父子2代で重賞初制覇を飾った調教師の、両親に対する想いの変化とは?
父が名騎手だったとは知らずに育つ
彼に初めて会ったのは1999年。場所はフランスだった。
「今、イギリスのジェフリー・ラグ厩舎で研修をしています」
男の名は池上昌和。当時24歳だった。
父はトウショウボーイにも乗っていた元騎手で元調教師の池上昌弘。しかし、トレセンではなく、東京都世田谷区にある実家で育った昌和は、競馬とは無縁の幼少期を過ごした。
「両親があえて私と競馬を遠ざけていた感じでした。高校受験時の履歴書を記す際、初めて父の仕事の調教師というのを意識しました」
大学1年の夏休みに、現在のノーザンホースパークのような施設だった日高ケンタッキーファームでアルバイトをした。
「動物相手に働けるのが楽しくて、その後も冬、春、夏と毎年、アルバイトに出向きました」
大学卒業時には大学院へ行くか、就職するかで迷った。結果、就職試験を突破し、内定をもらった。しかし……。
「『企業に勤めたところで自分の思った通りの事が出来るのか?』と悩みました」
悩んだ結果「馬の世界で働きたい」という結論を導き、両親に伝えた。
「2人共、反対はしませんでした。ただ、父からは『そんなに甘くはないぞ』と言われました」
海外修業や牧場を経てトレセンに
大学卒業と同時にイギリスへ飛んだ。語学留学ではあったが、ニューマーケットにある育成牧場で働いた。そんな時、現地のセリ会場で社台ファームの代表である吉田照哉氏と知り合った。
「社交辞令だったのでしょうが『帰国したらうちに来れば良い』と言っていただき、その言葉を真に受けて、帰国後すぐに北海道の社台さんで働かせてもらいました」
1年間、働いた後、今度はアメリカへ飛んだ。かの地のトップトレーナーでもあるニール・ドライスデールの下で働いたのだ。
「技術がなかったので、なかなか乗せてもらえませんでした。それでもフロリダのガルフストリームパークやキーンランドへ行かせていただき、勉強になりました」
半年、アメリカで汗を流した後、今度はイギリスへ渡った。これが、冒頭で記した99年の話だった。
「丁度、エルコンドルパサーがフランスに長期滞在して凱旋門賞を目指した時だったので、時間があればフランスへ行き、観戦しました」
そんな経験を経て、帰国後は山元トレセンで働いた。そして、競馬学校に入学。卒業して、トレセンに入るタイミングで、父の厩舎で欠員が出たため、パズルのピースがピタッと合うように、池上昌弘厩舎の一員となった。
父に反発するも重賞を勝てず
すると、互いを良く知る父子が、厩舎の両輪になって躍進を果たした……となるほど、現実は甘くなかった。
「自分は海外しか知らなかったので、父のやり方に戸惑い、文句ばかり言っていました。食ってかかった事もありました。今、思うと、経験も無いのに、生意気なだけで、父からすれば『頭でっかちにとやかく言われたくない』という気持ちだったと思います」
しかし、そんな父から頭ごなしに叱られたり、怒られたりする事はなかったという。
「東京ダート1400の鬼でオープンを5勝したトウショウギアや、重賞になる直前のオーシャンSを2年連続制覇(2004、05年)したシルキーラグーン等、チャンスは何回かあったのですが、なかなか重賞を勝てませんでした。今、考えると、自分の力不足もあったのだと思います」
そんな父の厩舎を巣立つ日が来たのが15年。昌和は調教師試験に合格し、自らの厩舎を開業したのだ。
「父とは3年間、同じ舞台で戦う事が出来ました。結局、父は中央の重賞を勝てないまま引退しました。文句ばかり言って、力になれなかった事を『申し訳なかった』と感じたし『サポートしたのが自分でなければ、勝てていたのでは?!』と悔しくも思いました」
念願の重賞初制覇直後のサプライズ
そんな昌和だったが、彼もまた、重賞を勝利する難しさを痛いほど味わった。重賞勝ちのないまま、今年、開業から9年目を迎えた。そんな中、期待を抱かせてくれたのがホウオウエミーズだった。
「大人しくて手がかからない、丈夫な牝馬」(池上)は、19年にデビューすると、その後、この秋まで10度もグレードレースに挑戦。6歳になった今年、マーメイドS(GⅢ)と七夕賞(GⅢ)で共に3着と善戦を繰り返した後、11月12日に行われた福島記念(GⅢ)にエントリー。3番人気の支持を得た。
「田辺(裕信騎手)君は、他に乗る予定があったのですが、その馬が除外となったため、エミーズに乗れるようになりました」
「状態は良い」し、「少し時計を要している馬場状態も向いている」と思ったので、追い風が吹いていると感じた。
「ただ、レースでは早目に動いたので、最後に差されたと思いました」
「重賞には縁がないのか……」と肩を落としたが、写真判定の結果、ハナ差で軍配が上がると「やはり初めての重賞制覇は嬉しかった」。
ところが、そんな池上が、本当の嬉しさを感じたのはその直後の事だった。
「ウィナーズサークルへ行くと、なんと、東京にいるとばかり思っていた両親が内緒で福島まで来ていました」
父と母の満面の笑みを見て、改めて感じた。
「両親のお陰で今の自分があるのは紛れもない事実で、感謝しかありません。頭の上がらない、1番大きな存在です」
そして、思った。
「重賞勝ちが全てではないけど、ほんの少しだけ、恩返しが出来たかな……」と……。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)