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朝ドラ『スカーレット』は壮絶な神話だった 女性芸術家の半生を振り返る

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

朝ドラ『スカーレット』は芸術家の半生を描いたドラマだった。

半年にわたる全150話を見届け、芸術に生きたヒロインの勁さ(つよさ)が響いてくるドラマだったとおもう。ちょいと異色である。

あまり朝ドラっぽくなかったともいえる。

『スカーレット』に描かれた人生の前半はやさしかった

あらためて『スカーレット』の主人公の川原喜美子の人生を振り返ってみる。

主人公の喜美子は昭和12年生まれである。(誕生日は明確ではないが、だいたい年の真ん中あたりのようで、春ころは昭和年数から13を引いた年令、秋からあとはその1つ上ということが多かった。それに準じて年令を記していく)

物語は昭和22年、喜美子10歳のときに一家が滋賀県の信楽に引っ越してくるところから始まる。2週めの途中まで子役が演じて、10話から戸田恵梨香の登場である。

昭和28年、中学を卒業した喜美子は15歳で大阪に働きに出て“荒木荘”で女中をやる(13話)。

大都会の下宿屋さんでいろんな人と出会う。

昭和31年、18歳で信楽に戻り、丸熊陶業の食堂で働きだす(35話)。

しばらくして「火鉢の絵付け」に魅了され、絵付け師のフカ先生(深野心仙先生)に弟子入りした。やりたい仕事に出会い、喜んで仕事に専念する。

昭和34年21歳のとき、信楽初の女絵付け師として新聞に取り上げられる(47話)。

その年、先生と兄弟子がやめ、丸熊陶業のたった一人の絵付け師として働く。

会社で十代田八郎(松下洸平)と会い、彼が陶芸をやる姿を見て、陶芸を始めたいとおもう。

同時に十代田を好きになり恋に落ちる。

結婚したいとおもい、父に話すと、十代田が賞を取れば結婚を許すと言われる(65話)。

昭和35年、八郎が賞を取ったので結婚した。22歳のときである(72話)。

二人は陶芸家として独立して、工房を立ち上げる。メイン作家は八郎。喜美子は大量に同じものを作る仕事をして八郎を支える。

昭和36年、武志を出産した。

昭和40年11月に父をなくす。喜美子28歳(75話)。

昭和44年になり八郎の陶芸の創作意欲は落ちていき、喜美子が芸術性の高い陶芸作品を作り始める。才能ある人は知らずに人を傷つけると、八郎は喜美子の才能を認めながらも、苦しんでいた。

八郎は日常使いする食器を作り、喜美子が芸術的挑戦を始め、両者の立場が入れ替わる。その時期にたまたま入っていた女性弟子(黒島結菜)と八郎が妙に仲良くなっていき、夫婦に亀裂が入っていく。結婚10年目の年である。喜美子32歳。

陶芸家として成功し、大事なものを失ったヒロイン

同昭和44年、芸術家のジョージ富士川の言葉に刺激され、喜美子は昔ながらの薪で焼く穴窯を始めたいとおもう。自宅の敷地内に穴窯を作った(96話)。

喜美子の穴窯での制作は二度失敗し、薪代の損失だけで40万円になった(1969年の物価だから、おそらくいまの200万円くらいと考えていいだろう)。貯めこんだ息子の学費を注ぎ込んでも、穴窯を続けようとする喜美子に、八郎は猛反対する。それでも穴窯をやめない喜美子の説得を諦め、彼は家を出ていき、戻らなかった(99話)。

そんな夫にはまったく頓着せず、死に物狂いで穴窯での陶器制作に猛進する喜美子。

昭和45年になり、7回目の挑戦で喜美子は成功する。成功シーンは感動的であった(105話)。

ただ、のちに息子に「陶芸家としては成功したが、大事なものは失った」と指摘されている。

昭和53年、41歳になり成功した陶芸家としての喜美子がいた。

すでに八郎とは離婚していた(息子が過去を振り返るセリフでさらっと触れられるだけの“セリフ説明だけ離婚”である)。このとき息子の武志は高校2年生(伊藤健太郎)。

陶芸家として成功した喜美子の、こののちの創作の苦労や苦闘は描かれない。言葉は悪いが言ってしまえば「一丁上がりの芸術家の先生」として登場しつづける。陶芸家としてはこのあとは「上がり」のような人生である。

同時に喜美子の孤独を見せられる。

昭和54年、喜美子が42歳になる年、息子は京都の美術大学に合格して寮住まいになり、しばらくして喜美子の母(富田靖子)がなくなり、一人暮らしとなった。広い田舎の家で、一人食事をする姿が繰り返し描かれる。成功したが孤高の中年女性の生活が描かれた。見ている者を凜とさせる峻厳さがあった。

昭和58年、息子の武志の大学卒業前にひさしぶりに前夫の八郎と連絡を取る。そこから再々、顔を合わせる不思議な関係を築き始める。ただ、復縁はしない。このあたりの距離感が不思議である。(21世紀的であって、あまり1980年代的ではない)。

