、次はもう自分が描くと。他の人には頼みたくない、となった。
それで『話の特集』は復活してね。でも改めて始める時、誠ちゃんはまた横尾ちゃんだって言うわけですよ。それで1カ月だけ休んだ。その間、みんなからお金集めようということになった。執筆者にお金あるやつがいっぱいいたのね。
横尾 有り余ってるのがいっぱいいた。
矢崎 みんなが10万円ずつ持ってくるような雑誌だった。お金出してでも書きたくてしょうがない。だから、そういう人たちに株を買ってもらうことにした。とにかく復活しようってね。
それでまた変なことが起きるもんだと思ったのは、横尾ちゃんのお兄さんが大阪の印刷会社の社員で、その会社はミシン会社の下請けだった。で、ミシンのお客さんのために家計簿を作るということになって、寺山修司に1000万円渡して、家計簿作りをお願いしたら、そのお金を寺山が『話の特集』に回したんだよね。
横尾 僕が『話の特集』を表紙で潰したという噂が流れたから、兄貴に出し続けられないかって相談したんですよ。兄貴は印刷会社を知ってるっていうから、そこで出したらと言って。それは僕なりに責任取ったつもりなんだけど、そんなこと誰にもわからない。
執筆者らが金を出し合って『話の特集』を支援
矢崎 面白いなと思ったのはね、寺山修司って家計簿を作る代わりに、その1000万円を丸ごと『話の特集』に回しちゃった。そこで誠ちゃんと、復活だから横尾ちゃんの表紙だねって言ったら、続くかどうかはわからないから、1年間やってみるけど、その間は横尾ちゃんは温存しておこうと。横尾ちゃんを出して、途端に潰れたんじゃ名誉もあるし、横尾ちゃんは何するかわかんない。だから、いずれは横尾ちゃんに戻すということで誠ちゃんが、横尾ちゃんの代わりに表紙を描いたんだよ。でも、それでまた会社が赤字になっちゃって、みんなにお金出してもらおうとなった。手塚(治虫)さんも200万円出したとか言ってたよ。
横尾 和田君も100万か200万出したって。僕はどん底の生活を送っていたから10万円もないわけなんだけど、うちのカミさんに頼んでさ、困った人がいるんだからと、やっと20万円出した。でもギャラは0円。僕はね、その頃収入が0円だったんだよ。あのね、『話の特集』からは1銭も出ないんだもん。
矢崎 でもノーギャラだっていいぐらい勝手なことやってるわけだから。横尾ちゃんはお金の感覚がまるでないから、欲しいものをどんどん買っちゃうんですよ。
他のことに金がかかっちゃう。僕はもう半分諦めてましたね。
横尾 それは本当なんですか。何を買ったというの?
矢崎 本当ですよ。でも、横尾ちゃんは買ったつもりはないわけですよ。
横尾 それはね、矢崎さんが思ってるだけで、僕の思ってるのとはかなり違う。矢崎さんは話を面白くするために、あることないこと言うんだよ。
矢崎 本人は気がつかない。全然お金はかかってないと思って。
でも、まあ、とにかく『話の特集』は売れなくて、貧しくていろいろあったけど、横尾ちゃんの縁で、横尾ちゃんのお兄さんの会社が引き受けるわけですよ。1年もてば横尾ちゃんが表紙を描くはずだった。良くなったら横尾ちゃんって考えていたんだけど、でも良くならないわけ。
結局、やーめたってなっちゃった時に、ものすごく面白いことが起きて、それはお金の集め方を思いついちゃったんですよ。結局3000万って当時にすれば大変なお金を集めた。それで、復活するんですよ。その時、邱永漢という人も出てきたりして時間は相当かかったけどね。
結局、5年間は苦しい思いをしたわけですが、『話の特集』は5年目に復活した時は、お金がじゃぶじゃぶ入ってきた。それで、じゃあ横尾ちゃんだってことになって、横尾ちゃんが肖像画を始めたんだね。
横尾 僕のアイドルを描き始めて、ワイズ・ミューラー書いたり、エリザベス・テイラー描いてたんだけども、アイドルがなくなったので、今度は友人のシリーズでやったの。だから、和田くんの絵を描いたり、矢崎さんの絵も描いたり。
矢崎 誠ちゃんが結婚した時、なんか描いたよね。
横尾 ああ、そうね。(平野)レミちゃんと一緒に並んでるやつね。
矢崎 だからね、私物化してんですよ全て。それでも、『話の特集』のエネルギーっていうか面白さは、横尾ちゃんが変なことやればやるほどね。やっぱり横尾ちゃんなしには存在しなかった。
銭湯の富士山の絵を「僕の絵」と
横尾 でも、僕はね、『話の特集』は軌道に乗り出したから、魅力がなくなってきたの。やっぱり潰れるか潰れないかという時がエネルギー出るんだけど、もう軌道に乗ったから興味がなくなっちゃったのね。
