Yahoo!ニュース

麻原彰晃を「落とした」検事が語っていた、取り調べ時の素顔

石戸諭記者 / ノンフィクションライター
松本智津夫死刑囚(写真:ロイター/アフロ)

「麻原って病気でコミュニケーションとれないって言われるだろ。そんなことはなかったんだ」。死刑が執行されたオウム真理教の麻原彰晃(本名:松本智津夫)死刑囚の取り調べを担当し、「麻原を落とした」と呼ばれた検事がいる。宇井稔さん(2015年に死去)。彼が生前に語っていた、取り調べでみせた松本死刑囚の素顔とは?

 宇井さんはこんな話から始めた。取り調べを担当したのは、1995年、松本死刑囚が逮捕されてから間も無くのことだった。宇井さんは「一度だけ、麻原が本当のことを話すという瞬間があったんだ」と続けた。

 私が毎日新聞岡山支局で、事件を担当していたときのことだ。

取り調べを担当した検事が語ったこと

 宇井さんは当時、岡山地検の検事正だった。単身赴任の宇井さんは夜は官舎にさっさと帰って、自炊をしながら晩酌をたしなんでいた。焼酎をグレープフルーツジュースで割ったものを飲みながら、仕事を語る。オウム事件はいつも気にかけていて、何かニュースが流れるたびに「あの頃は大変だった......」と話し出すのだった。

 とはいえ、軽々に深い話をすることはなかった。何度も夜回りで通ったが、その話を聞けたのは間も無く地下鉄サリン事件が発生した3月20日が迫ってくる日だった。

 2010年のことだ。木製の四角いテーブルを挟んで、ネクタイを外して、部屋着に着替えた宇井さんが椅子に座る。定番の焼酎のグレープフルーツジュース割を作って、ちょっとずつ飲み始める。もうすぐ、3月20日ですねと話をすると、宇井さんは視線を右にあげて、しばし沈黙した。時間にして数秒だったと思う。もう一度、私に目をやり、口を開く。

「一度だけな麻原が(犯行を)認めたことがあったんだ。これはいずれ話し始めると思った。あのときだ。あのときに真実が明らかになると思ったんだよな」

あと一歩で真相を語るところだった

 松本死刑囚の取り調べについて、積極的に話したがらなかった宇井さんがぽつりぽつりと語り始めた。

「麻原はおしゃべりだったんだよ。よく話したよ。壁抜けられるって言うから、『どれ、抜けてみろよ』って言ったんだよな。そしたら抜けられなくて申し訳ないって。ずっと座禅しているから、何しているんだって聞いたら『修行』だとかなんとか言ってたよ」

「宇井さん、(松本死刑囚は)もうコミュニケーション取れないって言ってますよね」

「最初はそんなことなかったんだって。真実を語らないって言われているけど、あと一歩で語ろうとしていた瞬間もあるんだよ」

 宇井さんが語っているのは、1995年10月のことだ。

「坂本さんの事件(坂本弁護士一家殺人事件)については自分が指示をしたって調書があるんだよ。自供したわけ。でも、あとは全部弟子の責任だって言っていたな。『自分は目が見えないからできないんだ』と繰り返してな……。これを端緒に全部語るって思ったんだ」

 宇井さんがたまに帰宅すると、いつも各社の記者が張っていた。夜回りである。「麻原が指示、責任を認めるのかどうか」。問われ続けた宇井さんは、人差し指を車のワイパーのように動かして、「こんな感じだな」とだけ言い残して、家に入っていったという。

 揺れている。でも、あと一歩だ。そんな思いをもって取り調べにあたった。しかし、である。その後、松本死刑囚は一転して、話したことは間違いだったと言い事件について話すことをやめて、口を閉ざしたという。

「まず間違いないと思うけど、死刑を恐れていたよ。麻原は死刑が怖かったんだ。自分が死刑になるかもしれないから、あとは弟子のせいにしようって思ったんだろうな」

松本死刑囚が食べたがっていたもの

 意味のわからない発言を繰り返し、裁判を拒んだ松本死刑囚とは違う顔が見えてくる。宇井さんはコップに氷を入れなおし、焼酎をいれて、パックのグレープフルーツジュースを注ぎいれた。

「おまえさ、かるかん饅頭って知ってる?」

「鹿児島の名産のあれですか?白いやつ」と私は応じる。

「そうそう。麻原ってさ事件のことは一切答えないけど、雑談は本当によく応じたんだよ。しょっちゅう話すわけ。『宇井さん、かるかん饅頭って知ってるか』って麻原がいうんだよな。『おぉ知ってるよ』っていうとさ、ちょっと笑って『もう一度食べたいなぁ。かるかん饅頭が食べたいなぁ。宇井さんにも鹿児島の美味しいやつを食べてほしい』とかなんとか言い始めてさ」

そういえば、松本死刑囚は熊本県八代市の生まれだ。銘菓はなにか思い出の味なのだろうか。

「で、なんて返したんですか?」

「『おう、なら壁抜けて食べてみたらいいじゃないか』って言ったよ。苦笑いしていたけどな」

最後に私はこう聞いた。

「宇井さん、この話って……」

「あぁ、俺が死んだら書いていいぞ」と彼は冗談めかして言うのだった。

この日は冗談だったが、もう宇井さんは亡くなり、松本死刑囚の死刑も執行された。最後まで口を閉ざし続けたままだった松本死刑囚を宇井さんはどう思ったのだろう。もう、話を聞ける機会はないのだが。

(※追記があります)

記者 / ノンフィクションライター

1984年、東京都生まれ。2006年に立命館大学法学部を卒業し、同年に毎日新聞社に入社。岡山支局、大阪社会部。デジタル報道センターを経て、2016年1月にBuzzFeed Japanに移籍。2018年4月に独立し、フリーランスの記者、ノンフィクションライターとして活躍している。2011年3月11日からの歴史を生きる「個人」を記した著書『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)を出版する。デビュー作でありながら読売新聞「2017年の3冊」に選出されるなど各メディアで高い評価を得る。

石戸諭の最近の記事