「子どもはオリンピック選手にするんでしょ」への違和感
「子どもはオリンピック選手にするんでしょ」
息子が生まれてから何度もかけられた言葉。私は毎回、その言葉に違和感を覚えた。そうだ、そこには息子の「意思」も「夢」も入っていないからだと気が付いた。私は息子自身が見つけた夢に向かって突き進んでほしいと願っている。
この夏、小学2年の長男がクロールで25メートルを泳ぎ切った。まだ体幹が弱く、時には途中で最後まで泳げず、立ってしまうこともあるが、本人にとって25メートルを泳げたことは自信になっている。
「やっぱりスイミングを習わせているのね。将来の目標はオリンピック」と思った読者がいるかもしれないが、最初に断っておくと、そんな気持ちは全く持ち合わせていない。
振り返ってみれば、生後6カ月でベビースイミングに行ったのは、水の楽しさも怖さも知ってほしいと願った私の希望だが、その後、「プールが好き」と幼稚園に入ってから通うようになったのは息子の希望。現在に至るまで、本人が好きで続けている。水泳が特別ではなく、他の習い事である柔道や科学教室も同じスタンスで見守っている。
そもそも、スイミングスクールに通う同年代の中にはバタフライまで泳げたり、個人メドレーで大会に出場したりするような泳力レベルの高い子もいる。では、息子は泳ぐのが下手かといえば、どうだろうか。私自身は、小学2年のときに家族で行った海でおぼれそうになったことがスイミングを習うきっかけになったことを考えると、当時の私と比べたら25メートルを泳げる息子を尊敬している。成長直線は人によって全く違うということだ。
もし私が熱血指導したら、息子はスイミングを嫌いになってやめてしまうかもしれない。私の性格上、指導の感情を帰宅後の家にも持ち込んでしまう可能性がある。そうなれば、息子にとって大切な安らぎの空間すら、奪いかねない。だから、私はプールに見学に行っても、あくまで見ているだけ。「こうしたらいいのに」と思うことは多々あるが、教えてくれている指導者にすべてを任せている。
トップアスリートだった経験を自分の子どもに伝えながら、親子で五輪や野球、サッカー、バスケ、ゴルフなどのプロの世界を目指しているご家庭もある。そのことを否定するつもりは毛頭なく、それはそれで本当に素晴らしいことだ。ただ私には向いていないなと思っている。
息子の人生に対しては、息子自身が将来の夢を見つけ、目標に向かって突き進んでいくプロセスを応援したいということだけ。私にとっては五輪に出場することが夢や目標だったが、私の夢は、たまたまオリンピックだっただけのこと。息子が同じでなくてはいけないはずがない。自分が東大に行ったから、子どもにも頭が良くなってほしいとか、ピアノがうまかったから子どもにもピアノを上達してほしいという願望があっても、子どもがその通りの人生を歩むとは限らない。「子どもの夢は子どもの夢」「親の夢は親の夢」。子どもに親の夢を押し付けるのは違うと思う。息子自身がとことん打ち込めるものを見つけられた時は、心から応援したい。
もし、水泳が大好きになって、息子も「オリンピックに出たい」と言い出したら、競技のことは信頼できる指導者に任せ、食生活やリラックス空間を作るなどの環境や精神的なサポートはしてあげたい。しかし将来の夢を「ユーチューバー」や「警察官」、最近見たドラマの影響で「診療放射線技師」と話す息子に、そんな日が来るとはいまは想像もできない(笑)