【羽生結弦・単独インタビュー(2)】「北京五輪で足りなかったものが見えた」4回転アクセルの真骨頂
仙台市内のリンクで行った公開練習「SharePractice」で、羽生結弦は、心を奪うような高さのある4回転アクセルを練習した。北京五輪で一度は「やりきった」と話しながらも、再スタートを切った4回転アクセルへの挑戦。なぜ4回転アクセルにこだわるのか、そしてどこまで理想へ近づいているのか。羽生がその思いを語った。
(敬称略)
「まずはトリプルアクセルをどれだけ高く跳べるか、でした」
公開練習で見せた4回転アクセルは、2021年の全日本選手権の時と同様に、チェンジエッジの助走のあとに跳ぶという入り方だった。高さがあり、空中で一瞬止まったかのような浮遊感がある。4回転と4分の1ほど回り、両足着氷ながらも転倒はせずに耐えた。ちょっと悔しそうに苦笑い。北京五輪を経て、新たな境地に向けて再スタートを切ったことは十分に伝わる内容だった。
しかし、北京五輪後なぜ、再び4回転アクセルに着手することを決めたのか。練習後の単独インタビューで、羽生はまず、これまでの道のりを振り返った。
「4回転アクセルをやると決めてから、まずはトリプルアクセルをどれだけ高く跳べるかということから最初はやり始めました。どれだけ高く飛べれば4回転半を回りきれるのか、ということから考えたんです」
平昌五輪後の2018年夏から練習を始め、怪我の状態も良くなり本格的に取り組み始めたのは2019年夏だった。トロントのクリケットクラブで、ハーネスという補助具を使いながらのスタート。ハーネスでわずかな浮遊感・高さを加えることで、クリーンに4回転半を降りる。成功するために必要な高さをまず知り、次はハーネスを外して、その高さへ自力で到達していくというアプローチだった。
高く跳ぶにはどうするか。あらゆる方法を羽生は試みたという。踏み込む左足の筋力を使って高さを出そうとすると、筋力に頼って力んでしまう。今度は助走のスピードを上げて勢いを出そうとしたが、スピードを出すと、真上に上がる力よりも前方に吹っ飛ばされる力が強くなった。
「色々なことを試しましたが、スピードをつけて跳んだ場合に、頭から落ちる可能性があるんです。それにスピードがありすぎると、回転が始まるのをわざと遅らせるディレイドアクセルのようになってしまい、軸に入る速さが遅れてしまうことが分かりました」
「人間として、羽生結弦として跳べる高さに限界が生じていました」
「高さ」を模索していた2019-20シーズン、彼は2019年12月のGPファイナル公式練習で、4回転アクセルを練習した。その時のアクセルは4回転と4分の1くらい回る状態。当時こう語った。
「自分の中では、まだ高さが足りないなと思いました。でもどんなに高く跳んでも、回転がかかるまでの速さが遅れてはダメ。どれだけ早く回転をかけるかを考えています」
2020-21シーズンは、身体強化にも取り組んだ。足の筋力を強化してジャンプの跳躍力を高め、また体幹を鍛えて空中姿勢を保つ力をつけた。2021年4月の国別対抗戦後に4回転アクセルを練習した時は、「あと8分の1回転」という手応えを感じつつも、クリーンな着氷はなく悔しさをにじませた。
当時の葛藤を、今、打ち明ける。
「実際には、人間として、羽生結弦として跳べる高さというのが、やはり力を使って跳ぶとなると限界が生じていました。最終的には、高く跳ぶんじゃなくて、今度は速く回すという段階に入っていきました。回転をどれだけ速くできるか(回転速度を上げる)ということになると、どれだけ早く軸に入れるのかということになりました。その理想的な回転軸に入るためには、どういう技術を使うのか、ということを考えていきました」
2021年全日本選手権では「まず軸を作る作戦」
「最後まで回りきれなかったということは、もう一段階速く回れるということ」
すでに「高く跳ぶ」ということに2年以上の歳月をかけていた。それでも方向転換が必要と分かれば、柔軟にそれを受け入れる。しなやかな強さがあった。「回転速度を上げる」という新たな目標に向けて、戦略を立て直した。
その結果、2021年全日本選手権で見せたのは、ややスピードを落とした助走から、真上に近い方向に跳び上がり回転軸を作るという跳び方だった。そのアプローチについて改めてこう振り返る。
「全日本選手権は、まず(回転)軸を作るということをやりました。軸を作れば回転は速くなる、という考え方です。それでも4回転半の最後までは回りきれていなかったということは、もう一段階、速く回れるということだと思うんです。これからは、そこを突き詰めていけばいいと思います」
「もう一段階、早く回りたい」ではなく「もう一段階、早く回れる」と言い切る。つまり4回転半は未知の目標ではなく、彼の中で可能であることは分かっていて、そのアプローチの解を探しているという話し方である。
なぜその自信があるのか。その1つは今取り組んでいる「スイートスポット」の存在だ。公開練習のウォーミングアップでも取り組んでいたが、「ここが最も心地よい」という理想的な回転軸を、限界まで絞り込んでいく作業を何年も続けてきた。その結果、4回転ジャンプは無理なく回し切れるようになっていた。このスイートスポットに入れば、今よりも4回転アクセルを速く回すことができるという実感があるのだ。
「アクセルだけはスイートスポットに入れない。
僕のアクセルの場合はそこが答えじゃないかもしれない」
しかし、それは簡単なことではないという。
