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ゼレンスキー大統領 米CNNで家族のホロコースト経験伝える「祖父だけがナチスと戦って生き残れました」

佐藤仁学術研究員・著述家
(写真:ロイター/アフロ)

英訳されて世界に伝えられた貴重なゼレンスキー大統領の家族の記憶

2022年2月にロシア軍がウクライナに侵攻してからゼレンスキー大統領は欧米やイスラエル、日本の国会などで演説をしたり、各国のメディアに積極的に出演してロシア軍によるウクライナ侵攻による窮状を訴えている。

そして2022年3月21日には米国CNNに出演。その際にキャスターからホロコーストについての質問が出た。ゼレンスキー大統領はユダヤ人で祖父は第二次大戦時には赤軍に徴兵されてナチスと戦ってきた。祖父の3人の兄弟、父らはホロコーストの時代にナチスに殺害されてしまった。ゼレンスキー大統領は大統領就任直後から、ウクライナでのホロコーストの歴史や自身の家族について積極的に語ってきた。またロシア軍が侵攻する際にプーチン大統領がロシア国民に向けて「ウクライナの非軍事化と非ナチ化を目指す」とウクライナ侵攻を正当化していたことから、ユダヤ人の大統領として怒りを表明していた。またイスラエルの国会で演説をした際には「ロシアにとってウクライナ人の問題は"最終解決(Final Solution)"である」とナチスドイツが「ユダヤ人絶滅は"最終解決(Final Solution)"である」という政策の元にユダヤ人大量虐殺を行っていたことに例えて、イスラエルの多くのユダヤ人から「ホロコーストはナチスドイツが600万人のユダヤ人を殺害した事件だけで、現在のウクライナ侵攻と比較すべきではない」と反感を買っていた。

そのような中、今回ゼレンスキー大統領が自身の家族のホロコースト時代の話をCNNの中で伝えていた。ゼレンスキー大統領は「私の祖父らの家族は典型的なウクライナの村に住んでいました。第二次世界大戦がはじまると祖父の父(ゼレンスキー大統領の曾祖父)が祖国を守るべきだと伝えたので軍事学校を出た祖父、そして兄弟らはファシズムと戦いました。祖父はナチス時代にソ連の赤軍として戦って生き延びることができましたが、祖父の父と母らはナチスがやってきて村ごと火をつけられて殺害されてしまいました。祖父の兄弟は最前線で処刑されました。祖父だけが生き残って帰ってきました。彼は歩兵部隊のキャプテンで何度か表彰もされました。戦後は捜査官として働いていました。ロシア(プーチン大統領)が私のことをネオナチと言っていましたが、私の祖父は家族全員を第二次世界大戦で殺害されて失ったんです。私の遠い親戚はアメリカやポーランド、イスラエルに住んでいます。そのような背景を持つユダヤ人の私に向かってナチスと呼ぶのは大きな間違いです。ウクライナのユダヤ人にナチスとはいったい何を言いたいのでしょう。祖父や兄弟たちはナチスと最前線で戦ってきました。ロシアの政治家が私をナチスと呼ぶのなら、何回でも私は家族の伝記と経験、記憶を伝えます。私の家族のことは事実としても明らかになっています(後略)」と語ってロシア(プーチン大統領)がウクライナのゼレンスキー大統領がナチス化しているので、ウクライナを非ナチス化するために侵攻していると発言していることに強く反発していた。

▼CNNでロシア軍の侵攻やホロコースト時代の家族について語るゼレンスキー大統領(ホロコーストについては2:56あたりから)

進むホロコーストの記憶のデジタル化

戦後75年以上が経ち、ホロコースト生存者らの高齢化が進み、記憶も体力も衰退しており、当時の様子や真実を伝えられる人は近い将来にゼロになる。ホロコースト生存者は現在、世界で約24万人いる。彼らは高齢にもかかわらず、ホロコーストの悲惨な歴史を伝えようと博物館や学校などで語り部として講演を行っている。当時の記憶や経験を後世に伝えようとしてホロコースト生存者らの証言を動画や3Dなどで記録して保存している、いわゆる記憶のデジタル化は積極的に進められている。現在、世界中の多くのホロコースト博物館、大学、ユダヤ機関がホロコースト生存者らの証言をデジタル化して後世に伝えようとしている。デジタル化された証言や動画は欧米やイスラエルではホロコースト教育の教材としても活用されている。

ユダヤ人のゼレンスキー大統領もホロコーストの歴史やナチスと戦っていた祖父、殺害された祖父の兄弟のことを伝えていた。大統領就任直後には祖父の墓前でナチスと戦ってきた人たちを称えて平和を願うコメントを自身のFacebookに投稿していた。俳優やコメディアンだったゼレンスキー大統領はメディアの使い方とそれぞれのメディアの特性も熟知しており、あらゆるメディアを活用してホロコーストの歴史を伝えていた。

