世界を知る八村世代に直撃! 西田優大「積極性を前面に出し、今季は数字にこだわる!」
アンダーカテゴリー代表での実績は抜群
2018年夏までアンダーカテゴリーの日本代表を率いたトーステン・ロイブルコーチは、U15の時から西田優大(東海大4年)の才能を高く評価していた。2016年にU18FIBAアジアで2位となり、翌年のU19FIBAワールドカップでマリ、韓国、エジプトから勝利を奪い、スペインや準優勝のイタリアと激戦を演じることができたのは、西田の存在抜きに語れない。
「優大は私にとってお気に入りの選手の一人であり、素晴らしい若者だ。U15からすべてのユースレベルで指導してきたけど、歴史に残るU18とU19の成功において、彼はカギを握る選手だった。カイロでのU19ワールドカップ以降の優大は、IQの高さ、規律、ハードに取り組む姿勢、強い競争心、指導しやすさ、ポジティブさ、トップレベルのディフェンダー、どちらの手でも強いドライブができ、アウトサイドから高確率で決められるシューターになった。彼はトップ選手に必要なものをすべて持っている。彼が持っている自信も武器だ。世界チャンピオンだろうが、どんな相手と戦っても恐れるところが一切ない」
U19ワールドカップでの西田は、八村塁(ワシントン・ウィザーズ)に次ぐスコアラーとしてだけでなく、得点能力の高いガードやフォワードへのディフェンス対応を任されるなど、攻防両面でタフに戦っていた。激戦続きによる疲労蓄積で足の状態が悪化して1分間しかプレーできず、無得点に終わったプエルトリコ戦を除けば、韓国戦での21点を最高に6試合の平均は12点。14本の3Pシュート成功数がチーム最多であり、ピック&ロールから得点機会を作り出すという部分でも大きな自信をつかんだことは、次のコメントからでも明白だ。
「代表では多くピック&ロールを使わせてもらって、練習より実戦で経験した部分で、ピック&ロールにおける自分の考え方、世界でもやれるというのを感じることができました。Bリーグで実際に試合をしてみて、プレッシャーで煽られた時とか、アイスやステップアウト対応というのをもう少し細かく見るという部分もできたから、そこでピック&ロールの考え方が結構身についたのかなと思います」
ここ2年のスローダウンで改めて感じた積極性を出すことの重要さ
U19ワールドカップから帰国した後も、西田は日本代表の合宿に呼ばれるなど、有望選手の一人としてさらなるレベルアップが期待された。しかし、故障によって成長のプロセスはスローダウンを強いられる。また、有能な選手を数多く揃える東海大の中で思ったようなプレーができない試合もあったりと、活躍の機会は減少傾向にあった。アルバルク東京と一緒に練習した際、Bリーグを2連覇しているルカ・パヴィチェヴィッチコーチから“もっと自分を出せ!”と指摘されるなど、アンダーカテゴリー代表で見せていた積極性が失われているという声も耳に入るようになっていく。「塁がNBAに行き、他のチームで出ていた何人かの選手もNBAにいるので、少し羨ましいというか、悔しいというか、もどかしいところがあります」と、西田はU19でマッチアップした選手がNBAでプレーし始めている現実に対し、複雑な気持があることを否定しない。
昨年のインカレ後、特別指定選手として名古屋ダイヤモンドドルフィンズに入団したことは、バスケットボールに最大限集中できる環境で取り組めるいう点でプラスになった。体育館が使える時間が限定されている東海大と違い、練習がオフの日でもシューティングやウェイトトレーニングができることに感謝し、もっとハードワークしなければという意識が高まったのである。
また、14試合で平均12分弱の出場機会を得たことによって、様々な課題を見つけることができた。特に控えのガードとしてベンチから出てくる役割で気付いたこととして、「シューターというポジションの中で、動いてボールをもらってキャッチアップを打つにしても少し下半身が弱いなと感じました。東海大学だとスタメンで出ていますが、Bリーグでは特別指定でシックススマンかベンチスタートが多くて、その中でスタメンはアップしてすぐ試合ということで体が温まっているので、ベンチスタートの難しさ、出ていきなり仕事をするにはもう少し下半身を強くして、安定したシュートを出していかなければいけないと思います」と話す。
4月に緊急事態宣言が発令され、チームとして活動できない状況になると、西田は徳島県にある実家に戻った。多くのアスリート同様に限られた環境でトレーニングすることを強いられたとはいえ、秋田が地元の杉本天昇(日本大)同様に感染者が少ない地域だったことは幸運。以前強化指定選手だった縁でジムを無料で使わせてもらえるなど、地元からのサポートにも助けられた。また、実家でリラックスする時間が増えたことにより、故障したことで下がっていたコンディションの回復・再調整という点ではプラスだったと言える。
B1での経験を糧に西田は、大学最後のシーズンで失いかけた積極性を前面に出し、リーダーとしてチームを牽引するつもりだ。新型コロナウィルス感染拡大の影響によって公式戦でプレーする機会が減るだけに、「今年はアピールできる試合が数少ないので、3Pのアベレージを少しでも上げるとか、毎試合2ケタ得点をするといった数字にこだわってプレーしたい」と意欲を示す。
再び世界の舞台に立つ前に待ち構えている激しい競争
過去に取り上げた前田悟(富山グラウジーズ)、牧隼利(琉球ゴールデンキングス)、杉本に比べると、西田は八村との接点がU19代表以外にほとんどない。福岡大附属大濠高の1年生だった2014年のウィンターカップ決勝が同じコートに立った最初の機会であり、当時の印象を「デカくてシュートも入って、走れて、”なんだこの選手は”って感じでした」と振り返る。ただし、U19代表のチームメイトとしては「本当にインサイドが強かったし、心強かったです」と話したように、日本代表でまた戦いたいという思いがアンダーカテゴリーで一緒だった他の選手たちと同様に強い。
「(世界をまた)味わいたいですね。その場はオリンピックやワールドカップ、本当に世界トップレベルと戦う場面なってくるので、それなりの準備というか、もっと自分が代表に絡んでいかなければいけない。そのためには今のままではなく、もっと貪欲に身体作りにしろ、技術にしろ、取り組まなければと思います。海外に挑戦する選手も増えてきて、そこで意識の差を感じて大きく成長して帰ってくる選手もいます。日本でやっている自分たちには(海外に)行っている選手より倍くらい努力しなければいけないので、代表に絡めるためにもやらないといけません」
沖縄がグループ戦の開催地となっている2023年のFIBAワールドカップに向け、西田はこれからより高いレベルの激しい競争に挑む。秋に行われる関東大学バスケットボールリーグは、飛躍への第一歩になることを期待している。