矢崎 でも、そんなこと言いながらずっと参加してたよね。
横尾 和田くんの手前があるから。矢崎さんの手前じゃなくてね。
矢崎 大体ね、俺のこと馬鹿にしてたよ、最初から。何もわからない男だっていうふうに。誠ちゃんのことは信頼してたわけよ。誠ちゃんと横尾ちゃんとの関係ってのは本当に怪しい関係でね。要するに僕を馬鹿にしたのね。それでも随分長く付き合ったよね。
横尾 矢崎さんは僕のこと変わってるっていうけど、矢崎さんのほうが最初会った時、和田くんがまた得体の知れない人を連れてきたと思ったよ。「内外タイムス」にいたでしょ。なんか事件屋とか、トップ屋みたいなことやってる人だと思ってたの。しかも和田くんに聞くと、矢崎さんっていうのは何も知らない、文化的なことを全然知らないで、事件ばっかりやってる人だからっていう。
矢崎 元々は日本経済新聞の記者だったんですよ。いろいろあってやめて、父親の会社に入って、誠ちゃんと帝国ホテルに置く雑誌の企画にもなんとか載ろうとしたんだけど、それもダメで。それで新しい雑誌の話が持ち上がり、誠ちゃんがデザインやるっていうけど、1ページ5000円じゃあまりに高いので、頼むわけにはいかない。で、誠ちゃんが編集長と同格で、好き勝手やらせれば俺一緒にやるよって言うから。それが誠ちゃんが『話の特集』の創刊に関わるきっかけだったのね。
それで、横尾ちゃんを表紙にするというわけですよ。でも横尾ちゃん、オレのこと馬鹿にしてたからね。神戸のサンテレビで横尾ちゃんと西脇(兵庫県の横尾さんの故郷)に行くわけ。そこに銭湯があって、その銭湯の絵を見て、「僕はねこの銭湯の絵を描いてる」って、横尾ちゃんが言うわけ。でもそれは嘘、嘘好きやから横尾ちゃん。
横尾 それは矢崎さんを喜ばすために言ったの。
矢崎 この風呂の絵を見てごらんっていう。太陽、富士山があって波が立ってて、これ「僕の絵だよ」って。嘘ですよ全部。馬鹿にしてんのね。
横尾 矢崎さんはね、絵のことわかんないと思うよ。だからね、信用すんのよ。
矢崎 僕は横尾ちゃんが何考えてるかってのはよくわかんないし。瀬戸内寂聴とか、横尾ちゃんと共通に知り合いだった人っていっぱいいるわけよ。横尾ちゃんは大体どんな人もあんまり信用してなかったね。
横尾 矢崎さんのことは信用しなかったけれども、信用しない人として、僕は信用してたんよ。わからない人というより、わかりやすい人だったの。
三島由紀夫が切腹すると1万円札が部屋中に
矢崎 そういえば、高橋睦郎という詩人と『話の特集』で連載したね。すごくよかった。表紙とは全然違う。横尾ちゃんのページはものすごい人気があった。例えば三島由紀夫が切腹するずっと前に切腹させちゃったりしてた。それがね、もう見るからに気持ち悪い。横尾ちゃんの持ってるリアリティってのは、ものすごい現実味を帯びていた。「人物戯画」は『話の特集』の人気連載で、あの連載で読者になった人が山ほどいる。素晴らしいものだった。横尾ちゃんは割と真剣勝負だったと思うな。
横尾 僕ね、「人物戯画」だけをまとめて本にしたいわけ。あれだけでもリバイバルしたいね。三島さんが切腹して腹切ると、腸が飛び出す代わりに、1万円札がぐわーっと部屋中飛び出してる、そういうの描いてたね。
矢崎 三島さんだってね、相当横尾ちゃんが馬鹿にしてるとしか思えないような感じもあるけど、三島さんはものすごい横尾ちゃん好きでね。僕は三島さんに殴られて脳震盪を起こしてひっくり返っちゃうんですよ。原稿を頼みに行った時にね。三島さんは『話の特集』に興味を持ってくれました。創刊号の横尾ちゃんの絵を見て、すごい本だって言ってくれたのは三島さんですよ。
横尾 僕、きょうは矢崎さんが事細かく昔の記憶をかなり正確に語るから、記憶力のいい人だなと思って感心してるんですよ。だけど作り話がうまいからね、矢崎さんは。
矢崎 それは不幸なところもありますよ。つまんないことも覚えてるわけですよ。ひどい目にあったとか、意地悪されたこととか、恥をかいたこととか覚えて嫌ですよ。
横尾 矢崎さんの考えるネガティブな部分は僕は知らないけど、喋ることで浄化されていくんじゃないの。
矢崎 でも、きょう会えて僕は嬉しかった。横尾ちゃんもわがままだけど、誠ちゃんのわがままとはちょっと違う。でも、きょう話せたし、本も出したし、もう心おきなく死ねる。
横尾 きょうは矢崎さんと、老いと死についての話をしたかったのに、矢崎さんは自分の思い出話ばかりで、僕は聞き役だった。でも嬉しそうだった矢崎さんを見て、僕も嬉しかった。