苦楽を共にした「心友であり戦友」元琴勇輝の荒磯親方が、大相撲初場所で引退した千代嵐をねぎらう
「俺とあらっぺが戦ってきた軌跡を、デジタルタトゥーとして残してほしい」。そんな電話が元関脇・琴勇輝の荒磯親方からかかってきたのは、大相撲初場所の真っ最中だった。
先の初場所中に引退を表明した、「あらっぺ」こと、元十両の千代嵐。中学卒業と同時に九重部屋に入門し、4年後に新十両に昇進。しかし、度重なるケガでおよそ8年半もの低迷期があった。そこから奮起の再十両を果たしたものの、先場所ついに17年間の土俵人生に終止符を打った。同学年であり、小学生の頃から顔見知りだったという荒磯親方と千代嵐。「あらっぺ」「もっちゃん(荒磯親方の苗字・榎本からのあだ名)」と呼び合う二人が、互いに引退したいまだからこそ語り合える相撲人生の節目を、共に振り返る。
下積みの苦労を分かち合った「心友」
――お二人はこれまで3度の対戦があり、3戦とも嵐さんが勝っています。初戦は幕下、あとの2戦は十両での対戦でした。振り返っていかがですか。
千代嵐 2戦目は、お互い初めて大銀杏で向き合った一番だったので、険しい顔をしようとしているのに笑いそうになってしまったのをよく覚えています。立派になったんだなという感慨深い思いもありつつ、頭が開いているから、もうおかしくておかしくて(笑)。
荒磯 あれは面白かったよなあ。しかも、3戦目は「踏み出し」で俺負けているんだよね(苦笑)。最高位はたしかに自分のが上なんだけど、あらっぺには3戦全敗なんだから、それってやっぱり相撲の奥深さだよね。
――お二人の出会いは。
荒磯 小学校から全国大会に毎年出場していて、お互い顔馴染みになったんです。でもその程度でした。交流ができたのは角界に入ってからです。自分は高校に1年いたので、1年後から入ってきて。
千代嵐 自分はいまの九重親方・千代大海関の付け人で、もっちゃんは琴光喜関の付け人。お互い大関の付け人というところでわかり合えることが多かったんです。巡業では宿でも支度部屋でも話せるし、早めにコインランドリー確保しなきゃなとか言い合っていました。
荒磯 下積みの苦労を分かち合いながら仲良くなるなかで、新十両昇進が同時だったことは大きかったなと思います。2011年の名古屋場所でした。先にあらっぺが決めて、「次はもっちゃんだよ」って言われたんです。
千代嵐 場所の途中で見に来ていたもっちゃんのお母さんにおめでとうと言ってもらって、「自分が上がるだけじゃなくて、一緒に上がらないと意味がないので」と返したのは覚えています。
荒磯 絶対に勝たなきゃいけないっていう闘志に燃えていて、3勝3敗で迎えた入れ替え戦で勝ったときには、つい土俵上でガッツポーズしちゃいました。
千代嵐 部屋のなかでの出世争いもあったけど、それはある意味当たり前のこと。ほかの部屋の同学年で、1年後から入ってきたのに、たった1年くらいで番付をスパーンと抜かれた。それで、もたもたしている場合じゃないなと、体に電気が走ったのを覚えています。
荒磯 自分は自分で、当時先代の九重親方(元横綱・千代の富士)の厳しさなどはあらっぺから聞いていたので、自分の部屋だって厳しいと思っていたけど、まだまだなんじゃないか、もっと頑張らなきゃいけないんじゃないかと思わされて、刺激をもらっていました。
8年半の低迷期と先代の急逝 支えになった妻との出会い
――違う部屋ながら、互いに刺激し合えるいい仲間だったんですね。
荒磯 下積みのつらさをこぼし合えば、自分だけがつらいんじゃないんだと思えたし、いつも結論は「早く強くなろう」になって。お互い切磋琢磨しながらも、いろいろなことを分かち合える「心友」なんだなっていう思いが常にどこかにありましたね。そんな心友が、十両2場所目で左ひざの靱帯を痛めて休場して、長い低迷期に入った。付け人の肩を借りながら戻ってきたあらっぺは、化粧まわしに施されたスワロフスキーをポロポロ取って、「俺の分まで頑張って」と言って渡してきたんです。絶対に帰ってきてねと言ったし、あらっぺが帰ってきてくれるまで俺は必ず関取を張っていようと思った。だから、それがかなわなかったことが、唯一の心残りかな(※琴勇輝は2021年5月で引退、千代嵐の再十両は2022年1月)。
千代嵐 周りが想像している以上に、8年半って長いんですよ(苦笑)。照ノ富士が新十両に上がってから一度序二段に落ちて横綱になるまでの期間と一緒なんですから。落ちて3、4年経った頃、逆の脚の靱帯も切って、もう戻れないなと思って完全に心が折れました。そのタイミングで、先代の師匠から大説教を食らったまま、先代が亡くなったんです。辞めるかどうかも考えられないくらい、心が空っぽでした。一方で、同時期にいまの妻と出会いました。彼女がいなかったら戻れなかったと思うくらい、本当に救われたんですが、そんな妻との交際を後押ししてくれたのが、ほかでもないもっちゃんでした。
荒磯 きっとあらっぺを支えてくれる人だなと思ったんです。いまの奥さんに出会って、トレーニングも食事も真剣に取り組んで、自分自身の体と向き合い始めたあらっぺを見て、大事な人ができたから頑張ろうと思ったのかなと感じました。
第2の人生もサポート 「心友であり恩人」
――土俵人生の節目、大切な人との別れと出会い、さまざまな人生の転機に、お互いがいるんですね。次は第2の人生。今後どんなお仕事をされるんですか。
千代嵐 義理のお母さんがファンだというとある実業家さんがいて、その方が求人募集をしていたので電話をかけてみたら、雇ってもらえることになりました。
荒磯 すごくない?そんなことある?(笑)
千代嵐 その前から、就職を考えてオンライン面談などを受けていましたが、社長さんに会いに行くのに自分をうまくプレゼンできる自信がなく。そうだ、もっちゃんに連絡しようと(笑)。もっちゃんと一緒にその社長さんのところに会いに行って、この方にお世話になりたいと思いました。まだ詳しい仕事内容は模索中ですが、今後は整体関係の仕事などをさせていただく予定です。神奈川県の三浦というところで、家族みんなでこれから引っ越して第2の人生をスタートさせます。
荒磯 びっくりしたけど三浦まで運転したよ(笑)。これからは少し遠くなっちゃうから寂しいけど、会いに行くし、これからも心友としてあらっぺの人生を応援し続けます。
千代嵐 「心友」もそうだけど、もう「恩人」ですよ。引っ越す前に、また会う機会があるんじゃないかなと思っています。
~荒磯親方からの後日談~
取材から数日経ったとある日の午後、荒磯親方から興奮した様子で着信があった。
「聞いて!いま車で信号待ちしていたら、たまたま前の車があらっぺだったの!」
筆者、数秒絶句。そんな偶然、なかなかあるものではない。引っ越す前にもう一度きっと会えるだろうと話してはいたが、そんな形での再会は、本人たちも含めて誰も想像していなかった。やはり、「心友」の絆はいつまでもどこまでもつながっているのだろう。今後もさまざまな奇跡が、二人を待ち受けているに違いない。
取材協力:鉄板ダイニング月丸(千葉県松戸市五香西1-33-1)