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リベンジポルノに怯える女性が下した決断とは?反響呼ぶ「VIDEOPHOBIA」が映し出す危うい現代

水上賢治映画ライター
「VIDEOPHOBIA」より

情事動画のネット流出。現代の危うさに警鐘を鳴らす「VIDEOPHOBIA」 

 現在公開中の映画「VIDEOPHOBIA」は、ネット社会の危うさに警鐘を鳴らす1作。この物語で描かれる事象は、現在も続くコロナ禍でさらに重要度を増しているかもしれない。

 先日、主演の廣田朋菜のインタビューを届けたが、続いて宮崎大祐監督の話からさらに作品世界に深く迫る。

 はじめに、簡単にストーリーに触れると、本作は、廣田が演じる29歳の愛が主人公。女優になる夢に破れた彼女は、東京から地元・大阪に戻るも、いまだに夢を諦められず、バイトをしながら演劇ワークショップに通っている。そして、ある晩、クラブで出会った男と一夜を共にしたところ、その情事の動画がネット上にアップされ瞬く間に拡散。そこからネット社会に翻弄されのみこまれる日々を送ることになる。

 この脚本はどういうアイデアから生まれたのだろうか?

「僕の場合、脚本がすごい変な形で生まれるんですよ。出発点もなんにもなくて、ある日突然、なにかが降ってきて、一気に書き上げて『終わり』みたいな感じなんです。

 基本的に降りてきたときはもう出来上がっていて、あとは文字に起こすだけみたいな作業になるんです。ただ、降りてくるまでが結構時間がかかるんですけどね(苦笑)」

「VIDEOPHOBIA」 宮崎大祐監督 筆者撮影
「VIDEOPHOBIA」 宮崎大祐監督 筆者撮影

リベンジポルノ、ネット拡散、監視社会といった時代性を盛り込む

 そう語るが、作品にはリベンジポルノ、ネットでの拡散、監視社会といった時代性がふんだんに盛り込まれている。なにか関心を寄せたことはなかったのだろうか?

「大枠では、関心のある出来事があります。いま上げてくださったことも日々の暮らしやニュースに触れる中で、気になることとしてインプットはされていたと思います。

 そういうことがある瞬間になにかひとつにつながり、結びついてあるタイミングをもって浮かんでくる。

 それから、いままで観てきた映画の断片も頭の中に詰まっていて、それも紐ついてくる。たとえば今回は、主人公の愛の運命とかは、デヴィッド・リンチ監督の『ロスト・ハイウェイ』の影響かなと、あとになって思いました。ほかにも、自分で描いていて『これどこかでみたことがある』と思って考えると、もうとっくのとうに忘れていた映画のあのシーンと気づくことがある。

 あと、かつて見た夢を反映させていたりすることもあります。

 そういうことが複雑にからまりあって僕の場合は、いつも脚本ができる。

 『TOURISM』も、夜中に思い付いて1時間ぐらいでほぼ書き終えた。『夜が終わる場所』もそうでしたし、『大和(カリフォルニア)』もそうだった。

 だから、今回の物語の背景にあるリベンジポルノとかネット拡散とかはたまたまといえばたまたま。ただ、自分はいまという時代を生きているわけで、否応なく社会に対して思うことや感じること、問題意識をもつものがある。そういうことが無視できないこととしてどこかにインプットされていて、脚本となるときに出てきているんでしょうね。

 とはいってもこれまでの作品は大枠ではこういう物語にしたいとか、このことを世に問いたいとかあったんですよ。でも、『VIDEOPHOBIA』に関しては、それもなくて、なんでこれほどいまの時代に寄り添うような時事性と問題提起のある作品になったのか不思議です」

「VIDEOPHOBIA」より
「VIDEOPHOBIA」より

リベンジポルノの被害者にどういうことが起こりうるのか考えることが大切

 では、実際にリベンジポルノやSNSの危うさを描く上で考えることはあっただろうか?

