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さあ、高校野球シーズン。奥川恭伸(星稜)の最後の夏

楊順行スポーツライター
はきはきした受け答えも好感の持てる奥川恭伸(写真/筆者)

 安定感は、やはり奥川恭伸(星稜)じゃないか。

 佐々木朗希(大船渡)、及川雅貴(横浜)、西純矢(創志学園)と並び、この夏の高校球界でビッグ4とも四天王とも呼ばれるプロ大注目のピッチャーたち。なかでも、完成度では奥川が抜けていると思うのだ。

 それを端的に示したのが6月2日、砺波工との春季北信越大会1回戦だ。星稜が6対0と完勝したこの試合、先発した奥川は6回を投げ、打者21人に2安打無四球6三振で無失点。全69球中、ボールになったのはわずか14球で、8割近いストライク率はプロでもそうはいない。加えて、ワンボールノーストライクを除いてボールが先行したのは、21打者中2人だけ。一度もスリーボールがなく、なかなか打者有利のカウントにしない。それが、奥川の安定感だ。

 この日は、センバツの習志野戦以来、65日ぶりとなる公式戦のマウンドだった。センバツ以後、右肩に軽い張りがあり、石川大会では大事を取って登板しなかったのだ。ほかの投手5人が防御率0.79と好投して石川大会を優勝し、「自分が投げて、ここ(北信越)で負けたら意味がない、とプレッシャーをかけ」(奥川)ての久々の公式戦である。

 それでも4回には、

「150(キロ)を出しにいきました」

 と、狙って150キロを計時。スタンドをどよめかせた。奥川はいう。

「そういう数字が出れば、球場の雰囲気を変えられる。先週の練習試合で久しぶりに投げたんですが、今日は投げる前からドキドキだったんです。最初は公式戦独特の緊張感に力んでしまった。ですが、徐々にストレスがなくなりバランスがよくなりました。今日は、8割の力でコントロール重視がテーマ。あの150だけは、意図的に出したんです」

 その真っ直ぐに縦のスライダー、チェンジアップ、フォーク、さらには球速100キロ前後のカーブ。どの球種も、ヒザより下に高い精度で制球されるから、バットの芯ではなかなかとらえにくい。奥川は、敦賀気比との決勝にも中2日で先発すると、7安打1失点の11三振で完投勝利。これで星稜は春の北信越では4連覇で、昨春から3季連続の優勝を果たした。

 

令和最初の夏という節目に……

 見ものだったのは、高校通算30本塁打の気比・木下元秀との勝負だ。4回には、ストレートを左中間に先制三塁打されたが、「悔しかった。倍にして返してやろう」と、6回2死三塁ではすべて直球勝負で木下を空振り三振。8回のピンチにも、150キロを2回計時して空振り三振に取っている。かつて「同年代のいいピッチャーは、動画でチェックしています」と話してくれたことがあるが、そういう負けん気も、奥川を大きく成長させるのだろう。

 センバツでは、準優勝する習志野に敗退。相手の二塁走者にサイン盗みがあったのではないか、と異例の直接抗議をした林和成監督は、「世間を騒がせた状況を勘案」し、学校から指導禁止処分を受けた。だが、北信越で優勝した翌日には処分が解けて復帰。以後奥川は履正社、愛工大名電、山梨学院、東海大相模といった強豪との練習試合に登板し、相模戦は4回までパーフェクト。中盤に守備の乱れもあって試合は敗れたが、林監督は、「奥川は直球も変化球もよかった」と評価する。仕上がりは上々のようだ。

 昨春から4季連続となる甲子園へ。昨夏は1回戦を突破しながら、済美との2回戦ではタイブレークのすえ、史上初の逆転サヨナラ満塁本塁打で敗れた。先発した奥川は4回1失点ながら、熱中症で途中降板という悔しい思い出がある。「自分の甘さもありました。スポーツドリンクではなく、きちんと経口補水液を摂らないと」(奥川)。星稜の初戦は7月15日、相手は七尾東雲である。ちなみに……星稜は平成初の1989年春、最後の2018年秋、そして令和最初のこの春と、いずれも節目の北信越大会を制している。令和最初の夏、という節目に、奥川というエースがどでかいことをやっても不思議じゃない。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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