【幕末こぼれ話】坂本龍馬、高杉晋作ら幕末四大ヒーローが酒を酌み交わした一夜が実際にあった!
幕末を描いた時代劇では、よく維新の志士たちが一堂に会して、酒を酌み交わしたり、時勢を語り合ったりする場面がある。
ドラマを劇的に演出するため、事実ではないと承知の上でそうしたシーンは作られるわけだが、実はたった一度だけ、幕末の四大ヒーローともいうべき大物たちが集まった夜があった。
坂本龍馬、高杉晋作、久坂玄瑞、武市半平太――。あまりにも豪華な顔ぶれが揃ったその一夜のことを、今回はご紹介したい。
川崎宿・万年屋の一夜
時は文久2年(1862)11月12日。場所は東海道の川崎宿、万年屋(まんねんや)という料理屋でのことだ。万年屋は、「江戸名所図会」などにも描かれた店で、十返舎一九の小説「東海道中膝栗毛」でも主人公の弥次郎兵衛と喜多八が立ち寄っている川崎宿随一の料理屋だった。
その万年屋に4人の志士が集まったことは、長州藩の久坂玄瑞の日記に書かれている。ほかの3人はこの時期に日記を書いていないので、久坂は実に貴重な記録を残してくれたことになる。
「同(十一月)十二日、暢夫と同行して勅使館に往き、武市を訪れ、龍馬と萬年屋で一酌し、品川に帰る」(「久坂玄瑞日記」)
暢夫というのは長州藩の高杉晋作のこと。また土佐藩の武市半平太は朝廷からの勅使・三条実美に付き添って、江戸城辰ノ口にある伝奏屋敷に滞在していた。
この日、久坂は高杉を連れて伝奏屋敷にいる武市のもとを訪れた。おそらくそこにたまたまいた土佐藩の坂本龍馬を加えて、萬年屋(万年屋)で一献かたむけたというのである。
万年屋のある川崎と、4人が顔を合わせた江戸城ではやや距離があるように思えるが、当時ほかに万年屋という名の店があった記録はなく、彼らは川崎まで足を延ばしたとみるべきだろう。最終的に久坂が品川に帰ったとも記されており、距離感はそれほど不自然ではない。
ともあれこの日、土佐藩の坂本龍馬、武市半平太、長州藩の高杉晋作、久坂玄瑞という、幕末史に残る傑物4人が一堂に会したのだった。
一夜限りの邂逅
彼ら4人のうち、龍馬と武市、久坂はすでに面識があったので、土佐の2人と初対面だったのは高杉のみということになる。久坂としては、同じ長州の逸材・高杉を龍馬らに引き合わせることができ、実に気分のいい酒席であったことだろう。
ところが、この日久坂が語ったのは、横浜の異人館を襲撃し、外国人を殺害するという過激な攘夷策だった。高杉らとともにすでに準備を進めており、そのことを土佐の武市に同意してもらおうというのが、久坂がこの席をもうけた意図だったのである。
しかし久坂の意に反して、龍馬と武市の賛同は得られなかった。龍馬らも攘夷論者ではあったが、異人館襲撃などという、過激で単純な攘夷行動には賛成することはできなかったのだ。
それで龍馬らは暴挙を思いとどまるようにいったが、もちろんいまさら簡単に中止するような久坂らではない。結局、酒席は早々に散会となり、久坂と高杉は品川の土蔵相模に帰っていった。
このあと幕末の時勢の流れのなかで、4人が同席する機会はついにやってこなかった。万年屋の一夜は、英雄たちにとってたった一度だけの邂逅となったのである。