「リベンジポルノが駄目なことは言うまでもない。『駄目なことです』と描いたところで意味はない。かといって、リベンジポルノの過酷な現実を露悪的に描いて伝えることって映画はやりがちですけど、それも違うなと思いました。

 それよりも、そうした事態に直面したときに被害者はどういうことになりうるのか、なぜそういう行為に及ぶ人間がいるのか、きわめて現代的な犯罪ですから、その裏側にどういう社会が潜んでいるのか、そういう部分に視点を注ぐことで、改めて倫理とか道徳に関して考え直す機会になったらと思いました」

匿名性によって匿名性が脅かされ、匿名性が失われる時代

 これは結末になるので明かせないが、愛が最後に下す決断は、「そこまでしないといけないのか」という時代になっていることをある意味物語る。この結末について監督はこう語る。

「人間てすべてばらばらといいますか。外見と内面も違うし、心と体も不一致なところがある。

 そうした中で、こういう時代にこういう事態に向き合ったとき、打てる手としてはこれしかないのかなと。匿名性によって匿名性が脅かされ、匿名性が失われる。そういう時代には、こういう選択があっておかしくないと僕は思います。

 あと、確か書いた当時、『人の内面は外見に現れる』みたいなことを何人かに言われて、まあそういうところもあるんでしょうけど、なんか納得できないところもあって。じゃあ、外面を変えたら内面も変わるのかというのをちょっと問いたいところもありました」

役者って、究極的にはアスリートと同じと思っている

 また、本作を語るには、キャスティングについても触れないわけにはいかない。まず、映画作りにおけるキャスティングを宮崎監督はこう語る。

「僕は役者って、究極的にはアスリートとかと同じといいますか。もちろん記録や才能をのばすためには努力や地道な練習が必要でしょうけど、どこか生まれつきの才能であり、天性のものを備えている気がするんです。

 そうしたそれぞれの才能をもった人が集まるわけですから、どう配するかはひじょうに重要。いい配置ができればいい刺激が生まれていい化学反応が生まれる。でも、逆に一歩間違うと崩壊してしまう可能性もある。だから、キャスティングは重要。いいキャスティングができたら、不安なく現場に入れるぐらい重要です」

「VIDEOPHOBIA」より 主演の廣田朋菜
「VIDEOPHOBIA」より 主演の廣田朋菜

 愛役の廣田朋菜についてはこう語る。

「廣田さんは、ものすごい才能の持ち主と僕は感じています。ただ、僕の目には、これまでその才能のすべてを出し切れていないというか、使いあぐねているように映っていたんです。

 それで、僕はなにか力を思うように発揮できていない人が、ある瞬間にすごいスイッチが入って大変身するようなアメリカ映画によくあるような展開が好きで。

 『VIDEOPHOBIA』で、廣田さんがうまくはまって、そういう飛躍をみせてくれたらなと思っていました。

 この映画にうまく廣田さんがはまってくれれば、彼女の女優としての可能性も広がる。そうなるよう廣田さんのポテンシャルを引き出したいところはありました。

 だから、廣田さんには徹底的にいろいろな動きをしてもらい、さまざまなしゃべり方も実践してもらって。なにをどうすると廣田さんがこの映画の作品であり愛という役にマッチしそこに存在するのか、また、女優としての力を見せられるのかを考えました。

 あと、どこか怖がっているようなところを廣田さんには感じ取っていて。だから、今回は間違っててもいいのでチャレンジしてほしいことを伝えました。ですから、彼女自身、おそらくなにかやり切った感覚はあった気がします。

 僕としては彼女の魅力であり、もっているポテンシャルは引き出せたかなと思っています」

情事の動画の流出であわてふためく愛は、どこかさまよい、漂う

 愛にはこんなことを求めていたと明かす。

「この映画の場合、まず愛の生きる世界が展開していて、それを観客が映画を通して、見ている。その観客と愛の間に、自分自身の世界を俯瞰で見るもうひとりの愛が存在している。

 つまり情事の動画をばらまかれた被害者としての愛がいる一方で、その事態に巻き込まれ、どうにもならないであわてふためく自分をどこかから見ている自分がいる。それを映画の観客としてみなさんは目撃している。

 愛にはどこか所在がない。どこかさまよい、漂っている。そう映画の中でいてくれればと思いました。変に意味をもって立つ必要はない。愛として自然に存在してくれればよかった」

