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現役復帰が「ありのままの自分」を引き出してくれた

萩原智子シドニー五輪競泳日本代表
復帰後のレースはありのままの自分でチャレンジできて楽しかった(写真:アフロスポーツ)

 東京五輪を最後に一度は現役を引退した男子マラソンで前日本記録保持者の大迫傑選手(ナイキ)が、11月6日のニューヨークシティー・マラソンで復帰レースに臨み、5位に入った。記事を読んでいると、「僕らしく、出し切る走りができた」と前向きな言葉が紡がれていた。「現役復帰」は私自身にも経験がある。なぜ、アスリートは現役の舞台に戻ってくるのか。理由は人それぞれで一括りにはできないだろうが、私自身の経験を記したい。

 2000年シドニー五輪200M女子背泳ぎで、タッチの差で表彰台に届かず4位。4年後のアテネ五輪の代表選考会を兼ねた日本選手権が最初の現役最後の大会になった。50M自由形で優勝したものの、派遣標準記録に届かなかった。このとき、全く未練なく、晴れやかな気持ちで現役を退いた。十分にやり切った。そう思える競技人生に悔いはなかった。周囲の人からは「まだ出来るよ」「また泳ぎたくなるよ」といわれたが、気持ちは「お腹いっぱい」と言えるくらい満たされていた。だから、この時点で私の競技人生は幕を閉じた、、、はずだったのである。

 引退後はテレビ局でスポーツキャスターを務めたり、取材者としてアスリートに接したりする機会に恵まれた。同時に、山梨学院大の大学院で修士論文の執筆に追われる日々を過ごしていた。出場がかなわなかったアテネ五輪はテレビで観戦した。真夜中に論文を書く手を止めて、現役時代に切磋琢磨した中村礼子さんのレースにくぎ付けになった。「頑張れー」。心から応援し、彼女が女子200M背泳ぎで獲得した銅メダルに歓喜した。選手の中には、ライバル選手の活躍は素直に喜べないなどという言葉を耳にするが、当時の私にはそんな心境は全くなく、そのことが改めて、「競技への未練」がないことを再確認させてくれたと妙に納得していた。

 その後は大学に職員として勤務しながら、各地の水泳教室で講師役を務めたり、取材活動も続けていた。しかし、その瞬間は突然やってきた。仕事で行った2008年北京五輪の開会式を現地で目にしたときに、素晴らしい演出に思わず涙ぐんだ。次の瞬間、「もう一回、この舞台に出たい」と突然の衝動に駆り立てられた。なぜという理由をうまく言葉にできないのだが、現役に戻ろうと心を突き動かされたことだけは間違いなかった。その時、私は28歳になっていた。

「やり残したことがある」「もう一度、スポットライトを浴びたくなった」。そんなセリフを言えば格好いいのかもしれないが、ただただ「チャレンジをしたい。自分がやりたい」という気持ちからの現役復帰だった。

 もちろん、簡単ではなかった。4年間のブランクで、アスリートだった私は一般的な女性の体になっていた。大学の水泳部監督と相談し、最初の1カ月は水中歩行やランニングで水に「慣れる」ことから始めた。2000Mや3000Mを泳ぐトレーニングに入っても、途中で具合が悪くなって練習を切り上げることも茶飯事。そして本格的な練習再開から2カ月経った2008年の12月、体に帯状疱疹が出て約1カ月の休養を余儀なくされた。

 苦しい時期、昔から私を指導してくれたコーチの「過去の自分にとらわれすぎていないか。戻そうと思うな、今の智子の状態で新しいものをゼロから作り上げていけばいいんだぞ」との言葉に救われた。確かにそうだ。年齢を重ね、筋量もかつての現役時代とは違う。ブランクで関節の可動域にも変化はあった。過去の泳ぎの映像を見るのをやめて、現在の映像を見て課題の克服に取り組んだ。

 復帰して大事なことにも気づいた。「水泳の楽しさ、奥深さ」である。若いころは、結果ばかりを追いかけ、追われていた。悲壮感のある必死さで記録に挑んだ日々は、苦しい思い出のほうが多かった。いつしか、周りの期待に応えないといけないという重圧を勝手に背負ってしまっていた。まじめでストイック。マスコミに作られた「ハギトモ像」に、気が付くと自分も寄せていっていた気がする。

 社会人になってからの復帰は、家族や大学の協力があってこそだが、自分に対して素直にふるまうことができたから、水泳が楽しかった。「前は近寄りがたかったよ」。取材に来た旧知の記者にそう打ち明けられたときには、「今の自分が素の私ですよ」と笑顔で返した。

 変なプライドもなくなっていた。30歳の私は、苦手なスタートを中学3年生の選手にお願いして教えてもらい改善したこともあった。復帰後は婦人科系の病気を患った経験もした。最終的には復帰時に目標に掲げた五輪の舞台に、もう一度返り咲くことはできなかったが、復帰してよかったと今でも思っている。

 アスリートだけではない。環境が許せばという条件はあるが、思い立ったら、リスタートする機会はどこにでもある。必死だった若いときの努力も素晴らしいけれど、少し力が抜けて俯瞰して見つめ直すのも悪くない。行動してみるタイミングに遅いなんてことはない。チャレンジは、人生を豊かにしてくれるはずである。

シドニー五輪競泳日本代表

1980年山梨県生まれ。元競泳日本代表、2000年シドニー五輪に出場。200m背泳ぎ4位。04年に一度引退するが、09年に復帰を果たす。日本代表に返り咲き、順調な仕上がりを見せていたが、五輪前年の11年4月に子宮内膜症・卵巣のう腫と診断され手術。術後はリハビリに励みレース復帰。ロンドン五輪代表選考会では女子自由形で決勝に残り意地を見せた。現在はテレビ出演や水泳教室、講演活動などの活動を行っている。

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