昭和58年、卒業した息子の武志は地元の信楽に戻り、陶芸を始める(111話)。

しかし武志が白血病を発病、闘病生活が始まる(131話)。喜美子や八郎はそれを支えた。

昭和62年、26歳の誕生日前に武志は死んだ。その哀しみは描かれず、50歳になって創作に従事する厳しくも孤高の天才創作家・喜美子の姿が描かれ、そこで物語は終わる。

家庭を守る視点から見れば、ヒロインは破壊者であった

そういうお話でした。

壮絶な人生である。

前半は、なんだかあったかいドラマだった。

大阪の荒木荘で働いているときや、信楽でフカ先生に師事してるときは、彼女のことをまわりがいつも気遣っていて、心温まるシーンが繰り返し見られた。おそらく、まだ彼女の居場所が定まっていなかったからやさしかったのだろう。

何者でもない者に対して、物語はやさしい。

でも後半は厳しくなった。

芸術家としての自我が強くなり、自分を押し通し、そして成功していく。

成功したぶん、差し出すものも多くなる。

そういう姿が描かれた。

「幸せな家庭があって芸術家としても成功する」という甘い展開をみせなかった。そこはすごいとおもう。毎朝見るドラマとしてはなかなかヘビーな部分でもあったが、その姿を描ききったのは評価したい。

全部で150話のドラマ、それぞれの時代に分けて、家族を大事にしていたヒロインが家族を顧みなくなった歴史を並べてみる。

ヒロインやその家族がとても幸せそうな時代を◎、ふつうに暮らしていた時代を●、家族関係が不安定で危うい時代を■、家族関係がどんどん衰退していく哀しい時代を×であらわしてみる。

●1話〜10話(10月)

小学生時代

5人の家族として仲良く暮らしていた。

◎11話〜34話(10月-11月)

中3から大阪の荒木荘で働いていた時代

家族とは離れたが疑似家族ともいうべき荒木荘の人たちと温かく暮らしていた。

●35話〜41話(11月) 

信楽の丸熊陶業の食堂のお姉さん時代

仕事に不満はあったが、家族で平穏に暮らしていた。

◎42話〜56話(11月-12月) 

絵付け師の時代

家族以外に、師匠や兄弟子にもかまわれ、とても幸せな時代をすごす。

●57話〜71話(12月)

八郎に陶芸を習い、恋をする時代

二人は関係を深めるが、それはそれで周辺に亀裂を生じさせかねないところでもある。でも昭和の物語なので若い新カップルは家族に入るという決断をする。

■72話〜81話(12月-1月) 

結婚し駆けだし陶芸家としての無名時代

ちょうど折り返しになる75話で父が死に、家族の芯をなくし、ぐらつきだす。またヒロインは夫を支えるが、それで不満をたくさんためこんでしまう。

×82話〜93話(1月) 

天才の片鱗を見せ始め、同業の夫が追い詰められる時代

ヒロインはのびのび創作活動を始め彼女の不満は解消されるが、その裏で夫がどんどんへこみ、創作できなくなり、女弟子とあやうい関係に陥りそうになる。

×94話〜105話(1月-2月) 

穴窯で作る陶芸に固執しなりふりかまわない時代(×××くらい)

夫のいうことをまったく聞かず、家庭を破壊しようとも自分の信じたところを進むヒロインの姿が描かれる。怖く、力強い。ただ、確信的に家庭を破壊した時期である。

×106話〜118話(2月)

成功した陶芸家の時代

家庭を壊した代償として成功したが、しかし復縁へはまったく動かなかった。孤高な姿が描かれる。

■119話〜130話(2月-3月)

(うち121〜126話は主人公たちが登場しないスピンオフだったのでそれは除く) 

別れた前夫との新しい関係を構築していく。ただ復縁はしないから、家庭は再構築しない。

×131話〜150話(3月) 

長男の白血病が悪化し、ドナーが見つからないのを見守る時代

息子との暮らしを始めようとしたが、維持できなかった。

(それぞれの時期の切り替え話数はこんなにきれいに切れておらず、もうすこし前後にまたがっている)

『スカーレット』はとんでもなく壮大で強い「神話」だったのではないか

人生の前半は人に囲まれて幸せにすごし、人生の後半は孤独に暮らしていた。

それはそれで幸せだ、という主張も含まれていたとおもう。誰でも真似ができるという人生ではない。

半年かけて毎日みてると、いろいろと考えさせられる。

「家庭からの視点」からだけ見れば、彼女は破壊者である。

でも、もっと大きな視点から見れば、彼女はいろんなものをつくりだし、幸せをうむ存在だったといえる。大きな物語である。

そういえば、といまかんじているのだが、とんでもなく壮大な物語だったのかもしれぬ。神の視点を(創作の神の存在を)獲得した者だけが、その深淵をのぞきこむことができたのかもしれない。そうなると強い「神話」だったことになる。

強いドラマだった。余韻を残さないところが強さにもつながっている。

余韻をかんじてるひまもなく、次は音楽家の話『エール』である。また芸術である。芸術は爆発かもしれない。朝ドラでは爆発はしないほうがいいようにおもうが、どうなるかはわからない。ただ見続けるしかない。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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