 そこにはこんな宮崎監督の映画に対する持論がある。

「たとえばあるシーンにおいて役者さんに『このシーンでこの人物の心境はどう変化するんですか』と聞かれたとすると、たぶん僕はそれに具体的に答えつつも、『あえて変化を見せようとしなくても大丈夫です』という演出をとると思うんです。

 おそらく、こういう目的でこの人は動きますと演出することで、シーンの頭とお尻で、その人物を変化させるのが通常だと思うんです。ゴールを決め、演出することで変化をもたらす。

 ただ、僕の中では、時間が流れれば人は変わるというのが持論であって。たとえば、座ってお茶を飲んでるだけでも、人には見えないんだけど、その中で確実になにかが変わっている。ひとところに心も体もとどまってはいない。時が流れると、なにかが変わるというのはたぶん、この世の事実。それを唯一捉えられる芸術が、実は映画なんじゃないかと僕は思っている。そこを生かさない手はない。だからその行方知らずのつかみどころのない時間さえ記録できれば無理に変化をさせてみせる必要はない。そう考えているところがあります」

情事動画の犯人か?謎の男は一緒に組みたかった忍成修吾

 廣田演じる愛を窮地に追い込む謎の男、橋本宏役は、忍成修吾が演じている。

「忍成さんは脚本を手掛けた『ひかりをあててしぼる』のときにご一緒させていただいて、それから『いつか一緒に作品をやりたいですね』といったことを話していたんです。

 それで、今回の『VIDEOPHOBIA』の脚本が降りてきて一気に書き上げたとき、この役は忍成さんしかいないと思って、すぐに打診しました。

 そしたら『ようやく(一緒にやる)機会が来ましたね』と言ってくださって、お願いすることになりました。

 今回、監督としては忍成さんと初めての顔合わせになったんですけど、そう思えなかったというか。こんなにやりやすい俳優さんはなかなかいない。

 忍成さんは真のプロフェッショナルというか。阿吽の呼吸で、余計なコミュニケーションがほとんどなかったですね。大切なところをつかんで、そこで自分に疑問があるところがあれば聞いてくる。ほんとうに圧倒的にすばらしかったです。

 それで『ひかりをあててしぼる』も今回の『VIDEOPHOBIA』も、忍成さんの演じた役は下手に演じると道化となってしまう。この役次第では、作品自体が望まないコメディになってしまう危険さえある。

 でも、さすが忍成さんで、僕の求める人物として存在してくれた」

「VIDEOPHOBIA」より 忍成修吾
「VIDEOPHOBIA」より 忍成修吾

 この宏という人物は、何者か分からないまま出てきて、行動も怪しい。でも、ごくありふれた人間にも見える。物語が進んでいくと、もしかして存在すらしていないんじゃないかと思え、実在しているのか、虚像なのか分からなくなるところがある。

 ある意味、現在の匿名社会を象徴するような人物といっていい。

「それだけ曖昧であやふやな人物を、どうやったらあんな風に成立させられるのか僕自身、謎でした。それで以前忍成さんに聞いたんですよ。自分で書いといてなんなんですけど、『どうやったらこの変なセリフを淡々と言えるんですか?』と。そうしたら、前後を含めて『台本を何度も読み込んでいるから』とサラっとおっしゃった。

 みんな当然読んでいるんだけど、できない人はできないんだよなと思って。忍成さんの役者としての凄みを感じた瞬間でしたね」

サヘルさんにはいけるところまでいってもらいました

 もうひとり、作品の中で、強烈な印象を残すのがサヘル・ローズだ。廣田が演じる愛が足を運ぶ、被害者の会の会長を演じている。

「サヘルさんはすごいですよね(笑顔)。

 サヘルさんにはまず演じていただいたときに、僕の印象としては『やりすぎだな』と思ったんですよ。でも、このままやりすぎとしないでやってもらったら、いったいどこまでいってしまうんだろうと。なんか見てみたくなっちゃったんです。

 そうしたら、天井知らずといいますか。どんどんどんどん演技のテンションが上がって、演技が過剰になっていく。ただ、結果的にはその過剰なぐらいの演技があのシーンにおいてはベストで。振り切ってくれたサヘルさんには感謝しています」

「VIDEOPHOBIA」より サヘル・ローズ
「VIDEOPHOBIA」より サヘル・ローズ

昼より夜とか、表通りより裏通り、影が差しているところに目がいく

 また、これまでの宮崎監督の作品を振り返ると、メインストリームの社会から零れ落ちたとでもいおうか。アンダーグラウンドであったり、裏の世界を舞台にしていることが多いような気がする。なにか理由はあるのだろうか?