「アクセル以外のジャンプは、横に回すので、ウォーミングアップでやっている身体の中心に入れるんです。でも僕はアクセルを横に回せないので、アップでやっている回転軸にすぐに入れないんです。両手を前から(胸元に)持ってくると回転軸に入るのが遅くなる面があります。だからこそ、アクセルの場合の軸へのアプローチをどうするかを考えているんです」
4回転トウループ、サルコウ、ループなどは両手を水平に構え、跳び上がると同時に胸元に寄せることで回転を起こす。しかしアクセルだけは、いったん両手を後方に引き、前に振り出すことで跳躍力を補助し、空中に上がった後、両手を胸元に寄せることで回転を起こす。
「最終的には、他のジャンプと同じ、僕のスイートスポットに行きたい。でもそれが答えなのかどうか、僕のアクセルに対しては分からないというのが本音です。僕のスキッドしない(離氷前に回転させない)アクセルの場合は、そこが答えじゃないかもしれないので。そこに近いかたちだけど、僕のアクセルとして一番回転が速く回るところというのを探していって、それを最終的に掴みきれればいいのかと思っています」
一部の選手は、左足のエッジで氷を削るように横滑りさせることで、氷から足が離れる前に90度近く回す「スキッド」という手法を使っている。しかし羽生はそのアプローチは選ばない。飛距離のある美しいアクセルで4回転半を回し切ることこそが、「羽生結弦の4回転アクセル」であり、そして「理想の羽生結弦」なのだ。
「北京五輪で、昔のアクセルが理想だと思った。
でも今の27歳の羽生はもっとスケーティングが滑れている」
しかし北京五輪を振り返ってみると、かつてない高速回転の4回転アクセルを跳び、4回転半のアンダーロ−テーションの認定をもらっている。あの時、演技直後の羽生はその空中での感覚を「自分にしか体験したことのないもの」と言い、超越的な回転軸に入れたことを明かしていた。その回転軸は、スイートスポットではなかったのだろうか?
「片足で降りに行って、立てなかったということは、良い軸ではなかったということなんですよ。最終的に、両足使ってでも立てる位置(の軸)で回っていたほうが、降りる確率はあるんです。そういった意味で、やはり僕のアクセルにとってのスイートスポットを探していきたいと思います」
「それプラスアルファ」といって続ける。
「やっぱり回転軸だけでは足りないと思います。今考えてみると、北京五輪の時は正直、回転に入るのはめっちゃ早かったですね。すごいギュンっと入れたとは思っています。ただそこに入るまでのスピード感とか、エッジの使い方が上手かったかというと、もう一歩先があったんじゃないかな、と正直なところ思っています。あの時は、昔の自分のアクセルの跳び方に戻してそれが理想だと思いましたが、今の27歳の羽生結弦の跳び方だったら、もっとスケーティングが滑れているんです。そのスケーティングの力を使って、踏み切りで空中に浮く時に、もっとフワっと浮く力が働かないといけなかったんです、北京五輪のとき。その浮き感がまだまだ足りなかったなと、後で気づきました。だからこそ、北京五輪にプラスアルファしていきたいという気持ちが出てきました」
北京五輪の演技直後に、4回転アクセルへの挑戦を続けるかと聞くと「まだ考えさせてください。それくらい、やりきっています」と答えた羽生。わずか数ヶ月後に、「まだ足りなかったと後で気づいた」と言えるのは、進化を止めない、彼らしさそのものだ。
「まだまだプラスアルファできることがある」
理想の4回転アクセル、理想の羽生結弦への道は続く
「北京五輪で学んできたことは色々あります。どういう回転の掛け方なら速く回るか、どういった氷へのプレッシャーの掛け方なら浮遊感が出るか、どういうスピードで入っていけばコントロールできるのか、といったこと。まだまだプラスアルファ出来ることがあるんです。ただ、もっと高く跳びつつ、回転も速くかけつつ、浮く力を働かせて、とやっていくと、捻挫が怖いんですよ。だからまずは軸をしっかり作った上で、空中へのアプローチをしていく、という感じですね。そのためには上半身の動きも下半身の動きも、すべてを両立させないと出来ないです」
技術的なことを語る時の羽生は、探究心の塊だ。次々と独自の言葉が溢れてくる。一気に喋ったあと「すごい技術的なことばっかり喋っちゃいましたね」といって、少年のように笑った。
プロ転向を経て、なぜ4回転アクセルに挑むのか。改めて分かったのは、羽生は「4回転半の世界初の成功者」を目指していたのではない、ということだ。もちろん最初のうちは「初成功」という、世間からの評価も視野にはあっただろう。彼ほどの習得力があれば、離氷前に回転させるスキッドの技術を取り入れれば、4回転アクセルの成功を早々に掴むことが出来る。しかし羽生はそこをゴールにしなかった。
4年間、孤高の探求を続けていくうちに、アクセルは自己との対話の時間となった。だからこそ、他人と競い合い、他者から採点されるという競技の場ではなく、プロの場を選んだ。そこでこそ、理想の4回転アクセル、理想の羽生結弦を求め続けることができるからだ。
「とにかく難しいのが4回転アクセル。だからこそ面白いです。うん。面白いです」。
最後に二度、「面白いです」と繰り返す。この4年間、4回転アクセルを語る時に背負っていた、焦りや孤独感は消えていた。4回転アクセルと戦うのではなく、4回転アクセルから幸せをもらっている。そんな笑顔をしていた。