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【深読み「鎌倉殿の13人」】源義経はイケメンだったのか? それともブサイクだったのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
源義経は美男子だったのか?それともブサイク?(提供:アフロ)

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、イケメン俳優の菅田将暉さんが演じる源義経が大注目だが、義経は美男だったのだろうか。これまでの義経像を詳しく掘り下げてみよう。

■ブサイクに描かれた源義経

 源義経が活躍した前後の時代において、義経を描いた絵画は実在しない。これ自体は決して珍しいことではなく、当時の義経以外の人物も描かれた絵画が残っていないことが多い。

 義経の容貌を伝えるのは、『平家物語』である。元暦2年(1185)3月の壇ノ浦の戦いの際、平家方の越中次郎兵衛は義経と組み打ちを願い、周囲にどんな容姿なのかを味方に知らせるため、その容貌を次のように述べている。

「義経は背の低い男で、色白かつ出っ歯なのが特徴だ。ただし、いつも鎧と直垂は着替えているので、見分けにくいだろう」

 越中次郎兵衛は、味方に義経を判別させるため、このように知らせたのである。この一文を読む限り、義経の容貌は明らかにブサイクといわざるを得ない。

 『平家物語』は文学作品とはいえ、越中次郎兵衛が義経を認識するための発言なので、事実に近いように思える。

■美男子になった義経

 『平家物語』ではブサイクに描かれた義経だったが、その後に成立した『源平盛衰記』では、状況が一変する。ブサイクから美男子へと大きく評価が変貌するのだ。

 寿永3年(1184)2月、義経は一ノ谷の戦いで平家を破り、屋島へと放逐した。そして、この年は、後鳥羽天皇が三種の神器のないままで即位した。その際、後鳥羽に奉仕した義経の姿について、『源平盛衰記』は次のように記す。

「義経は色白で身長こそ低いが、容貌は優美にして、立ち振る舞いがすばらしい。木曽義仲などとは比較にならい」

 義仲は田舎者で大失態の数々だったが、義経は何事も非常にすばらしいと大絶賛である。とはいえ、『源平盛衰記』は、必ずしも手放しで義経を賛美したわけではない。

 かつての平家は、政権の座に長くあったので公家化していた。いかに義経の立ち振る舞いがすばらしくても、平家の公達にはとても及ばなかった。心ある人は往時の平家を偲び、袖を絞った(涙を流して拭いた)と『源平盛衰記』は書いている。

■驚異的に美形化された義経

 室町時代に成立した『義経記』では、義経の容貌が驚異的に美化されている。義経の眉目形(みめかたち:容姿)は類なく、容顔(ようがん:顔つき)は世に越えていたと記されている。もはや、超美男子である。

 そして、義経は唐の玄宗皇帝の時代なら妻の楊貴妃、漢の武帝の時代なら妻の李夫人のような美男子と形容された。江戸時代の歌舞伎で義経が登場すると、必ず美男子だったという。

 室町時代以降、義経は美男子として人々の間に定着していった。現代においても、義経はブサイクな武将ではなく、美男子としてイケメン俳優が演じるようになった。

■むすび

 とはいえ、話は元に戻るが、義経が美男子だったのか、それともブサイクだったのかは不明である。一ついえるのは、誰にも分らないので、義経は理想の美男子になったということである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書など多数。

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