「先日、『鵞鳥湖の夜』を見ていてふと思ったんですけど、ノアールの映画はけっこう好きかもしれない。だから昼より夜とか、表通りより裏通りとか、日の当たる仕事より日の当たらない仕事とか、なにか影が差してる感じが生理的に好きなのかもしれない

 『おもしろい』とか『いい話だったね』より、『なにかよく分からなかったけど、とにかくかっこよかった、なにかすごいもの見た』と思える映画に親近感を覚えます

 だから、ふだんは影になって見えない場所であったり、人間の心であったり、社会の闇に目がいくのかもしれない。

 あと、ふだん目にしているはずなのに、全然気づかないというか。あまりに当たり前過ぎて、そこのあるものとして認識しているのに、よく見ないで見過ごしていものにカメラを向けるのが好きかもしれない。

 今回の大阪の街も、特別じゃない、ありふれた景色なんですけど、そこに改めてカメラを向けてみると、まったく違う風景に見えたり、気づかなかったものが見えてきたする。

 『大和(カリフォルニア)』でいうと、当時、誰も基地のことなんてもう気にかけていなかった。でも、そこにあえてカメラを向けると、街に『基地がある』ということや、あることでの影響みたいなものが自然とたちのぼってきたりする。もはや感じなくなっているものが改めて感じられたりする

 だから、極端なことを言えば、僕は自分の映画において、ふつうに見て見えているものは、別に撮らなくていいのかなと思っています。それが、なにかアンダーグラウンドや裏通りを撮っている理由かもしれない」

「VIDEOPHOBIA」 宮崎大祐監督 筆者撮影
「VIDEOPHOBIA」 宮崎大祐監督 筆者撮影

モノクロームという選択をした理由

 そう考えると、今回、カラーではなくモノクロームという選択をしたことも納得する。

「モノクロにしようとは当初から考えていました。ただ、モノクロにしただけで映画っぽくなってしまうところがあるので、それは避けたかった。白黒にするとかフィルムで撮ることで映画が安易に『映画っぽく』なってしまうことに、ずっと異議を唱えてきたので。

 でも、『VIDEOPHOBIA』に関しては、モノクロは感覚的な決断でしたけど、いい選択だったんじゃないかと思っています。粒子の感じが作品の内容にマッチしたんじゃないかと。

 でも、カラー版とか、いつか公開したら面白んじゃないかとも思っています」

 宮崎監督の考える映画のひとつの到達点を迎えた作品のような気がするが。

「ほかの方からも言われたのですが、確かに集大成的な感触はあります。これまでで一番準備期間がなくて、ある日、ふと降りてきて今までで一番あっという間に書き上げた脚本で、かなり不確定要素の多かったのが、集大成っていうのもなんだかなとは思うんですけど(苦笑)。

 でも、映画ってそんなものというか。へんにこねくり回して気負うよりも、そのときのなにかを瞬時にキャッチするのも大事なのではないか。

 ガチガチに決めてやるのもありですけど、ある程度その場に応じてというか、当意即妙にやるのもまたおもしろいんじゃないかと、最近感じています」

「VIDEOPHOBIA」キービジュアル
「VIDEOPHOBIA」キービジュアル

「VIDEOPHOBIA」

監督・脚本:宮崎大祐

出演:廣田朋菜、忍成修吾、芦那すみれ、梅田誠弘、サヘル・ローズ

全国順次公開中

現在、横浜シネマリンにて

<『VIDEOPHOBIA』公開記念 宮崎大祐特集上映>開催中

詳しくはこちら

場面写真及びキービジュアルは(C)「VIDEOPHOBIA」製作委員会

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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