ホロコーストの記憶や経験を語る時には、当時の経験や記憶の精確で詳細な部分まで語ってもらいたいことから自分の一番話しやすい言語で話すのが通常なので、ゼレンスキー大統領もホロコーストを伝える時にウクライナ語で自国民に伝えることが多かった。今回のCNNでの放送のように通訳が入って英訳されたゼレンスキー大統領の祖父のホロコーストの経験が全世界に向かって配信されることは珍しい。

ホロコーストの当時の記憶と経験を自ら証言できる生存者らがいなくなると、「ホロコーストはなかった」という"ホロコースト否定論"が世界中に蔓延することによって「ホロコーストはなかった」という虚構がいつの間にか事実になってしまいかねない。いわゆる歴史修正主義だ。そのようなことをホロコースト博物館やユダヤ機関は懸念して、ホロコースト生存者が元気なうちに1つでも多くの経験や記憶を語ってもらいデジタル化しようとしている。

第3世代によるデジタル化されたホロコースト歴史の後世への継承

だが既に他界してしまったり、高齢化が進んで体力や記憶力がなくなり、当時の経験や記憶を伝えられない生存者も多い。そのような世代に代わって、ゼレンスキー大統領のような第3世代がホロコースト生存者の経験と記憶を伝えるようになってきている。このように子供や孫、曾孫といった次世代、第3世代、第4世代が両親や祖父母、曾祖父母、親せきから聞いたホロコーストの経験をデジタル化して伝えているケースが増えている。ホロコースト生存者は高齢者が多く、デジタル化のためにスタジオや自宅で長時間にわたって収録カメラの前でかつての記憶を語るのが大変だが、生存者の子供や孫はそのようなことに心身ともに抵抗が少なく、ホロコースト生存者よりも積極的で、彼らが両親から聞いたホロコーストの経験や記憶のデジタル化に協力的である。

特に歴史的にも反ユダヤ主義が根強いウクライナでは、今でもユダヤ人が嫌いという人もいる。ナチスドイツがウクライナに侵攻する前からウクライナ人はユダヤ人を差別の標的にしていた。1918年~1919年の1年間に1200件のユダヤ人襲撃事件(ポグロム)が行われ、その3分の1以上がウクライナ国民軍によるものだった。当時多くのユダヤ人がポグロムを逃れてアメリカに移民して、アメリカのユダヤ人社会の基盤を作った。そしてナチスドイツがウクライナに侵攻した際には多くのウクライナ人がユダヤ人殺害に加担していた。ウクライナの地元警察がユダヤ人を熱心に逮捕し、ゲットーに送り込んでいた。ナチスの親衛隊は誰がウクライナ人で、誰がユダヤ人か区別がつかなかったので、地元警察がユダヤ人の捜索と検挙を徹底的に行った。ナチスと一緒に検挙するだけでなく、地元警察はユダヤ人を射殺して穴に落としていた。1941年9月にキエフ郊外の谷間バービ・ヤールでは約34,000人のユダヤ人が射殺され、渓谷の穴に埋められたバービ・ヤール事件はホロコースト史上最悪の壮絶な事件と言われている。

バービ・ヤール事件も当時の写真や遺品、ユダヤ人生存者、傍観や加担していたウクライナ人らの証言がデジタル化されたコンテンツとして教育や研究用にも活用されている。だが当時の生存者はナチスドイツだけでなく現在のドイツ人や、当時自分達を差別迫害した地元の人々への強い恨みがあったり、家族や友人が目の前で殺害されるような当時の辛い経験や思い出を公の場や録画されて語りたくないという人も多く、自分の子供にしか話していないという人も多かった。そして、そのような両親、祖父母や親せきから聞いたホロコースト時代の経験や記憶を子供や孫、曾孫たちがデジタル化して、さらに次世代に継承しようとしている。

但し、子供や孫、曾孫世代は実際にホロコーストを経験しているわけではない。高齢の生存者よりも記憶のデジタル化は容易に進めやすいが、記憶と経験は伝達されたものだ。そして記憶は美化されて伝達されることも多く、物語になりやすいため、記憶のデジタル化と同時に伝達された記憶を元にした歴史の検証も重要になってくる。

▼バービ・ヤールでのホロコースト犠牲者追悼式でのゼレンスキー大統領のスピーチ

学術研究員・著述家

グローバルガバナンスにおけるデジタルやメディアの果たす役割に関して研究。科学技術の発展とメディアの多様化によって世界は大きく進化してきました。それらが国際秩序をどう変化させたのか、また人間の行動と文化現象はどのように変容してきたのかを解明していきたいです。国際政治学(科学技術と戦争/平和・国家と人間の安全保障)歴史情報学(ホロコーストの記憶と表象のデジタル化)。修士(国際政治学)修士(社会デザイン学)。近著「情報通信アウトルック:ICTの浸透が変える未来」(NTT出版・共著)「情報通信アウトルック:ビッグデータが社会を変える」(同)「徹底研究!GAFA」(洋泉社・共著)など多数。

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